6.作戦会議
「まぁ、準備はだいたいこんなもんか」
――あの後、
地下室にある通路からひっそりと抜け出しジルがまず提案したのは、装備を整えることだった。
食料に飲料から始まり、簡単な防具、護身のための短剣、移動のための馬車。そして何よりも――
「良かったわねぇ、ジルの趣味用のカツラが役に立ったわ」
「誤解を招く言い方するな! 内職のうちの一つだ!!」
「とてもよく似合っているわ」
そう笑いかける先には一人の少女がいた。――否、それは少女に偽装したリオンだ。
ウェーブのかかった長い栗色の髪にはかわいらしい赤色のリボンが結ばれ、薄い体が隠れるように深い藍色のワンピースの上に黒いケープを羽織っていた。
カツラのおかげで問題の虹色の角も綺麗に隠れている。
もちろんジルには女装趣味もなければ、カツラを愛でる趣味もない。
近所の精肉店から余った毛皮部分を安値で譲ってもらい、それをカツラなどの装飾品に見立てて売って収入の一つにしているのだ。
ジルの職業は便利屋のようなものだ。頼まれたことなら屋根の修繕から野良猫探し、内職の手伝いまでなんでも請け負う。
器用なジルは大抵のことには精通しており、そつなくこなすことが出来た。
「わたしの髪とおそろいね!」
イヴが弾んだ声を出す。
リオンのかぶったカツラとイヴの髪型はなるほど、とても似通っていた。
2人で並ぶとまるで年の離れた姉妹のようだ。
「ちなみにこれはなんの毛で出来ているのかしら」
「イノシシ」
本当は嘘だ。人間の髪にとても近いと言われている羊の毛で出来ている。
「……。美少女の毛にはふさわしくないわね」
「美少女にふさわしい毛なんかあるのか?」
「馬とか」
きっとさらっさらよ。
ジルはもう呆れて返事も返さなかった。そのままごそごそと荷物を確認し始める。
変装しているのはリオンだけではなかった。イヴの髪の色は染め粉により灰色に染まっている。水がかかれば流れてしまう程度のものだが、それにさえ気をつければ問題ないくらいには綺麗だ。ジルだけは唯一何も変装をしていなかったが、獣の耳を隠すように帽子だけは目深にかぶり、しっぽもズボンの中にしまっていた。
イヴはリオンのかわいい姿に大満足だ。男の子に女の子の格好をさせるのは少し可哀想な気もするが、似合っているからイヴ的には全然OKである。
かわいいものはやっぱりかわいい格好をしている方がいい。
満足気にリオンの頭をよしよしとなでるとカツラの中からごわごわと角の感触がした。露出しているのならばきらきらとしていてとても綺麗だが、カツラをかぶるには少々邪魔である。
「……やっぱりこの角、ぱきっと折ったらだめかしら」
「おまえはもう少し未知のものに対して慎重になれ」
ジルにひっぱたかれて髪がまた乱れる。ジルはイヴの頭をひっぱたくためのボタンか何かと勘違いしているに違いない。地味に痛いからやめてほしい。幸い染め粉は完璧になじんだのか叩かれても散ることはなかった。
「まぁいいわ。リオンの角は綺麗だし、とても似合っていてキュートだから」
「なんだその納得の仕方。俺はおまえの価値観に不安を覚えるわ」
「わたしの価値観? そんなの決まっているじゃない! 『好きか嫌いか』よ!」
「えばって言うな」
再びイヴの頭をすこん、と叩いて、ジルはもう叩き飽きたのか表通りのほうへ目をやってしまった。
イヴもそれにならって、路地裏の影からこっそりと表通りを覗きこむ。そこにはせわしなく動き回る厳重な装備をした騎士の姿と、教会に属する守門たちの姿が見えた。イヴ達のことを探しているのだろう。彼らの手には人相書きが握られていた。
そこら中の壁に貼られているそれには、イヴとリオンの大まかな容姿と大人の協力者がいることが記載されていた。罪名は国家反逆罪。魔王の子を利用することで、世界を牛耳ろうとしている極悪人との御触書である。
「どうやら教会と騎士団両方が敵に回ったみてぇだな」
いや、敵に回ったのは国全体か。
そう独りごちて、それを壁から破り取ってジルはイヴに渡してくれる。その指名手配書はかの大悪党と名高い盗賊ギルフォード・レインや政治犯カークス・ライルなどと同列に並べて貼られ、第一級犯罪者を示す赤い紙面に記載されていた。
「わたし達は悪いことをしているの?」
「悪いことさ。ああ、俺たちはとんでもない大悪党だ。なんせ、『魔王の子』を誘拐しようってんだからな」
「誘拐? 随分な言いぐさね。誰もこの子を欲しがっていないようだったから、わたしがもらってきただけよ」
ちょっとお引っ越しをしただけで大げさねぇ、と言うとジルは大きくため息をついた。
「それを世間一般じゃあ、誘拐っつぅんだよ」
「本人の合意の上よ」
「本人の合意があっても後見人の合意がなきゃ立派に誘拐だ」
「ちゃんといってきますって言ってでてきたわ」
「言ってきたのかよ! どおりで憲兵の発見がはえぇはずだな!」
頭を抱えるジルに、イヴは唇を尖らせた。
誘拐は確かに犯罪だ。イヴのしたことも、まぁ、百歩譲って誘拐だと認めよう。
しかしリオンのことを可愛がる大人はどこにもおらず、明らかに不当な扱いを受けていたのだ。
誰もがいらないとそっぽを向いていたものを、イヴが欲しいと手を挙げたのだ。快く譲ってくれてもいいではないか。
「やり方がまずい。もしも本当にそのガキのことを考えるなら、おまえは教会にでも勤めて、正攻法で世話役でももらうべきだったんだ」
「あら、お馬鹿なことを言うのね、おじさん」
その提案をイヴは一笑に付した。
「そんなことが本当にできると思っているの? もしも自分から世話役をしたいと願い出たり、そうでなくても立場を得てリオンのことを可愛がったりなんてしようものなら、きっとすぐに地方に巡礼という名目で飛ばされたはずだわ。そうじゃなければ最悪その場で即刻捕らえられたかしら、『魔王の子』を懐柔して洗脳しようと企んだ謀反人としてね!」
そんなことになったら、今以上に逃げ場もなくなって、身動きも取れなくなって、きっとすぐに捕まってしまうわ。
イヴのその言葉にジルは口をつぐむ。
その言葉のある程度の正当性を、認めざるを得なかったからだ。
「教会は、いいえ、国はこの子に“余計な知恵”をつけさせたくないのだわ」
それはおそらく、喜びとか憎しみとかいう人間の持つすべての感情と、自主性や自尊心といった尊厳を含むすべてのことを示していた。
「わたしは悪いことをしたと思っていないわ」
それはイヴの本心だった。
「……おまえはな。周りは違う。魔王を復活させて、世界を支配しようってんじゃねぇかと脅えてやがるのさ」
誰が? と尋ねればジルは無言でイヴの顔面に指を突きつけた。
その指を見つめながらゆっくりと首をかしげる。
「こんなに美少女なのに?」
「今誰がそんな話をした」
ふざけんな、とまた頭をはたかれる。
どうやらジルはイヴの頭をボタンだと思っているのではなく、叩くことを趣味としているらしい疑惑が浮上した。趣味としているのならば楽しみを奪ってしまうのも可哀想なので、しかたなくイヴは甘んじて受けてやる。
ジルはイヴのこの寛大さに少しは感謝すべきだ。
まぁ、それはともかくとして、
「そんなことはしないわ」
イヴは否定した。
「そんなことは関係ねぇのさ」
ごそごそとジルは懐から棒付きの飴を取り出す。3つ開封して一つを口にくわえると、残りの2つをイヴとリオンに渡してくれた。
「おまえが何を思おうがなんだろうが、そんなことは重要じゃねぇ。必要なのは、取り戻すための名目だ。生死問わずになってねぇだけお優しいな」
全くもってその通りだということはイヴも同意する。
見よう見まねでたどたどしく飴をなめるリオンを横目でみながら、「引き返すなら今だぞ」とジルはイヴに囁いた。
「今ならまだ、少し遊びに連れ出したってだけでごまかせるかも知れねぇ。まぁ、そのへんは話の持って行き方次第になるだろうが……。」
「何を甘いことを言っているの、おじさん」
飴をなめながらイヴはもごもごと、しかしはっきりと耳に届くように言った。
「もう初めてしまったことだわ。いかにわたしが他に類をみない絶世の美少女だから許されるとしても、止めるわけにはいかないわ。それに自身の意思を持って決定したことは最後まで責任をもって貫きなさいと勇者様も伝記でおっしゃっているわよ」
「んなもん持ってきたのかよ」
「これはわたしのバイブルだもの」
イヴは鞄からごそごそと勇者の伝記と聖書を取り出してみせる。
「とても素晴らしいお言葉が書いてあるわ。リオンにも読んであげないと」
「言葉がなんの救いになる」
「言葉だけじゃだめね。でも行動だけでもいけないわ」
イヴとジルはじっ、とお互いの目を見つめ合う。
紫の瞳と琥珀の瞳が交叉した。
「逃げ場所なんてねぇぞ」
先に目をそらしたのはジルだった。
「他国に行けば容姿が伝わっていない分、人目は逃れられるかも知れねぇ。だが角がある以上魔王は魔王だ。一生こそこそと逃げ続けるはめになる」
「ごめんね」
今からでも抜けてもいいのよ、とイヴは微笑む。
正直な所、ジルを巻き込むべきではないとわかってはいるのだ。
「おじさんはもう十分過ぎるほど手伝ってくれたわ。ここから先は、わたしとリオンだけでなんとかするから……」
あ、でも具体的にどう逃げたらいいのかとか作戦とか教えてくれてから抜けてもらえると助かるわ、とイヴが茶化す前に、
「そうじゃねぇ!」
言葉を遮ると、ちっ、とジルは舌打ちを一つした。
「おまえら二人でどうにかできるわけねぇだろ」
「だから……」
「もういい。それよりもこれからのことだ。とにもかくにもまずは国外に出ることを目指さなきゃならねぇ。それには選択肢が3つあるが、あいにくと実現可能性があるのは1つだけだ」
「……。どうして?」
どうやらジルにはもう取り合う気がないらしい。実際問題ジルにはある程度手伝ってもらわなくてはいけないので、イヴもそれ以上はもう言わなかった。