58.そして少女は一つを掴む
「おひさしぶりね、勇者様!」
そう言ってその少女は太陽のもとで咲く花のように笑った。
「………。ああ、久しぶりだね。元気そうで何よりだ」
言った後に変なことを言ってしまったと気づいたのか、ごほんと勇者は咳払いをする。
「君は、今の自分の立場をわかっているのかな」
「ええ、親切な人達にたくさん教えてもらったわ」
「そうかい」
空は快晴。真っ青に澄み渡り、太陽は天高く輝いていてまぶしかった。
視界は開けていて、その中央には少女が一人。
……少々、視界は開けすぎているようだった。
なにせ、そこは断崖絶壁だ。
後半歩でも背後に後ずされば崖下に落ちる。
その岩壁の先端に、その少女は微笑んで立っていた。
風になびく栗色の髪、最初に見た時から変わらぬ澄んだ琥珀の瞳。
泥で汚れたままの斑な白いワンピースドレスと裸足の足。
それとは対照的な美しい金の花のネックレスが胸元で輝いていた。
てんでちぐはぐな姿なのに、まるで1枚の絵画のように美しい光景。
胸元の宝石などよりもよほど強い存在感を持って、彼女はそこに居た。
周囲を見渡したが、どこにも魔王の子も灰色の狼人の姿も見えない。
これは罠だ。
勇者は確信した。
勇者が転移魔法を使用してイヴ達が逃亡したという街に着いた後、3人の足取りは山に入るまでは非常にわかりづらかった。
しかし山に入って以降は、その道筋をたどることは非常に容易だった。
容易すぎたほどだ。
何故なら山の木々や岩場のあちこちに、まるで行く先を示すように聖書と勇者の伝記のページが挟み込まれていたからだ。
最初はカモフラージュかとも考えた。本当の道筋を隠すためにわざと偽の手がかりを残しているのではないかと。
しかしそれにしては細かい痕跡すらもページがある方向に集中しており、他に本当の道を隠したような痕跡も見受けられない。
城から連れてきた兵士達はわずかな手勢だけを残し、残りは山の下へと置いてきた。
山を囲むように兵士を貼り付けたため、猫の子一匹でも山を下りようとすれば必ず誰かに目撃されるはずだ。
本当はすべての兵士を置いてきたかったが、監視役を外すわけにはいかなかったのだ。
(僕は騎士団に手放しで信頼されているわけではないからな……)
無理に引きはがすような真似をすれば、いらぬ勘ぐりを受けるのは目に見えている。
この本の切れ端がカモフラージュでないのならば、これは罠だ。
わかった上でそれでも受けて立つ気になったのは、表門で会った彼女にもう一度会いたいと思ったからだった。