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54.決別

 雨が止み始めていた。

 まだ暗い雲が空を覆っていたが、雨粒はその数を減らしもやも引き始めている。

「そろそろ帝都への移動が始まるな」

 胸に侍らした勲章がちゃらり、と音を立てて揺れた。

 その他の誰も手にできない誇りの形は、騎士団長にしか許されないものだ。

「……団長」

「先に行っていろ。私は後から行こう」

「しかし……」

 心配するように逡巡する部下に、騎士団長は不敵に笑ってみせる。

「問題ない。すぐに行く」

 部下達は敬礼して、整った仕草でその場から立ち去った。

「まったく……、おとなしくしていれば見逃してやると言ったのに……」

 腰掛けていた岩から立ち上がり、軽い動作で背負っていた大剣を振り抜く。

「どうやら、よっぽど死にたいらしいな、貴様」

 剣を向けた先には狼がいた。

 灰色の髪に灰色の耳。

 紫色の眼には、強い決意が表れていた。

「……俺は、あいつと一緒なら正道を進めると思った」

「んん……?」

「過去から逃げ切れると思ったんだ」

 騎士団長は笑う。

「過去から逃げ切れるなんてあるわけないだろう。起きたことはなくならない」

 ジルは嗤った。

「ああ、そうだな。だが、これまではそれで良かった。良かったんだ。見て見ぬふりさえできれば……」

 ジルはひとしきり嗤った後ふいに口をつぐむと、ひたりと見据えた。

「けど、これからはそれじゃいけねぇ」

 彼は腰に刷いていた剣をすらりと抜いた。

 暗闇の中で刃が暗く光る。

「これからも、あいつのそばにいたいなら」

 確かにギルフォードがイヴを大切だと思うきっかけは、正道を歩めると思ったからだった。

 けれど今はどうだろう。

 ずっとジルとして生きてきて、そばにはイヴがいた。

 魔王の子を拾ってきたのを見た時、本当に正道を進みたいのならばイヴを見捨てるべきだった。

 そうすれば平和に穏やかに、ただ日々を積み重ねるだけの日常を送ることが出来たはずなのだ。

 それでもイヴを見捨てられなかったのは。

 リオンを可愛らしいと思ってしまったのは。

 それらを捨ててまで正道を歩まなくてはならないのか。

 その眼光は鋭く前だけを見据えていた。

「正道を曲げてでも、進みたい道がある」 

 騎士団長の答えは明快だった。

「来い」

 それがすべてだった。


 振り抜いた剣が激しく火花を散らして離れていく。

 舌打ちを一つすると、すぐにジルは剣を打ち込んだ。

 それも難なく受け止められる。

「どうした? そんな様では私に勝つことなど出来んぞ!」

 受け止めた体勢から騎士団長が強く押し返す。

 その勢いにジルの体勢が崩れた。

 その機を逃さず、上段から剣を振り下ろす。

 しかしジルはそれを待っていた。

 現実的に考えて、騎士団長に剣での正面勝負を挑んでジルに勝機はない。

 力も技術も体力もジルは敵わないのだ。

 勝てるとしたら相手が油断した隙を突けた時だけだ。

 だからわざと姿勢を崩して、騎士団長が隙の多い上段に構えるように仕向けたのだ。

 姿勢を崩した振りで、その実素早く身を起こして突進出来るように屈んだだけだった膝を伸ばす。

 勝負は一瞬だ。

 目の前のがら空きの胴をめがけて、ジルは剣を薙いだ。

 弾き飛ばされたのは、――ジルの剣だった。

 途中でジルの狙いに気づいた騎士団長が剣で防ぐのは間に合わないと、瞬時に膝で蹴り上げて攻撃を阻止したのだ。

「見事!」

 騎士団長の剣の切っ先が、ジルの眼前に差し出される。

「たとえ敵わぬ相手でも臆さず戦ったその様、実に賞賛に値する。貴様を許すわけにはいかん。しかし騎士道にもとり、最後まで勇敢に戦ったことを讃えよう。仮にも騎士であった貴様に免じ、騎士として誇り高く死ぬことを許してやろう!」

 それは処刑でなく決闘の中での死を許す、という宣告だった。

 今ここでジルを殺すという宣言だ。

 ジルは慌てるでもそのことを喜ぶでもなく、冷めた瞳で見つめていた。

「騎士のギルフォード・レインは死んだ」

「なに?」

「俺は騎士でも盗賊でもねぇ」

 言葉とともに、ジルは目前の剣を手で掴んだ。

 鋭い爪とわずかだが毛で覆われた手は、呪文とともに筋力がふくれあがり、爪は鋭さを増し、獣の手のようになった。

 剣を掴むことで切り裂かれるかと思われた掌の皮膚は毛で覆われ、刃を強く掴んでも裂けることなく押し返す。

「これは決闘じゃねぇ。……命をかけた生存競争だ」

 危機を察知した騎士団長が身を引こうとした時にはもう遅かった。

 狼となったジルの上半身は鋭く騎士団長の腕を切り裂こうとした。

 すんでのタイミングで騎士団長は身を引き、肩に掛かった憲章だけが弾き飛ばされる。

「…………っ!」

 彼はすぐに体勢を立て直し、ジルの腕を叩き伏せようと剣を振るった。

 しかしジルのほうが一歩早かった。

 身を低くしてそのまま再度懐へと飛び込む。

 騎士団長の大剣は強力だ。そしてその技術も相まって非常に厄介な武器でもある。

 しかしその剣を振るえない体勢で、内側に入り込まれてしまえばそれはただの重りでしかない。

 ここまでは先ほどと同じだ。けれど今のジルには、剣という鈍重な重りがなかった。

 そのままジルは自らの爪を振り上げた。

「………ぐぅっ!」

「……はっ、見事……っ!!」

 しかしその爪は防がれる。

 とっさに剣を捨てた騎士団長は、その籠手でもってジルの攻撃を防いだ。

 だがジルは笑う。

 そのままの勢いを殺さず、大きく口を開けると

 騎士団長の太腿を咬みちぎった。

 がくん、と体勢が崩れる。

「があぁあああ…っ!!」

 わめきながらも素早く後退して、姿勢を整える。脇からすぐに短い短剣を引き抜いた。

「貴様……っ」

 騎士団長は声を上げたが、咬みちぎられた足では立ち上がるのがやっとだ。

 そこから先に踏み込めない。

 それを見下ろして、ジルは目を細めて笑った。 

「過去に上官に言われたことがある。爪や牙で戦うのは魔獣のようで汚らわしいと。おかしな話だ。爪や牙で戦うその強さを買われて、俺は騎士団に入ったというのに」

 呪文とともに魔法は上半身ではなく下半身、特に足へと移った。

「俺はもう、ただのジルだ」

 それはもう戻らないという決意であり、ジルなりの過去との決別だった。


 騎士団長は目を細める。

 彼の知るギルフォード・レインは、もうそこには居ないように思われた。

 そのままきびすを返すとジルは跳躍する。

「……まったく、馬鹿な奴だ」

 携帯している止血帯で太腿の止血を試みる。

 追いかけるのは難しい。しかし。

 大声を上げれば部下が駆けつけるだろう。そうでなくても剣を振るえばその斬撃でその後ろ姿を叩き切ることも容易に思えた。

「………。あれは、騎士には向かんな」

 しかし騎士団長はその場に腰を下ろし、何もしないことを選んだ。

 どうせ自分が追いかけずとも、すぐに他の誰かに捕まるだろう。

「ただの狼人なら、わざわざ私が引導を渡すまでもあるまい」

 見上げた空は晴れて、青い色を見せ始めていた。

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