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51.ギルフォードとイヴ

 花のような少女だと思った。

 花といっても、薔薇や百合のような派手で艶やかな美しさではない。

 それはまるで一番日の光の当たる場所で咲くチューリップやガーベラのように健康的で、明朗として色鮮やかなきらきらしい美しさであった。

「あら、おじさん。どうしたの、こんなところで」

 薄汚れたぼろきれみたいな服を着ていても、その美しさはまるで損なわれてはいなかった。

「………別に良いだろ、放っておけ」

 もう何もかもがどうでも良かった。

 母の死も、騎士団への裏切りも、盗賊団のことも、そいつらすべてを捨てて逃げてきたことも。

 どうしようもなくたまらなくなった。逃げ出したいという意思だけで燃えていた気力が、逃げ出せた途端に瞬く間に消えて、ただの燃えかすになってしまったかのようだった。

 あれだけ死にものぐるいで燃えていたのだ。

 生きる気力すら燃え尽きてしまっていても不思議じゃない。

 そのままぼんやりとがらくたしかないような暗い路地裏で背を持たれるようにしていると、少女はわずかに困ったようだった。

「そう、でも困ったわね」

 おしゃべりな子どもだ。がりがりに痩せた体をしているのだから、少しは体力を惜しめばいいのに。

「そこ、わたしのおうちなのよ」

 思わず驚いて顔を上げた。

 少女の美しい琥珀の瞳と目があう。

「あなたがそこにいると、おうちに入れないわ」

 それともあなた、わたしのおうちにご用事かしら、そういって首をかしげた少女は、また花のように笑った。

「はい、どうぞ」

 目の前に差し出された茶碗には水が入っていた。

 なぜか家にそのまま招き入れられ、床に座らされている。

 さもありなん、少女のいう“おうちの中”には何も家具がなかった。

 椅子も机もカーテンも棚もない。

 がらんとした、ただの四角い部屋だ。

 所々床板はめくれ上がって、屋根は多少雨に浸食されて傾いているようだった。

「つい最近買った綺麗な水よ。腐ってないわ」

 そう言って少女は目の前に座る。

 にこりとほほえむ顔は、状況にそぐわず無邪気だった。

「おじさんはどこから来たの?」

「あっちのほうからだ」

「おじさんはどこに行くの?」

「そこらへんだろ」

 受け取ってしまった手前、渡された水を口に含む。

 ジル自身が思っていたよりも体は涸れていたらしく、水が体に染み渡るようだった。

「質問を変えるわ。どこか行きたい場所があるの?」

「………なんでそんなことを聞く」

「だっておじさん、迷子みたいな顔してるから」

 どこか行きたい場所があるのかと思ったわ。

 その言葉に目を見張る。

 行きたい場所もやりたいことも、もうジルにはなかった。けれど、

「正道をいきたい」

 母の願いだけが頭にこびりついていた。

「せいどう……?」

 少女はこてん、と首をかしげる。

「正しい道だ」

「それはどこにあるの?」

 ふ、と口から息が抜けた。

「どこにあるんだろうな」

 そんなことはジルにもわからなかった。正体すらも掴めない、途方もない話だ。

「わかったわ、じゃあおじさん。一緒に探しましょう」

 まるで名案を思いついたかのように、少女は手を打って笑った。

「はぁ……?」

「おじさん、どこにそれがあるかわからないんでしょう。1人で探すよりも2人のほうがきっと見つけやすいわ。それが見つかるまでここに居るといいわ」

 にこにこと少女は笑う。

 ジルは呆れてしまう。見ず知らずの、それも明らかに怪しい人間に一緒に住めという。

 この少女の危機管理能力は一体どうなっているのだろう。

「おまえな……、俺が悪い人間だったらどうするんだ」

「あら、悪い人間なの?」

 真っ直ぐに見つめ返されて、その視線に居心地が悪くなる。

「ああ、……悪い人間だ」

 そらされた目線に少女は不思議そうだ。

「悪いことをしちゃったの?」

「ああ、たくさんな」

「これからも?」

「これから……?」

 思わず目線を合わせると、少女の瞳がひどく澄んでいることに気がついた。

 まるで、吸い込まれてしまいそうだ。

「これから先も悪いことをするの?」

 しない、とは言い切れなかった。

 黙り込んだギルフォードに、少女は首をかしげる。

「悪いこと、したいの?」

「そういう問題じゃねぇ。もう、たくさん悪いことを“した”んだ」

「一回悪いことをしたからって、もう一回悪いことをするかどうかはわからないじゃない」

「わかるだろ。一度裏切ったやつはまた裏切る」

 少女の首はかしげすぎてかなりの角度にまで曲がっている。

 それでも見つめてくるのでギルフォードは大変居心地が悪い。

「裏切る人は、どこを見ればわかるのかしら」

「目で見たってわかるもんか。だからみんな過去の実績で判断するんだ」

「うーん、じゃ あ、おじさんはやっぱり大丈夫かな」

「はぁ?」

「だって、わたしはまだおじさんにひどくされてないもの。その前のことは口で言われたって知らないし、わからないわ」

「実際にひどい目に遭わないとわからねぇってか」

 なんだかおかしくなってしまう。

 少女の脳天気さが、なんとも羨ましかった。

「行きたいところを見つけるまで、ここに居ればいいわ。近々魔王が勇者様に倒されるのですって」

 少女は立ち上がるとギルフォードに手を差し出した。

「わたしはイヴよ。姓はないわ。あなたのお名前は?」

 きらきらと輝く瞳がまぶしかった。

 つられるように名乗ってしまいそうになって、ギルフォードの名前は名乗れないことに気づく。

「俺は……、ジルだ」

 出たのはその場で思いついた適当な、自分の名前をもじっただけの名前だった。

 掴もうかどうか空中で悩んだ手を、イヴに両手で捕まれる。

「よろしくね、ジル」

「………名前ではあまり呼ばないでくれ」

 イヴは首をかしげる。

「じゃあ、なんて呼べばいいかしら」

「………。おじさんで十分だ」

「じゃあ、おじさん、よろしくね」

 そう言って少女は、やはり花のように笑った。

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