49.魔王
頭にかぶったフードが水を含んで重かった。
幸いにも防寒用のコートだったためリオンの体まで水が浸みてくることはなく、体温は保たれていたが、一歩踏み出すごとにずしずしと雨を踏む音がなり、体の重さが増すようだった。
逃げ出してきた村の明かりが今はもう遠い。
雨はしんしんと降り注ぎ、空は薄暗いままで、どこまで行っても果てがないように思えた。
それでも歩かなくてはならない。
イヴはリオンに言った。また3人で一緒に居られるようになるために頑張れるか、と。
ならばリオンは頑張らなくてはならない。
だって、3人で過ごした時間は、いままでのリオンの人生の中で一番楽しくて光り輝いていた。
逃げてばかりで怖いものもたくさんあった。どうしたらよいかわからず、いつもおろおろと狼狽えていた。
けれどたくさん楽しかった。嬉しかった。いままで空っぽだったリオンの心の中にある何かの器が、いっぱいにまで満たされたような心地がした。
失ってしまったら、リオンはもう昔のように無為には生きられない。
きっとたくさん悲しい。たくさんつらい。
さみしい。
「さみしい……っ」
言葉にするともやもやと不確かな自分の中の感情がはっきりと形を持って、ますます心の内を占領するようだった。
さみしいのだ、リオンは。
旅の間にイヴはたくさんの本をリオンに読んでくれた。
文字の読み方も簡単にだけれど教えてくれて、リオンはたくさんの言葉とその意味を知った。
世界がこんなにもいろいろなもので溢れているということを、言葉を知らないリオンはいままで認識できていなかった。
目には見えないあれこれが、すべて名前をつけられて確かに実在している。
ジルを探さなくてはいけない。
リオンは無力だ。一人では何も出来ない。
それを悔しいということも、つい最近知ったばかりだ。
やり方など何もわからない。けれどさみしい、悔しいという感情がリオンの体を突き動かしていく。
なんとしてでも、ジルを見つけ出して2人でイヴを助け出さなくてはならない。
心がたくさんの言葉を叫ぶ。
どうしようもなく持て余して、けれどそれが大事だった。
全部抱えて持って行く。
「………あっ」
べしゃり、と音を立てて地面に打ち付けられた。
気ばかりが急いて足元が不注意になってしまったのだろう。派手に転んで顔に泥がつく。
「……うぅ~~」
涙が出たがうつむいている場合ではなかった。
早く、一刻でも早く。
3人で一緒にいるために頑張るのだ。
立ち上がろうとして顔を上げて、ほの暗い闇の中に視線を感じた。
そのまま目をこらす。
湿地帯の中に黄色く光る瞳。
げこり、と頬を膨らませてのどを鳴らすそれは、大人の男ほどに大きく二足歩行で突っ立っていた。
(蛙の魔物……)
不思議と恐ろしいとは感じなかった。
だってそうだ。この前会った時だって、彼らは周囲を取り囲むだけでリオンとイヴに全く手を出してこなかったのだ。
リオンは魔王だと言われている。
魔王とは、魔物を操る頂点にいる存在のはずだ。
「おまえ……、ぼくのいっていることば、わかる…?」
返事をするように蛙が鳴く。
息を飲んで、リオンは覚悟を決めた。
「ジルは……、灰色をした、ぼく達と一緒にいた狼の人が、どこに行ったか、わかる?」
蛙はげこりとまた一声鳴くと、目線はリオンと合わせたまま手を水平へと伸ばした。
その手は指一本だけがピンと伸ばされていて、リオンが今歩いている街道の脇から伸びる、ともすれば見逃してしまいそうなほどに細い道を示していた。