40.ジルの正体
その睨み合いを遮ったのは、唐突な泣き声だった。
その声に弾かれるようにイヴも騎士団長も顔を向ける。
そこには泣いているリオンの姿があった。
「………なっ!?」
目を見張る。
その背後には魔物の姿がずらりと並んでいたのだ。
ぬるぬるとてかる黒い皮膚。
エラの張った指に光る鋭い爪。
大きく割けた口にぎょろりとした黄色い目玉がこちらを覗いていた。
それは巨大な蛙の群れだった。
騎士団長はすぐに冷静さを取り戻すとイヴを捕獲しようと手を伸ばした。
しかし、冷静になるのはジルのほうが早かった。
伏せていた体勢からイヴを掴むと自分の元へと素早く引き寄せる。
騎士団長の手が空を切った。
「……くっ」
更に追おうとするが、迫る魔物に断念し剣で魔物を振り払うことを優先させた。
しかし魔物を一刀で切り伏せると、すぐにジルへと迫ろうとする。
「ちっ」
イヴをすぐに脇へと突き飛ばし、ジルも再び剣を取った。
二人の剣がぶつかりあい、剣撃を飛ばす。
「ジル……っ」
「下がってろ!」
ジルはひときわ大きく剣を振ると、イヴを庇うように前へ出た。
少しでも騎士団長からイヴのことを離したかったのだ。
「……おおおおお…っ!!」
ジルは唸り声を上げると更に一歩踏み出し、騎士団長に切りつけた。
当然受け止められたそれに、ひるむことなく何度も切りつける。
勝てるとは思っていない。
しかし一歩でも前に進まなくてはならなかった。
この目の前の男を少しでもイヴから離さなくては。
その一念だけでジルは剣を振るう。
魔物よりも他の何よりも、目の前の男が一番の危機であることをジルは身にしみて知っていた。
「随分と必死だな」
ジルの剣が押し返される。
気がつけばジルは大きく前進し、イヴ達からかなりの距離を取っていた。
しかしジルの猛攻もそこまでだった。
受け止めたれた剣は強い力で押され、少しでも力を緩めればそのまま押し切られそうだった。
ドワーフ相手に力勝負はまずい。
頭ではわかっているが、どこにも逃げ場がない。
「そんなにあの娘が大事か? かつての仲間よりも?」
騎士団長は揶揄するように笑った。
「なあ、どうにか言ったらどうだ。――ギルフォード・レイン」
ギルフォード・レイン。
それはかつて、騎士団に所属していたにも関わらず盗賊と内通し、王国の財宝を抜き出していた最悪の裏切り者の名。
そしてそれは、ジルが捨てた名だった。
「ずっと消息を隠し、息を潜めて姿を現さなかった貴様が、あの娘のためならすべてを捨てるか」
「うるせぇ……っ」
引き絞るような声しか出せない。そんなジルの様子に騎士団長は「あの娘は貴様の正体を知らんのか」と笑った。
「馬鹿な男だ。そのままおとなしくしているのなら、昔のよしみで見逃してやったものを。よりにもよって国家に牙をむくなど」
硬質な音を立てて、ジルの剣は弾かれる。
間合いを取って体勢を立て直そうとするが、向こうが打ち込んでくるほうが早かった。
「……くっ」
呻いてとっさに受け止めるが、攻守はすっかり逆転していた。
それも当然だ。力量差は始めから明確だった。感情にまかせて後先考えず、ただジルが突進して攻めていただけだったのだから。
これ以上は後ろに下がれない。
下がればイヴとリオンに近づくことになる。
しかし下がらねば斬られてしまうだろう。
「ジル……っ!」
イヴがこちらへ駆け寄ってくる。
「来るな!!」
しかしイヴは耳を貸さない。
そのまま真っ直ぐに走りよると、
「こっちを向きなさい! 美少年!!」
「誰が美少年だっ!!」
その言葉に思わず騎士団長はイヴの事を見てしまった。
それが命取りだ。
「魅了魔法!」
騎士団長の動きが停止した。
「急いで! 一分は持たないわ!」
「くそっ、無茶しやがってっ!」
ジルはすぐさまイヴとリオンを肩に担ぎ上げ、一声唸り声を上げた。
「筋力強化!」
それと同時にジルの両足の筋肉が一気に盛り上がり、人のそれではなく狼の足のように変化する。
そのまま地面を蹴ると、長く跳躍した。
それは跳ぶというよりは飛ぶといったほうが正確なのではと思うほどの高さと距離だった。
イヴはそのまま背後を振り返る。
イヴの魅了魔法はイヴが相手を魅了できている間のみは有効だ。しかし強い目的をもつ人間を魅了させ続けるのはとても難しい。しかも踊りを披露しているわけでもないのだ。見た目と仕草だけでは限界がある。
実際に騎士団長はもう体の自由を取り戻したようだった。
「もう魔法は使えないわ!」
イヴの魔力は多い方ではない。連発すればそれ相応に回復に時間を要した。
「黙ってろ! 舌を噛むぞ!」
ジルはひたすらに沼地を飛ぶようにして駆けた。
ジル達が向かう先の空は黒く陰り、暗雲が立ちこめていた。