4.勇者の憂鬱
ランスウェルズ王国
この世界の中でも有数の大国家である。
有名な名産品は農業国家のため芋とトウモロコシだ。しかし有名とはいえど当社比であって実は他国では一見ぱっとしない品なのもあり、名産品などはあまり知られてはいない。
この国のもっとも有名な生産品はそれらではなかった。
「さて、困ったことになったな」
最初に口火を切ったのは、議席の一番端に位置する男だった。
「『魔王の子』が教会から逃亡するとは……、教会の危機管理は一体どうなっているんだ。これは責任問題だぞ、教皇殿」
「では責に問われるのは当然貴方でしょうね、騎士団長殿。なにせ教会の警備に関しましては騎士団の方に全面的に一任しているのですから」
「なんだと……っ!」
銀色に輝く鎧を着込み、じゃらじゃらと憲章をつけた燃えるように赤い髪の騎士団長と呼ばれた男が声を荒げて立ち上がる。
純白に金の刺繍で縁取りがされた法衣に身を包んだ銀の髪を美しく結い上げた教皇と名指しされた老齢の女性が、それを見てふふん、と嘲笑った。
2人は、机を挟んで睨みあう。
「まぁまぁ」
それを咎めたのは一番の上座の立派なビロード張りの玉座に腰をかけた、白髪交じりの黒髪をなでつけて王冠をかぶった男だった。
ランスウェルズ国、国王だ。
王のその静かだが威厳のある声に、騎士団長は決まり悪げに椅子に腰を下ろし、教皇はそしらぬ顔で澄まして見せた。
2人のその様子に国王はため息をつく。
「二人とも言葉には気をつけてねー。ほら、責任ある立場だといちいち言葉尻をとらえられて大変でしょ」
声と容姿は威厳に満ちているが、口調は軽い国王である。国王の話し方こそよっぽどまずいのではないかと思いつつ、誰もそこの指摘はしない。
というか、できるわけがない。
周囲のそんな微妙に据わりの悪い思いはものともせず、国王は「それに……」と、のうのうと言葉を続けた。
「騎士団長。これは『逃亡』ではなく、『誘拐』だよー」
その言葉にはっと、二人は同時に息をのむ。
「魔王の子が自ら我が『庇護下』から逃げ出すなど、まぁ、あったら困るよねー。そうでしょー?」
それは問いの形を取っていたが、求めているのは意見ではなく同意だけだ。
「その通りですわ、陛下。我が教会は世界が危機に陥らぬよう全力を尽くしてきました。体制も万全で魔王の子が自ら逃げ出すような環境ではありません」
「その通りです、陛下。我々も世界の平和のために全力で警備に当たっておりました。それこそ狼藉者が侵入するなどの事態がなければ、まだ幼い魔王の子が自ら出て行くのを見逃すような失態はありえません。むろん下手人を取り逃がしたことは言い訳のしようがありませんが、誘拐したのは年端もいかぬ少女だとのこと。一度はその姿に情け心をかけてしまいましたが、すぐに捕らえられることでしょう」
国王の意向を受け取って、すぐに二人は同意を示すと、お互いに息が合ってしまったことが気にくわなかったのか、お互いの顔をにらんだ。
これは責任の押し付け合いだ。厄介な魔王の子がランスウェルズ王国に生まれ落ちてしまった時から延々と行われ続けている茶番だ。
先代『魔王』が討伐されて早7年。その魔王が亡くなって、一年ほど経過した頃にその『魔王の子』は発見された。
見つかった新たな魔王は、わずか四歳の子どもだった。
魔王の子が見つかった当初、その待遇をどうするかで世界中が揺れた。
魔王ならば殺せば良い。
しかし、まだなんの罪も犯していない、魔王の力を持った『人間の子ども』を殺すのはどうか。
各国の首脳や学者、一般の民達までも巻き込んだ喧々諤々の議論へと発展したのだ。
いっそうのこと、誰にも見つからないうちにもみ消せていれば良かったのだ。しかし、そうはならなかった。なぜならば発見者はランスウェルズ王国以外の者だったのだから。
今すぐ殺せという声と、人非道的だという声と。
悩んだランスウェルズ王国がとった決断は、生かしたまま、しかし監視下に置くというどっちつかずな案だった。
けれどそうするしかなかったのだ。
どちらかを選べば必ず各所に角が立つ。
自国での保護を自ら名乗り出ることにより、自国の面倒な厄介ごとを自身で処理したとして体面を保つことしかできなかった。
『魔王の子』は戦争には有利な力を持っている。
それを他国に渡すことはできなかったし、他国も引き取れば戦争を企んでいるのでは、と邪推されることを恐れていた。
そうするより他に納めどころがなかったのだ。
「このまま逃がしてやれば良いのではないですか」
結論のまとまりかけた場で、ふいに正反対の意見が響いた。
しかしそうは言いながらも、そうは絶対にならないであろう、とその場にいた最後の一人である発言者は理解していた。
上座からの国王、教皇、騎士団長の視線が一斉にその発言者に突き刺さる。
「馬鹿げたことを……」
最初にそう吐き捨てたのは騎士団長だった。
その顔は言葉通り、不愉快げに歪んでいる。
「貴方は大変慈悲深いお方。故にそのようなことをおっしゃられるのでしょう。しかし魔王の子を世に放つことは、世界を混沌に堕とすことと同義です」
次に、穏やかにそう諭したのは教皇だ。
「かつて一体何度、魔王の手により多くの人間が傷ついたことか、貴方が一番よくご存じでしょう。……勇者殿」
太陽のように輝く金色の髪に、空のように蒼い瞳。教皇以外の女性がこの場にいたならば、黄色い歓声が飛び交ったことであろう、美形の青年がそこにはいた。
一見すると優男にも見えかねないようなスレンダーな体格だが、しかし鎧からわずかに覗く随所随所には戦うもの特有の引き締まった体躯が見え隠れし、見る者が見ればそれは戦うために無駄な筋肉をそぎ落とした作り上げられた身体であることがわかっただろう。
なによりもその蒼い瞳には様々な経験を得て培われたのであろう理知的な光と強い意志が宿っており、年齢以上の落ち着きと成熟した雰囲気を感じさせた。
「君の優しさは理解してるよー?」
そんな勇者に、玉座から王の言葉が下る。
「けどねー、魔王の子の存在を快く思わない者が多いこともわかってるよねぇ。魔王に愛する者を殺された人間は魔王の子を殺そうとするかもしんないし、世界を自分の思うように支配したいと目論む人間は、まだ幼い魔王の子を利用しようとするかもしんないし」
それはこれまでに散々、世界各国で議論され尽くした議題だった。
「そして何よりも、魔王の子の存在は君が魔物達から勝ち取った平和を乱し、再びあの暗黒の時代の再来を呼び寄せかねないよねぇ」
ーー暗黒の時代。
7年前のあの大戦は、解決した今となってもまだ人々の心に影を残す、思い出したくもない悪夢だ。
魔物に身内を殺された人間もいれば、戦いのために身内を兵隊として差し出さなければならなかった人間もいる。そして魔王を倒すために国家の金はすべて戦争に注ぎ込まれ、兵器や武器の開発、騎士や兵士の遠征費用に国民の金は吸い込まれ、世界中が貧しさにあえぐ羽目に陥った。
勇者も、最初はその中の一人だった。
伝説の聖剣を引き抜いてしまうまでは。
勇者の腰にこの数年の間ずっと肌身離さず据えられ続けた聖剣が勇者のわずかな身じろぎに応じてカチャリと小さな音を立てた。
「魔王の子を自由にするわけには行かないよ。これは人類と魔王の子、双方を守るための決断さ」
そんなのは詭弁だ、と勇者は思う。
確かに言っている内容は一理ある。ある種の事実ではあるのだろう。
しかしこの王にとって一番の懸念は、魔王の子を逃したことによって生じるペナルティであり、つまりは自身の保身だ。
むろん国王自身の保身がこの国家の保身にもつながるという意味では間違ってはいないだろう。しかしいままでこの国がとってきた行動はけして魔王の子の保護という観点ではなく、国民の安寧を優先させた監禁であり、ひいては虐待じみたものでもあった。
「理解してくれるよね?」
「ええ、出過ぎたことを申しました」
けれど勇者はわかっていてもそれを否定することはしなかった。内心はどうであれ、その行動によって得られるある種の恩恵と正しさは認めていたからだ。
つまるところ、大多数を助けるための必要最小限の犠牲なのだ。あの子どもは。
それに、
(勇者といえど、所詮は下民。たかだか成り上がりの僕の意見が通るわけがない)
優秀な勇者は自身の立ち位置をとても良く理解していた。
伝説の剣を引き抜いて平民から勇者になった。
魔王もなんとか倒したものの、ぽっと出の若者に活躍を奪われた騎士団には敵視されているし、教会側は好意的だがそれは勇者が神話の中の教義と矛盾しない存在であり、勇者の存在が女神の実在を証明しているからという打算的な好意だ。
教会の教義と矛盾する行動を勇者が取れば、一気にその好意は離れていく程度のものだろう。
自分はこの国にとって優秀な駒、他国に自慢できる便利な番犬に過ぎないのだ。
忌々しいことに勇者はもうその国のシステムの中にがっちりと組み込まれてしまっていて、身動きができるとは到底思えなかった。
その勇者の返事に満足げに頷くと、この国の頂点に君臨する男は、「たった今この時をもって、魔王の子を誘拐した犯人の目的は国家の転覆であると断ずるよー」と皆の意見をまとめた。
事実がどうあれ、国の頂点がそう断じたのならばそうなるのだ。
「教皇、騎士団長、そして勇者」
3者3様、立ち上がって礼の形を取る。
教皇は優雅に、
騎士団長は恭しく、
勇者は丁寧だがそれは上っ面で、そこには何も感情を込めてはいなかった。
「魔王の子を誘拐した大犯罪者を即刻、捕縛して」
「承知いたしました」
3人の声が綺麗にそろう。
――ランスウェルズ王国。
この国で最も有名な“生産品”。
それは今代の勇者と、魔王の子であった。