39.正しいこと
「あなた達はとても重要で大事な事実を見ないふりして会話をするのね。リオンはまだ、誰のことも害してはいないわ。わたし達を傷つけたことがあるのは前の魔王だけ。この子は無実よ」
許すわけにはいかないのだ。なんとしても。
しかし騎士団長も譲らなかった。
「その子どもが事を為す為さないの話ではない。これは安全防衛の話だ。たとえその子どもに害を為す意思がなかったとしても、存在するだけで周りに悪影響を与えるのだ。それまで悪事など考えもせず日々を穏やかに生きていた人間でも、目の前に世界を脅迫できる鍵があったら誘惑にかられる可能性がある! その子どもは存在するだけで秩序を乱すのだ!!」
「秩序を為すためなら生け贄を捧げても構わないというわけね! 何の罪を犯していない子どもを傷つけて、あなた達は世界平和を作るのだわ! 正義っていうのはなんて使い勝手の良い言葉なのかしら!!」
イヴも声を張り上げる。
「我々の正義が間違っているとでもいいたいのか!!」
騎士団長は激昂した。
それは獣の雄叫びに似ていた。
「我々は常に規律を正し、己のためではなく他のために正義の旗を掲げている!!」
「――そうね、わたしも正しくありたいと思っているわ。きっとみんな、正しくいたいと思っているのよ」
騎士団長の意思にも言葉にも、偽りはないのだろう。
悪意などではない。
リオンを連れ出した時も、町や村での出来事の時も。
イヴだって、いつだって正しくありたかった。
正しくあると信じていたかった。
「だってそのほうが、とても楽だもの」
心が楽だわ、そうつぶやくように告げるイヴの声には自嘲の色があった。
「誰だって間違いたくはないわ」
性善説と性悪説というものがあるけれど、先天的か後天的かはともかく、きっと人は正しいことに安心を感じる性質になっているのだろう。
だから言い訳が必要なのだ。自分と周りを納得させるために。
「正しいことって状況とか時間とか、そんなことで変わってしまうのね。とても勉強になったわ」
それは騎士団長に対してだけの言葉ではなく、自身に言い聞かせる言葉でもあった。
その静かで仄暗い瞳に、騎士団長は気圧される。
動揺で、手に握っていた剣の切っ先がぶれる。
その揺れにあわせてイヴの首の皮が傷つき、わずかに血が流れた。
それでもイヴの視線は動かなかった。
琥珀の瞳は責め立てるような色をしていた。
それはまぎれもなく糾弾だった。
騎士団長と、それ以外の人々と、
そうしてイヴ自身のことをも、糾弾していた。