34.メラニー
イヴの言葉にメラニーは息を飲む。しかしそれは一瞬だった。
「だったら何よ」
勝ち気な唇は引き結ばれて強い言葉ばかりを吐き出す。
「現実にはちっとも守られてないわよ。馬鹿じゃないの……っ」
「……そう、そうね」
イヴはぼんやりと同意する。
彼女のことはきっと逆立ちしてもイヴにはわからない。
リリアーナの町の時とこれでは一緒だ。
ただの言い合いになってしまう。
イヴはあの時確かに屋台の男を倒してやりたかったが、メラニーを倒したいとは思えなかった。
一体どうすれば良いのだろう。
一体どうすれば彼女は笑えるのだろう。
宴会の席でイヴが会話した女性は確かにメラニーだった。
今目の前で悪態をついているのも、確かにメラニーだ。
どちらかが嘘で、全く存在しないなどとは思えない。
きっと宴会の時に見た姿は、心に余裕がある時のメラニーの姿だったのだ。
悪い魔女に呪われた物語の主人公のように、貧しさと逃げ場のない現状が彼女を追い詰めて変化させた。
イヴは荷物の中から財布を取り出した。
「おい」
それを見てジルが何かを言いかけるが、イヴは取り合わなかった。
半分ほど中身を取り出してハンカチを取り出してそこへ包む。
ひざまずくとメラニーの縄を解き、その手にハンカチを握らせた。
「ほんの少しだわ。でも足しにはなるでしょう」
メラニーの顔からざっと血の気が引いた。
次いで、一気に真っ赤に染まる。
「……こんなものっ!!」
メラニーはイヴの身体ごと、お金をはねのけた。
お金の入ったハンカチが鈍い音を立てて床に落ちて打ち付けられる。
はねのけられたイヴの手の甲と頬が赤く染まった。
イヴは恐る恐る、思わずつむっていた目を開いて彼女を見上げる。
立ち上がった彼女の瞳は怒りで燃えていた。
「ふざけるんじゃないよ! 余計な同情なんかして! あたしは誰かにものを恵んでもらったりなんかしない!! 物乞いなんかと勘違いするんじゃないよ!!」
それは慟哭だった。
獣の咆吼のように、髪を振り乱して叫ぶ。
「哀れむな! 見下すな! なめるな! あたしはそんな惨めな奴じゃない!!」
イヴは地面に転がったハンカチを見て、呆然とした。
ほつれた結び目からわずかにコインがはみ出している。
彼女の言っていることの意味がまったくわからなかった。
「イヴ!」
ジルとリオンが駆け寄ってくれる。
身体を支えてもらいながら、イヴには「どうして」とつぶやくことしか出来なかった。
「これは、あなたが望んだことでしょう……?」
「何を言って……っ」
イヴは、彼女の目を見つめる。
彼女は、彼女達は、イヴ達のことを殺して金銭を奪おうとしたのだ。
最初に彼女が望んだはずだ、お金が欲しいと。
イヴはすべては差し出せないが、彼女が望むのならば少しなら構わないと思ったのだ。
彼女達の生活の糧になるのならば、自分の糧を差し出しても構わないと。
「相手を殺して奪うことと、頼んで貰うこと、結果に何の違いがあるというの?」
どちらも事実として存在する事象は、他者から物が渡るだけではないか。
「どうして? 誰かを傷つけて物を奪うことよりも、お願いして物をもらうことのほうが、貴方にとっては悪いことだっていうの?」
そのイヴのささやかな疑問に、彼女の動きがぴたりと止まった。
イヴはその瞳を見上げる。
滲んだ涙を、しかし流したくはなかった。
表面張力で下瞼に溜まった滴を溢さないように、目を大きく見開く。
視界はふやけて曖昧だ。
頭の中だって混乱してしまって、もう曖昧だ。
「誰かから何かを受け取るのはそんなに恥ずかしいこと? 誰かから無理矢理奪い取ることよりも?」
それのどこがいけないのだ。
話し合って分け合おうと決めたならそれで良いではないか。
持っているものが多い側が少ない側に受け渡す。
それのどこが悪いというのか。
もちろん与えられることに慣れて、手に入れよう、礼を返そうという意思がなくなってしまうことは困る。
しかし本当に困った時。どうしても自分ではどうしようもなくて、身動き一つ取れなくなってしまった時に、さしのべられた物を受け取るのはそんなにいけないことだろうか。
それを侮辱と言うのか。
感謝しろとは言わない。いらないのならばそれでも構わない。
しかし、――殺して奪ってまでも欲しかったのだろう?
「ねぇ、悪いことをしてでも欲しかったものが悪いことをせずに手に入るのに、それは捨ててしまうのは、なんで?」
メラニーは答えを教えてはくれなかった。
引き結ばれた唇は開かない。
「落ち着け」
「……ジル」
イヴはすぐそばの顔を振り仰いだ。
その動作がやっとだった。
「よく知らねぇ他人の不幸なんかより、てめぇのプライドのほうが大事なのが人間ってもんだ」
それだけ告げるとジルは懐から何かを取り出して、メラニーの足下へと投げた。
彼女はそれに脅えたようにわずかに後ずさる。
ジルは鼻を鳴らしてそれを見た。
「それはやる。てめぇの旦那がプライド投げ捨てて、家族のために譲ってくれといったもんだからな」
メラニーは、はっと目を見張ってそれを見た。
ジルの投げたのは、一つの宝石だった。
明かりを反射して、きらきらと輝いている。
残りの二つの宝石は背後に控えている村人達のほうへと投げた。
それが宝石だと気づいた村人達は、一斉にその宝石に群がり奪い合いを始める。
そこには昼間の宴会の時の仲むつまじい様子は、かけらも認められなかった。
「いらねぇなら、その辺のどぶにでも捨てろ」
メラニーは何も答えられず、ただ呆然と立っていた。
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