26.お礼の話
「後はこの道を抜ければ表通りに出る」
「ありがとう、助かったわぁ」
意外なことにリーダー格の男の子は別に他の子に比べて体格が大きいわけではなかった。
どうやら求心力や指導力と単純な腕力は別物らしい。リーダーの子だけでなく、他の子達もよそ者が珍しいのかぞろぞろと着いてきている。
子ども達はどうやら孤児であるらしかった。
話を聞くとこの花の町は文字通りの花の栽培を生業にしているだけでなく、いわゆる色街も売りにしているらしい。
女の子ならばそのまま色街の住人になるが、男の子はわずかな護衛役を除いて外へ捨てられてしまうという。
中には内緒で作った子や、女の子ではあるものの親が同じ道を辿ることを哀れに思って外へ逃がした子なども混じっていると教えてくれた。
彼らの存在はこの町の住人にとっては暗黙の了解のようなもので、物乞いをしたりごみを漁ったりしてなんとか生きているとのことだった。
表通りに出るともうすでにあの苛烈なパレードは通り過ぎた後のようだ。
そのことに少しほっとする。またあれにもみくちゃにされてはかなわない。
美味しそうな肉の焼ける匂いにすぐ近くに屋台があることに気づき、イヴはみんなに着いてくるよう手招きすると屋台のおじさんに声をかけた。
「その肉の串を13本ちょうだい」
肉はどうやら牛の肉のようだ。そこそこ分厚い塊が6個ほど串に刺さっており、とてもボリューミーだ。甘辛いタレがたっぷりとかかっていてその刺激的な匂いも食欲をそそった。
子ども達もそのごちそうの匂いとイヴの行動にもらえると悟ったのかぞろぞろと屋台を囲む。
屋台の回りに子ども達の円ができた。
しかし屋台を開いている男は、ちょいと不愉快そうに顔をしかめると、すぐには串を差し出さなかった。
「お嬢さん、まさかとは思うが、その買った串をそいつらにやろうってんじゃないだろうな」
「だったらなぁに?」
屋台の男はまるで重大な問題ごとを提起するかのような仰々しさでイヴにのたまったが、イヴにはまるでその問題ごとが何なのか検討がつかなかったので素直に問い直した。
すると男は大げさに驚いて肩をすくめて見せる。
「冗談だろう? そいつらは浮浪児だぞ。そんなやつらにうちの品をやろうなんて……、よそでやってくれよ。うちの評判が下がっちまう」
ご丁寧に犬を追い払うような仕草つきだ。
イヴは理由がわからず、いぶかしげに首をひねる。
わざわざそんなオーバーリアクションを取られる意味もわからなかった。
「あら? どうして評判が下がってしまうの?」
「当たり前だろ。物乞いにものを恵んでやるなんて……」
男はイヴの直裁な物言いにしばし言いよどんだが、すぐに意を決したのか言い切った。
「害獣にえさをばらまいてこの近辺に良く出るようにしちまうようなもんだ。よそに迷惑がかかる」
イヴにはその理屈が全くもって理解できない。
男がさも当たり前の常識かのように口にするその態度も含めて疑問だった。
イヴには時々このようなことがあった。周りの自分の認識がズレるのだ。そしてそれはきっとイヴの生まれが関係している。
イヴの元いた世界と、この世界の認識はきっと違うのだ。
しかしだからといって、合わせられる内容と合わせられない内容がイヴにもあった。
「彼らはこの町の一員よ。どこにいようが自由なはずだわ」
「景観を損なう」
イヴはぽかん、と口を開ける。
質問の答えになっていない。
それどころかなんの言い訳にも理由にもなっていなかった。
しかし目の前の男がまるでこれがこの世の真実かのような口調であまりにも堂々と語るものだから、イヴは自分が間違っていたのかと錯覚しかけてしまう。
いや、そんなわけがない。
景観を損なうだなんて、だからと言って彼らを追い払って見て見ぬふりをして、それで一体どうしようというのだろうか。一体何が解決するというのだろうか。
彼らの出入りを制限したところでそれには何の意味もない。
これはもっと根本的に整えなければ解決しない問題だろう。
「それはこの事態を見過ごしてきたこの町のやりようの問題であって、彼らに責任があることではないわ」
ひとまずイヴはそれだけを口にした。
「じゃあ町の代表に今すぐ掛け合って来いよ。このガキどもに飯を売ってもいいっていう法を作れってな! そしたら売ってやるよ!」
イヴは絶句する。
この男は一体何を言っているのだろう。そんな話は今何一つしていないというのに。
「法律を作れなんて言っていないわ。彼らが孤児なのは彼ら自身の責任ではないし。彼らが孤児なことで被る被害があるのならば、そもそも孤児を作るような町の運営方法を見直すべきだと言っているのよ。だから景観を損ねるなんていう理由で物を売ることを拒否するのは不当な行為だと言っているの」
男は難しい話が出てきたからか、もしくは反論がすぐには思いつかなかったからか、苛立たしげに舌打ちをした。
「よく知りもしねぇガキが、余計な口出ししてんじゃねぇよ。偽善者づらしてんじゃねぇ、みっともねぇ」
「偽善者?」
眉をひそめる。
さっきから本当に話がちっとも噛み合わない。
イヴがしているのは偽善とかなんとかなんていう問題の話では全くないし、男にそんな言いがかりをつけられる心当たりも全くなかった。
「ねぇ、さっきからあなた、勘違いをしているようだけど。これは施しではなくてお礼よ。道案内をしてもらったからそのお礼をしているの。それは人として当然のことじゃなくて?」
「それが偽善だっていうんだ。そんな薄汚れたガキどもにお礼だ? 良い子ぶりっこもほどほどにしときなよ」
だからそういう問題じゃない!
苛々して地団駄を踏みたくなるが、なんとかこらえる。
自分の言いたいことをどうしたらこの目の前の分からず屋に適切に伝えられるのかがイヴにはちっともわからなかった。
「偽物でも本物でもぶりっこでもなんでもいいわ!」
とても冷静にはなれず、イヴは声を荒げてしまう。
心がとげとげとして、とても攻撃的になるのが自分でもわかった。
「『今あなたにご飯をあげたらみんなに偽善者と言われるからあなたにはご飯をあげません』、なんて、そんなくだらないことをわたしに言わせたらあなたは満足なのかしら?」
「今ここで議論してるのはそこじゃねぇ。下手にえさをやってその責任は取れるのかって話だ」
「あら、これって議論だったの。ちっとも知らなかったわ!」
イヴの嫌みに男は鼻を鳴らして取り合わない。
「一度味をしめれば人間は何度でも同じことを繰り返す。一度うまい飯にありつければ何度でもここに群がりやがるぞ」
その言葉に子ども達が沸き立つ。
「誰が群がるか、くそじじぃ! てめーになんぞ何も期待してねぇよ!!」
「てめぇの面みてから言いやがれ! けちが顔にでてるぜ!!」
「それは今俺が言ったからそう言ってるだけだろうが! 言わなかったら来てたに決まってる!」
子ども達のヤジに、男も怒鳴り返す。
「道案内をするたびにおこぼれ狙って道をうろうろして観光客とトラブルを起こすに決まってるんだ!! てめぇはその責任を取れるのかっつってんだよ!!」
子ども達に怒鳴りながら、最後はイヴへと敵意を向けた。
ふんと鼻を鳴らすのは、今度はイヴの方だった。
「それは責任を取る取らないという話ではないわ。彼らの正当な権利を主張しているのよ」
ずいと前に一歩出て、男へと指を突きつける。
もう何もかもが腹立たしくて、頭の中が真っ赤に染まるような心持ちがした。
「彼らが町中に出てきてははいけないという決まりがあるとでもいうの? ないのならすっこんでなさい! あるのならば、それはゆゆしき問題だわ!!」
反論のために口を開きかける男よりも早く、イヴの言葉のほうが続く。
「それを問題だと思わない、あなた達が問題だわ!!」
それはその通り中に響き渡るほど、大きな声だった。
そのイヴの鋭い糾弾の声に、祭りに浮ついていた人々の空気が一瞬でひび割れて凍り付く。
通りにいるすべての人の視線がイヴに集まっていたが、見られているのはイヴだけではなかった。
イヴの方だってずっと、周囲の人々のことくらい見えていたし見ていたのだ。
「私はあなたにだけ言ってるんじゃないのよ! 今聞き耳を立ててるあなた達、全員に言っているのよ!!」
ぐるりとイヴは背後を振り返る。
イヴに視線を向けられた人々がぎくり、と肩をこわばらせて少し後ずさった。
「他人ごとづらして突っ立ってるんじゃないわよ! 文句があるならはっきり言いなさい! 聞いて上げるわ!!」
イヴは通り中を見渡して、一人一人の目をしっかりと見て睨み付けた。
とたんにみんな気まずそうに目をそらすと、口々に「店の片付けが……」「家の手伝いが……」などと言い訳を小さくつぶやきながら立ち去ってゆく。
2分もすれば先ほどまでの喧騒はまるで嘘だったかのように、その通りはがらんとしてイヴ達だけが残された。
それを見て、ふんと鼻を鳴らすと改めて屋台の男に向き直る。
言いたいことを叫ぶだけ叫んで、ほんの少しだが頭に理性が戻ってきたのを感じた。
向き直ると男は不機嫌そうな顔をして押し黙っていた。
きっと今必死に頭の中で反論の言葉を探しているのだろう。
イヴも頭の中で言いたいことを慎重に組み立てて、どうすればこの目の前の男から肉の串をぶんどれるかを改めて考える。
「あなた、さっきから浮浪児だのなんだのととても立場にこだわりがある人なのね。ならば、お客さんとお肉屋さんという立場も尊重してもらいたいわ」
イヴは仁王立ちして胸を張る。
そうして掌で自分の胸を強く叩いて見せた。
「わたしは客よ、そしてあなたは焼き肉屋さん。お金はきちんと払うと言っているし、犯罪行為も犯していない。立場的には何も問題ないはずだわ。あなたは焼き肉屋さんとしての義務を果たすべきよ。 どう? わたしはあなたの職務以上の、過分な要求をしているかしら?」
理性が戻ってきたのかもしれないと思ったのは錯覚だったかも知れない。
声を荒げたりはしなかったが、わりと攻撃的な物言いになってしまった。
しかし面倒くさくなったのか、周囲の反応が気にかかったのか、あるいはその両方か、うんざりとした男がおとなしく肉の串を差し出してきたので、まぁ納得はいかないが今はこれで良しとしてやろう、とイヴが心の内で妥協して串を受け取ろうと手を伸ばすと、
「ガキの屁理屈には敵わねぇな。まぁ、俺は大人だから譲ってやるよ」
大人なら最初から突っかかってくるなよ。
言いたい事は山ほどあったが、これでまた売る売らないの押し問答になってはそれこそ敵わない。
イヴは実利を取って押し黙ることを選択した。