23.迷子
「悪いことをしているとギルフォード・レインが攫いにくるぞ」
子どもを叱る時に最近良く聞く定番の文句が聞こえてきて、花びらの舞い散る幻想的な世界の中でふいにイヴは現実に引き戻されたような気がした。
「城下以外でもギルフォード・レインって知られてるのね」
「……ああ、最悪な悪党だからな」
ジルは興味なさげにちらり、と視線を寄こす。
「それよりも次はあっちの店だ。干し肉を買いに行くぞ」
「はぁい」とイヴはリオンの手を操って上げさせて返事をした。
翌日、イヴ達は老女に挨拶を済ませると買い出しに出た。買い出しが終わればそのままこの町とはおさらばだ。可能な限り素早く買い出しを済ませて出て行かなくてはならない。
さっさと歩き出してしまったジルの若干不機嫌そうな態度に疑問を抱きつつ、後に続こうとする。
しかしその動きは途中で止まってしまった。
手を握っていたリオンの動きが止まったからだ。
「どうしたの?」
問いながらリオンの目を覗き混むと、その視線はあるものに釘付けになっていた。
最初は小さかったそれが何かはっきりとしなかったが、徐々に近づいてくると正体がわかった。
「パレード?」
その瞬間、どっと周囲から歓声が沸きその質量に圧倒される。
パレードの中心である台車は美しい6頭の白馬にゆっくりと引かれて現れた。高さは両側の家の屋根を越えるほどに高く、薄紅の花と白の水色のリボンと風船で飾られている。台車の周りを囲んで並んで歩く女性達は初日に案内をしてくれた女性と同じく白いワンピースと花を身にまとって、籠から花弁を辺りに振りまいていた。
台車の上から一人だけ赤いドレスを着た女性がステッキのようなものを取り出して音楽に合わせて振っている。
どうやらその女性のステッキの振った方向を合図に、花びらを舞い散らしているらしい。
台車の上の女性がステッキを一際大きく振って見せると風が巻き起こり、周囲の花びらをかき集めて空中に大きなハートを描いた。
呪文は距離が遠くて聞こえなかったが、おそらくは風を操る魔法だ。
「すごいわねぇ」
パレードの邪魔にならないように少し後ろに下がりながら声をかけると、リオンも興奮したように頬を紅潮させて無言でうんうんと頷いた。
けれど困った。いきなり人が集まったせいでジルとはぐれてしまった。
実はつい先ほど散々はぐれないようにとジルに注意を受けていたイヴである。
(まぁ、いいか。馬車まで行けば会えるでしょう)
町を出立する時間もまだ先だし、パレードが通り過ぎて人がはけてから馬車に向かえばいいのだ。人混みで身動きがとれない現状に合流をそうそうに諦めると、イヴはリオンを背後からぎゅっと抱きしめた。
リオンとはぐれないのが今は第一優先である。
「おっ?」
しかしそうしていると、人の波にあっという間に飲まれてしまった。
思いっきり肩を誰かの背中に押される。
「……とっ、」
慌ててたたらを踏むが、その先にも人の腹があり小突き返された。
「……はっ?」
よろめいた先にはやたら元気に歓声を上げる女性達がいて、そのうちの一人が振り回した腕がイブの頬を打つ。
なんとかリオンの事だけは抱きしめて死守したが、それが精一杯だった。
「……んぐっ」
よろけて尻餅をついた先は道の隅の隅、路地裏への入り口のような場所だった。
ぽかん、とリオンと二人で座り込んだまま眺める先には人の海だ。
「すごいね……」
「そうねぇ、すごいわねぇ……」
美少女の頬を打つなんてっ、と怒る気にもならないほどにすさまじい熱量だ。
とてもあの波の中に戻ろうという気力は湧かなかった。
とはいえいつまでもこうして座り込んでいるわけにもいかない。
なにせ下手をしたら踏まれかねない勢いなのだ。
その事実に気づくとぞっとして、慌ててイヴはリオンを抱えて立ち上がると行き場を求めて周囲を見渡したが、自分の背後にしか道は開けていなかった。
すなわち、路地裏の中だ。
裏路地といっても宿屋があった付近よりも更に狭く薄暗い。
「…………お邪魔しまーす」
「おじゃまします」
正直迷いそうだが、背に腹は代えられない。
イヴは暗闇の中へと足を踏み出し――、案の定、数秒で迷子になった。
イヴ至上、過去最高の速度である。