1話
あたしが結婚したのは、まだ十五歳の頃だった。
今は四年が経って、十九歳になっていた。あたしは元々、男爵家の出身だ。夫であるエマーソンは伯爵家の当主である。年齢はあたしより、三歳上の二十二歳だ。子はまだいない。
結婚して、もう四年目だが。なかなかにできないので義両親からはせっつかれていた。まあ、仕方なくはある。あたし達は白い結婚だから。今日も今日とて刺繍に精を出すのだった。
今日は、百合の花の刺繍をチクチクとやっていた。なかなかに難しいが。やり甲斐はある。エマーソンは現在、王城に行っていていない。彼は財務省の官吏をやっている。それなりに仕事はできるらしい。家令がこっそりと教えてくれた。
「……奥様、オーリエ奥様。もう、お昼ですよ」
「あら、もうそんな時間なの?」
「はい、一旦休憩なさってください。根を詰め過ぎるのも良くありませんよ」
声をかけてきたのは、あたし専属のメイドのカリアだ。頷いて一旦、針を止める。玉留めをしてから、糸切りバサミを取った。余った糸をパチンと切り、針をピンクッションに刺す。まだ、途中の布地をカリアに預けた。
「これを寝室の棚の中にでも入れてきて」
「わかりました」
カリアは頷いて、寝室に入っていく。あたしはふうと息をつきながら、肩をグルグルと回した。コキコキと骨が鳴り、肩が凝っているのがわかる。やはり、根を詰め過ぎるのは良くないか。そう思いながらも後片付けをしたのだった。
カリアが戻ってきた。あたしはそろそろ、昼食の時間なのを思い出す。
「ねえ、カリア。もう昼食の時間ね」
「そうでしたね、今から持ってきます」
「お願い」
そう言うと、カリアは部屋を出ていく。見送ったのだった。
あたしは、待っている間にお裁縫箱を続き部屋にある棚に仕舞う。扉を閉めて先程までいた応接室に向かった。一応は伯爵夫人だから、あたしが使う部屋自体は広い。実家の自室よりは余程と言える。ほうと息をつきながら、ドアを開けた。
「……奥様、お食事を持ってきました」
「あ、そうなの。ありがとう」
「はい、昨日は召し上がらなかったですし。ちゃんと今日はとってください」
あたしは仕方ないと頷く。カリアはテーブルにトレーを置いた。今日のメニューは白パンにミネストローネ、サラダに白魚のソテーだ。どれもあっさりしていて食べやすい。あたしは遠慮なくいただいた。
「うん、どれも美味しいわ!」
「奥様、せめてミネストローネくらいは完食なさってくださいね。食が細くていらっしゃるのは昔から存じていますが」
「わかった、ちゃんと食べるから」
頷くと訝しげにカリアは見てくる。信じられないようだ。まあ、仕方ないか。こちらに嫁いで間無しの頃はあまり、食欲が湧かなくてスープやパン粥ばかりを食べていた。その事をカリアは言いたいのだろう。
「……奥様?」
「何でもないわ、全部一通りは食べるから」
「無理はなさらなくていいですよ」
あたしはカリアに苦笑いをしながらも首を横に振った。
「無理はしていないの、ちゃんと完食をするわ」
「はあ」
あたしは再び、フォークやナイフを手にする。白身魚のソテーを食べ始めた。
うん、これならイケそうだわ。そう思いながら、ゆっくりと食事を進めた。
何とか、四十分くらい掛けて完食する。カリアはにこにこ笑いながら、褒めてくれた。ちょっとは安堵できたらしい。余程、心配を掛けていたようだ。
「では、食器やカトラリーを片付けますね」
「うん」
カリアはてきぱきとテーブルの上を片付ける。あたしも立ち上がり、お裁縫箱を再び取りに行く。刺繍を再開するためだ。寝室に向かった。
その後、刺繍を夕方になるまで続ける。また、カリアに今度は夕食だと告げられた。仕方ないと針を止めて、片付ける。カリアは今夜は食堂でとったらいいのではと勧めてきた。何故かと訊いてみる。
「あの、今日は旦那様が早めに帰って来られたんです。奥様と一緒に夕食をとりたいとか」
「ふうん、一体どういう風の吹き回しかしら。今まではずっと、放ったらかしだったのに」
「まあまあ、さ。早めに食堂へ行きましょう。旦那様が待っておられます」
あたしはため息をつきながらも立ち上がった。カリアと二人で食堂に向かった。
食堂にたどり着くと、中に入る。長テーブルがでんと置かれていてその一番奥に旦那様もとい、エマーソンが座っていた。短く切り揃えた鮮やかな赤茶色の髪に濃い紫の瞳が麗しい超美男がエマーソンだ。性格は冷酷で情け容赦ないけど。気を許した者にはどこまでも親切らしいが、許していない者だとどこまでも冷淡だ。あたしは結婚した当初から、彼が大の苦手だった。一番の理由は怖いからだ。近寄りがたくもあるし。
「おや、久しぶりだな。我が妻よ」
「……お久しぶりです、旦那様」
不意打ちで声を掛けられた。何とか、声を絞り出して答える。
「そんな離れた所にいないでこちらに来なさい」
「はあ」
仕方なく、あたしはエマーソンに近づく。ゆっくりと距離を詰めていたが。向こうは焦れったくなったのか、座っていたのに立ち上がる。大股で距離を詰めてきた。
「だ、旦那様?!」
「……別に今は取って食いやしない、オーリエ」
「はあ、ですけど。あたしは隅っこで大丈夫ですから」
「君は何を言いたい、ちゃんと俺の隣に来なさい」
「わかりました」
エマーソンはため息をつきながら、再び座っていた椅子に戻る。あたしも執事が引いてくれた椅子に腰掛けた。ちなみにエマーソンのすぐ隣だ。前菜から給仕係の使用人が置いてくれる。フォークを手に取り、もしゃもしゃと食べた。なかなかにあたしでも食べやすいようにしてある。黙って、咀嚼を繰り返した。