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『目ん玉』

作者: 上野ニッカ

 独り、スーパーからの帰り道を酒の入ったレジ袋を片手に歩いていたのは早春の暮れのことだ。僕は春一番の芽吹きを感じて、吐息を漏らして、ほの暗い帰り道で徐々に移りゆく季節を感じていた。シンクに溜まった皿がどぷんと海深くに沈む音が聞こえる。空を見上げれば曇天で遠くには自衛隊の戦闘機が飛んでいた。

 小学校に入って好きなものと嫌いなものを書いた。好きなものは「窓から見える景色」、嫌いなものは「それ以外」と書いた。でも、それ以上に嫌いだったのは周りと比べる先生とか、その時代、2000年代だったんだと気付いた。

 ラジオはなんでも教えてくれた。今日は晴れだとか、TBSのドラマは面白いだとか、あの芸人がエンタに出れなくなったとか、ゲラゲラ笑いながら独自の世界を作っていた。僕は窓を閉め切って外にたびたび徘徊する「金属バット」に恐れながらボリュームを小さくしてラジオを聞いていた。そして気づいた。2000年代が僕の「それ以外」に入るものなんだったんだって。

 2009年7月9日、晴天。僕は交通事故に遭った。国道二車線の道をちゃんと青信号で渡った時だった。迂回した軽自動車とぶつかったのだ。しばらくはICUで治療を受け、なんとか歩けるくらいには、そして喋れるくらいにはなった。女の子が病室に来て、「晴也くんは大丈夫?」とか言うから、わざと知らないフリをして狸寝入りをしていた。目をつぶって、彼女の声をただ聞いていた。女の子は僕の躰を揺する。

 好きだったんだろう。彼女のことを。彼女は「みなみ」という女の子だった。東西南北で覚えていた。「みなみ」もそう呼ばれると「春夏秋冬」って返して笑い合っていた。

 医者は僕にこう語りかけた。「目は見えるかい?」

 叔母に介抱されて医務室の椅子に腰掛ける。目に違和感があったのだ。目を開いてる感覚はある。うっすらと世界が見える。でも、それが何か判別するのは難しい。医者は続ける。

「晴也くんは...もしかしたら、両目とも失明する可能性があります。」

 僕が2000年代に見放された瞬間だった。僕は1番嫌いなものはもう既に見えなくなってしまった、この掌に感じ取れるもの、それが「それ以外」に入ったんだろう。

 僕は盲学校に入れられた。それでも「みなみ」は隣のクラスだからと来てくれた。反抗的な僕を外に出してくれた。ここが校庭だよとか、ここがブランコだよとか、手を握って彼女と歩いた道は22になって目が見えるようになってもわからない。

 夏休みに入り、学校にまで「みなみ」の手で連れていかれると、ブランコを触らされる。

「どう?ここでよく遊んだよね?」

 僕は目を閉じながら頷いた。彼女の表情はわからない。

「目が見えないって言っても手術したら見えるかもしれないって。」

彼女は僕以上に再生医療に賽を振っていた。

「一生こうなんだよ。僕は。みなみには悪いけど、みなみは健常者と遊んだらいいんじゃないか?僕みたいな障碍者と遊んだって得はないよ。」

 沈黙があって、彼女は僕にキスをした。それは突然だった。「晴也のばか。」そう言って、僕をぐいぐい手を引っ張り、家まで送って去っていった。僕はケロロ軍曹が流れている居間でぼおっと風鈴の音を聞いていた。

 彼女が転校することが決まったのは運命の悪戯かもしれない。彼女は上級生に上がる頃にはクラスのマドンナのような存在だったらしい。僕はイギリスの大学病院で眼球の手術が決まっていた頃だ。そして、僕は渡英した。父が資産家なのもあって、医療費は父が工面してくれた。

 端的に言って手術は成功した。そのニュースは新聞社が報じ、僕の好きだったラジオのあの芸人も僕のことを「資産家マネーでできたキャンペーンボーイ」と茶化してくれた。元々僕が小学生のくせにハガキ職人だったのもある。

 日本に戻って普通の学校に戻っても「みなみ」はいなかった。彼女はどこにいるのか、目が見えるようになって初めてわかった。キスした場所も、彼女の思いも手の温もりだけが覚えているんだと。

 物思いにふけて家に帰ると同窓会のチラシがあった。僕は買った缶ビールをテーブルに並べ、封を切ってそれを見る。懐かしい名前が並ぶ。そしてそこに「みなみ」の名前もあった。

 僕はビールを飲み干して、珍しく皿洗いをし始めた。

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