side.O_07
レティシアが傷を負ってから十日。学生時代の伝手を頼りに、家ではなく俺個人として治癒の奇跡を乞い、無事にそれは叶えられた。彼女は峠を越えた。だが傷のせいか熱が下がりきらず、意識も戻らない。熱が下がらないのはまずいと再びの奇跡を願いつつ、淡々と仕事を処理する。
例えば、レティシアを斬りつけた男の処遇。男の生家への処遇。事の発端が王家の依頼だとしても、立ち回りが下手な俺が招いた事態だ。淡々と。過去の事例に則ってそれらを処理していく。とはいえ彼等はもとより後がなかった人間だ。精々処刑の日程を早めるだとか、毒を賜る予定だったのが斬首になったり程度だが、十日前よりやや重い処罰に変更していく。
斬首となれば処刑人を手配しなければならない。ここ最近頼み通しの処刑人に連絡を取り、数日ごとに予定を詰めていく。
砂を噛むように、何を食べても味を感じなかった。空腹も渇きも覚えず、ただこれでは体がもたないだろうと、無理やり食事を飲み下す。
「見舞いには行かないのかい?」
「どの面下げて行くんだ? もし俺が見舞っている最中に意識を取り戻して、それで彼女が斬られた時を連想したら? …行けるわけがないだろう」
執務室に引きこもって仕事をこなす俺を心配したのか、ユリウスが何度か俺に声をかけたが、行けるわけがなかった。俺の代わりに見舞った両親から話を聞いては、今まで信仰心がそこまであった人間ではないのに、都合よく神殿に祈りに通っている。早く彼女が目覚めればいい。もし…もし、目が覚めたとき恐怖に怯えていないのならば、俺が見舞っても許されるだろうか。
そんな風に、思っていたのに。
「君は…婚約破棄、したいのか…?」
思ってもみない方向に話が転がるとは思ってもみなかった。というか両親はそんなにも見舞いに行っていたのならば俺が見舞いに行くのを躊躇っている事情を話してくれても良いものではないか? そうは思ったがあまりにも他力本願な話だったので、微かに浮かんだ苛立ちは秒で捨てた。
「オズワルド様だって、私のことをほとんどご存知ないでしょう?」
レティシアから婚約破棄を告げられ、余りにも無様な俺を見てもレティシアの態度は一貫としていた。レティシアのことをほとんど知らない、と言われ、確かに俺が知っているのは彼女の表面上だけだなと納得する。これでは恐らく、汚れ仕事を全て片付けてから言葉を尽くしても手遅れになっていたかもしれないとぼんやり考えた。
「…何から話せばいい」
「?」
「今日、だけで…お互い理解し合うのは無理だろう。だから、何から知りたい?」
年下の婚約者殿に、俺は未来永劫尻に敷かれるかもしれない。そんな事を思いながら彼女と言葉を交わす。傷のせいで体力がかなり落ちてしまっているらしい。初めての見舞い兼相互理解のための話し合いは一時間も経たずに終了した。
とはいえ今が正念場だと、少しでも時間ができればレティシアを見舞うようにした。見舞いが一時間から二時間になり、見舞いから茶会になるまではあっという間だった。
「奇跡というのは本当にすごいですね…」
「急にどうした?」
「ああいえ、私の傷、オズワルド様が願ってくださった奇跡がなければ、死んでいただろうと聞いて…」
「…まあ、そうだな。とはいえ、傷が残ってしまった…」
「ふふ」
「ん?」
レティシアは驚くほどの速さで回復した。最初の一ヶ月、目が覚めなかったのが嘘のようだ。体力こそ落ちているらしく、ダンスの練習に駆り出されることが増えた。それでも二曲踊れれば良いほうで、その後は息が上がってしまう。
レティシアたっての希望で出席を決めた、次の夜会。夜会前の衣装合わせを終え、オルレアン家のサロンでゆったりと休んでいる時だった。彼女から傷について話題にするのは珍しい。先ほど見た仮縫いのドレス、背中に残った赤い一閃。それを思い出して苦々しく呟く俺に、レティシアが朗らかに笑う。
「生きてるだけで儲け物ですし、それに傷モノでも、オズワルド様が貰ってくださるでしょう?」
───だから私は果報者です。
レティシアのその言葉に、二の句が告げなかった。
俺のせいで負った傷だ。本来負う必要のなかったものだ。それも淑女にとって消えない傷ほど辛いものはないはずで、彼女の場合は命の危機にだって瀕している。なのに。なのに、さも当然のように俺に心を赦して、柔らかく微笑む。
少女だと思っていた彼女に、俺は何度救われるのだろうと呆然とした。命を救われ、心まで救われた。
「? オズワルド様?」
「っ、ああ、そうだな。君は俺の…自慢の婚約者だ」
「ふふ、ありがとうございます」
花が綻ぶような、という表現はきっと彼女の笑みのためにある。そんならしくもない詩的なことまで脳裏を過った。そのくらい、もう、俺にはレティシアしか考えられなかった。
迎えた夜会当日。お互いの色をわかりやすく纏うのは、そういえば初めてだったかもしれないとお互いに頬を染めるのも束の間。出るわ出るわ吐いて捨てるようなお互いへの虫を、お互いに牽制し合って。それでも俺を庇うように凛と立つ彼女に、年甲斐もなくときめいて。いや俺が守らないでどうすると何度も唇を噛む。
「俺は、こんなに歳の離れた君を愛することはないだろうと思っていた」
「まあ…そうでしょうね」
「よくて家族の情だろうなと。だから君を不用意に巻き込まないよう、一定の距離を保っていようと思っていたんだ」
「…そうしたら周りからの横槍が?」
「そう。横槍が入り始めて…たまに会えた君は、年齢以上に大人びていて、同世代と話しているようで…」
ダンス中、今なら横槍も入らないと言葉を重ねる。同世代と話しているよう、という一言に彼女は少し困ったような笑みになる。歳若い彼女に同世代は失礼だったか、と咳払いをして誤魔化す。
「これからも俺と共にいてくれ、レティシア」
君が俺に恋を、愛を教えた。レティシアの傷ごと俺が愛して受け止める。それを果報者だと笑ってくれたのだから、俺の恐らく今更な初恋も貰い受けてほしい。
きっとこれが、愛というのだろうから。
これでハッピーエンド!
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