side.O_06
「オズはさあ、腹芸が下手なんだよな」
「うるさい」
「もう少し上手く立ち回りなよ。自分で自分の首絞めてるじゃん」
「…ユリウス」
腹芸が下手。これは自分で自覚があるだけに耳が痛い。再従兄弟といえど歳下からズケズケと指摘されるのはプライドが多少傷つく。
陛下からの依頼で、来たるユリウスの治世までのつゆ払いを依頼された俺は目下危ない橋を渡っている。俺が仕入れた情報だと気付かれないように彼らへの締め付けを強化できれば良いんだろうが、その辺の匙加減が難しい。あまりに情報の出所が追えないと、親王派も見えない政敵に警戒して動かなくなる。
適度に親王派…というより陛下やユリウスに近い存在の働きで、反王派───というよりも狡賢くうまい汁だけ啜っていたい連中を吊し上げているのだと指し示せれば、それが理想的。だがその理想を成すには、俺は加減が下手すぎる。
「オズへの警戒が強まっても、証拠集めは的確なままだもんねえ…。これじゃまだしばらくレティシア嬢と親しくできないんじゃない?」
「…言うな」
現状、ターナー伯爵家以外で複数回茶々を入れてきた家は、汚職やら献金やらで吊し上げた。勿論捏造などではない、身から出た錆だ。顔合わせの日を妨害する家が減って、一時期よりはまともにレティシアと顔を合わせられるようになった。それはいい。
俺への警戒。ユリウスの言う通り、腹芸が下手な俺はやり方が強引だと特に反王派から嫌煙されている。お陰様で俺に直接では下せなくとも、俺の周りにちょっかいを掛ければいいと考えている節のある奴がちらほら。そういう奴が一番に狙うとしたらレティシアだろう。
「そう言うんなら、たまには俺を休ませてくれ…他の側近たちにもやらせれば良いだろう」
「すんごい微妙な証拠しかあげられない可能性大なのに任せられる?」
「…それは、まあ…」
ユリウスがすっと表情を消して告げた言葉は事実だ。証拠集めだなんだとなると詰めが甘い奴もいる。自分の方ができると分かっていること。しかもそれが主の命にすら直結する可能性があるとなれば、別の誰かに肩代わりを頼むわけにもいかない。分かってはいる。分かっていても、踏んだり蹴ったりだという感覚は消えないのだから仕方がない。
「そういえば、南部の辺境で隣国の武器が違法に流通しているらしい」
「よくそういう情報持って来れるよね…有難いんだけどさ」
気持ちを切り替えて、仕入れたばかりの情報を報告する。裏にいる貴族もある程度の目星はついている。あとは確固たる証拠を揃えて動くだけだ。
「諦めてめぼしい連中は一気に叩いてさっさと全部を片付けたい」
「攻撃は最大の防御みたいな暴論」
「? 攻撃は最大の防御だろう?」
「出た脳筋」
内容は殺伐としているが、和やかに俺がユリウスに上奏した違法流通した武器。これらの取り締まりもなんとか上手くいった。南部の辺境伯と遠縁に当たる伯爵家からは多少恨みを買ったようだが致し方ない。本来ならその家が気づいた時点で取り締まるべきだった。彼らはそれに目を瞑り、領内で大きく金が動くのを優先した。
自領を富ませたい気持ちは分かるが、その流通した武器で戦争でも起きたらどうするつもりだったのか。一時の端金と、起こりうる損害。天秤がどちらに傾くかなんて、火を見るよりも明らかだろう。兎にも角にも、件の伯爵家は当主をすげ替えることが決まった。取り潰すには惜しい家だったのと、当主夫妻と次男のみが関わっていて、長男は無関係が証明された。早々に代替わりして、ユリウスの治世を支える一人になればいい。
「…歌劇、ですか?」
「ああ。隣国で人気の劇団らしい。隣接している東部にはなんどか巡業に来ているらしいが、王都に来るのは珍しい。興味はないか?」
「東部で人気の…。オズワルド様がご迷惑でなければ、行ってみたい、です」
「俺が誘っているんだ。席が取れたら知らせる」
「はい!」
武器の流通元を叩き、ユリウスを代表に据えた使節団として南方の隣国と、武器輸出についての協定を結んだ。勿論同行していた俺は、南方から戻ってすぐにレティシアの元に先ぶれを出し、会いに行く。いつも以上にきな臭い事案だったために、カタがつくまでの間、今まで以上にレティシアとの距離を置いておかざるを得なかった。事実、公爵家からつけている護衛からはレティシアに向けて放たれた暴漢やら何やらの捕縛報告が上がっていた。
ようやくひと段落ついたのだ。ユリウスからも次の摘発には間を空けてよしと言質を取った。
レティシアは芸術作品や長編小説を好む。東部は芸術方面が活発だ。一番の貿易相手である東方の隣国が、芸術の国として名を上げているのが影響しているように思う。芸術を好むならば、東部で人気の歌劇も好むのでは、と思った俺の予想は当たったらしい。控えめに、けれどふわりと微笑むレティシアの表情には喜びと期待が滲んでいた。
「と、いうわけで三日後から二日間休む」
「…婚約者とのデートかい?」
「そうだ」
「ふーん、東部で人気の歌劇かあ…こういうのって何が面白いんだい?」
「楽しみ方は人それぞれだと思うが…」
「…オズは楽しめる人?」
「意外か?」
「意外」
「失礼だな」
劇の、演者の善し悪しは正直分からない。だが物語そのものの好みも人並みにあるし、好みから外れた題目でも舞台装置に演出と見るに困ったことは無い。
当日はからりとした快晴だった。レティシアを迎えに行き、歌劇の前に予約していた劇場近くのリストランテでランチをとる。最近はランチくらいはややフランクな店がウケがいいらしい。聞きかじった情報の中、レティシアが好みそうな店を選んでエスコートする。
「わあ、」
「…最近の流行りなのだろう?」
「そのようです、私もお茶会で伺っただけですが…素敵なお店ですね」
何重にもなったレースのカーテン。テーブルとチェアはマホガニー製の猫足のもの。カトラリーには薔薇の紋様が入っていて、細かな部分まで若い女性が好みそうな店だった。テラス席はカフェになっているらしく、若い令嬢が数人でテーブルを囲んでいるのが見えた。
「…君はああいう風に、友人と来たりは?」
「あまりないですね…お友達にはお茶会での会えますし、学園でも。歌劇はどうしても好みが出ますので…」
「あまり友人と来るのに向かない?」
「ええ」
男の俺からすれば軽め、レティシアからすればちょうど良いだろう量のランチコースは、形式ばっていないメニューな分会話も弾んだ。家ではこういうメニューはなかなか出ない、とクリームスープのパイ包みに苦戦する彼女に、食べ方のコツを教えてやる。
「お上手ですね…」
「ローゼンタールの領地に、北部の山が含まれるのは知っているな?」
「? はい。木材の出荷や、家具作りが名産の…」
「このパイ包みはあの辺の郷土料理だ。食べ慣れている」
「郷土料理…。あ、もしかして酪農もされていますか?」
「細々だな。あの辺は山を崩せない。自然のままを活かせる産業をもっと広めなければならない」
冬が厳しい山間部で、熱い料理をより長く熱いまま食べられるようにと始まったのがパイ包みらしい。そのメニューと乳製品は確かに切っても切れないもので、地産地消で精一杯な規模の酪農に彼女が気づいたのは意外だった。
そこから料理をつつきつつ、あまり話していなかった遠方の領地の話をする。ローゼンタールの領地はそれなりに広い。各地に管理できる人間を出向させ、取りまとめている。とはいえあと数年、結婚後には彼女を連れて全てを視察するつもりだ。何ともなしに言えば、彼女はきょとん、と目を丸くしたあと、何事もなかったように頷いた。そういえば、近い未来とはいえ結婚後の話をするのは珍しかったかもしれない。
今までになく会話が盛り上がったランチの後、目的の劇場へ移動する。周りを気にしないでいいボックス席は良い。昼の公演だからと傍に用意された紅茶を含みつつ、入場前に手に入れたパンフレットをレティシアはキラキラとした目で見ている。…先ほど会話が盛り上がったのは、単に彼女の機嫌が底なしに良かったおかげかもしれない。そんな自嘲を浮かべつつ、開演を待った。
歌劇は予想以上に素晴らしいものだった。壮大なストーリーで回収し切れるのかと思いきや、エンディングは美しく、演者の良し悪しがわからない俺でも、主演の男女の歌声が素晴らしいということだけは十二分に分かった。
「…はあ、」
「ご満悦だな」
「だって、素晴らしくて…! あのラストの歌、あのデュオの素晴らしさたるや…!」
俺ですら素晴らしいと思ったということは。言わずもがな、レティシアは大興奮だった。感嘆の吐息を漏らしたあと、いつもの落ち着いた様子が見違えるくらいに、イキイキと矢継ぎ早に感想を口にする。それがかしましくないあたりレティシアらしいと思いつつ、その考察に耳を傾ける。
あのシーンのこのセリフはエンディング直前の伏線ではないか。あのセリフはあの登場人物のモチーフとされている歴史上の偉人のオマージュでは…などなど。造詣が深い人間が見れば、感想もここまで厚みのあるものになるのか、と一種感嘆の念を抱きながら、彼女を馬車へエスコートする。
ボックス席は退場が一番最後になる。俺たちの他に、観客は疎だった。だからこそ、狙いやすかったのだろう。
レティシアの語る感想に、意識を向けすぎていた。気が緩んでいたと言い換えてもいい。それまで怒涛の勢いで話をしていたレティシアが、急にぴたりと口を閉じた。それに首を傾げるのと同時だった。
「オズワルド様ッ!!!」
エスコートのため、組んでいたはずの腕を、彼女の細腕のどこにこんな力があったのか驚くほど力強く引かれる。それに体勢を崩せば、気づいた時にはレティシアが覆い被さるように俺に抱きついていて───。
「レティシア!!!!!」
彼女の背中越し、鈍色が光る。それがギラリと瞬いた刹那、飛び散る赤。鮮やかな赤が視界を埋めつくし、ソレがレティシアのものだと気付いた瞬間。
「貴様…ッ」
力なく俺にしなだれかかる彼女を強く抱き締めて、忍ばせていた短剣を投げ付ける。歌劇場内に本来武器は持ち込めない。護身用で服に隠せる程度のものは黙認されている。袖に仕込んでいたそれを、一本、二本と放る。即座にその脳天に突き刺してやりたいが、この後を考えればそれはできない。無駄に冷静な思考は、俺ではなくレティシアを斬り付けたことに動揺しているらしい男の肩と脚を狙った。狙い通り男の右肩と右太腿を短剣が貫く。
「何をしている、衛兵を呼べ! まだ仲間がいるかもしれん、探せ!!」
ちらと見れば、犯人は見覚えのある伯爵家の男だった。挨拶がしたいとでも言えば、護衛も拒まない。恐らくそれが、男が俺たちに近づくきっかけを作ったのだろう。だがそんな事はどうでもいい、慌ただしく動き出した護衛と部下を横目に、腕の中でぐったりと目をつぶったままのレティシアに意識を集中させる。
「レティシア…レティシアッ」
巻いていたタイを片手で解き、それできつくレティシアの傷を覆うように縛る。肩から腰の辺りまで、斜めにバッサリと入った傷は、深くはなさそうだが浅くもない。従僕とレティシアの侍女にも手伝わせ、止血を試みる。
「ッどうして俺を庇った…!」
出血が酷い。生ぬるいレティシアの血をどうにか止められないかと藻掻きながら、思わず呻いた。それへの返事は、勿論ない。