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side.O_05

 六年前、初めて引き合わされた婚約者殿は、歳の割に随分落ち着いた少女だった。



 レティシア・オルレアン。デビュタント前から、婚約の釣書が殺到していると噂のあった令嬢だ。飛ぶ鳥を落とす勢いのオルレアン家の至宝、なんて呼び方もされていた。

 そんな彼女と俺の婚約が結ばれたのは、一重にオルレアン家が筆頭の新興貴族との繋がりを強固にしたいという上層部の政略だ。俺より歳下の再従兄弟の方が釣り合うんじゃあとは思ったが、流石にそこまで新興貴族に肩入れすると、古くからの親王派の覚えが悪いと。そこで白羽の矢が立ったのが俺だった。何ともわかりやすい。



「お初にお目にかかります、オズワルド・ディ・ローゼンタール様。レティシアです」

「はじめまして、レティシア嬢。オズワルドと呼んでくれ」

「はい、オズワルド様」


 彼女のデビュタントから数日後、顔合わせの場での彼女は堂々としたものだった。本当にデビュタント直後か? と疑ってかかりたくなるくらい、所作は落ち着いていて、洗練されていた。

 聞けばデビュタントの夜会では注目の的だったらしい。気難しいマダムたちとにこやかに挨拶をかわし、茶会の約束まで取り付けた―――なんて天性の人たらしか何かかと思った。


 レティシアとお呼びください。そう微笑んだ少女は、まるで大人のように落ち着いていた。これが十歳とは末恐ろしい。ただ、いわゆる子供っぽい少女でなくて助かったと心から安堵したのは事実だった。子供の扱いなど知らない。その点レティシアは、落ち着いていて我儘も癇癪もなく。話題が無さすぎて引っ張り出してきた経済ニュースについて論じた際には、本気で彼女の年齢を一瞬忘れたほどだった。

 大人びてはいるし出来すぎている子ではあるが、それが何か違和感を抱かせるようなものでは無いため、無理に演じている訳ではなく本当に大人びた子なのだろうと納得してしばらく。最初のうちは俺もまともに彼女との顔合わせに出席できていた。風向きが変わったのは、婚約から一年経つか経たないかという頃だ。



「オズワルド殿」

「…ターナー伯爵。何か?」

「いやなに、陛下の仰っていた先の法案についてなのだが、下地を作りたいと思っていてね。明日から三日間、こちらの領地に来て貰えんだろうか」

「明日から…ですか?」

「ああ。善は急げというだろう? 法案成立より優先されるべきものがあるはずもなかろう、頼んだよ」

「…はい」


 明日はレティシアとの約束がある。あの狸、何処で俺の予定を仕入れた。ニマニマとした下卑た笑みは、明らかに俺の予定を潰すのが楽しいという表情だった。これで偶然なはずがない。

 腹ただしいことに既に夜分、彼女に予定の変更を伝えるには非常識な時間で、明朝すぐに知らせを送るよう従僕に指示する。自分はその晩のうちに、伯爵の領地へ向かった。何せ馬で半日以上掛かる。今から走らねば明日中に仕事のできる状態で到着できるか分からない。


 幸いというか、伯爵の言う仕事がちゃんとした仕事だったことだけが救いだった。実際各領地で手を動かすのがロールモデルを作るのに一番早い案件だったこともあり、尚のこと。



 まさか、それから五年近くターナー伯爵家含めて三家からローテーションか? と思うくらい的確に婚約者との顔合わせを潰されることになるなんて、思いもよらなかった。

 流石に事態が続いた段階で、自分の役回りと周りからの横槍含めてオルレアン家には詫びの連絡を入れた。オルレアン伯爵は俺の立ち位置を知っているからこそ、快く受け止めてくれた。レティシアが引く手数多であり、自分で言うのもなんだが有望株ではあるだろう俺が縁を離すまいとしている状況。オルレアン家の注目度は良い意味でうなぎ登りだ。そりゃあ好意的に受け止めても貰える。


 だがその裏で、レティシアの表情が段々とかたくなっていくのが気になっていた。徐々に義務的な態度になっていく彼女の様子に、これは伯爵は特にレティシアへのフォロー…というより俺の事情は何ら共有してくれていないらしい、とようやく気付いたのは婚約から四年近く経過した頃だった。

 情報源はレティシアと歳近い、彼女の兄パーシヴァル。彼が王城に勤めるようになって顔を突き合わせた際にあまりにも突っかかってくると思ったら、まさかの事態だった。



「…レティに不満があるのなら、早く婚約解消なり破棄なりしていただけませんか」

 

「……は?」


 財務部からの資料を殿下───再従兄弟でもあるユリウスに届けに来たのが、俺とパーシヴァルのまともな初対面だ。勿論レティシアへ会いにオルレアン家を訪ねれば顔を合わせることもあるが、あくまでも俺の対面相手はレティシア。パーシヴァルと言葉を交わすのはその時が初めてだった。

 だというのに、まるで親の仇のような憎々しいと言わんばかりの形相で睨め付けられる。あまりの迫力にぽかん、としていると思いも寄らない発言が飛び出して、俺は完全に呆けてしまった。


 

「───あっはっはっは! オズ、あんなに婚約者殿のこと惚気ていたのにどうしてこんな面白いことになっているんだい?」


「惚気…?」

「ばっ、ユリウス! …俺が聞きたい!!」


 呆けた俺とパーシヴァルの噛み合わない様子に、ユリウスが腹を抱えて笑う。執務机に突っ伏した拍子に舞い上がった書類をキャッチしつつ、片手で顔を覆う。いや、本当にどうしてこうなった。

 パーシヴァルからしてもユリウスの発言は思いも寄らないものだったらしく、目を丸くしていた。


「…あー…俺の事情について、オルレアン伯爵はなんと…?」

「はい? …事情?」


 父親を引き合いに出されたパーシヴァルが何を言ってるんだこいつという顔をする。それに、全てを察した。レティシアも同じこと思っているだろう、これ。


「…伯爵にはすぐに伝えたが、レティシアと俺の婚約を邪魔したい奴らに阻まれている。ついでに義兄弟となるよしみで君にだけ伝えるが、妨害以外にも今はレティシアの安全のためにあまり親しくしているのを周りに見せられない。俺がレティシアを不満に思っているなんてことはないから誤解しないでほしい」


 体ごとしっかりとパーシヴァルに向き合い、なるべく冷静に伝える。ここで取り乱したり、熱くなったりするとやましいことがあるように見える。マイナスの心象を少しでも持ち直すために、歳下だろうと侮ることは許されなかった。目を合わせて話す俺の言葉を聞くにつれ、パーシヴァルは口をあんぐりと開け、その後がくりと肩を落とした。

 あんの、バカ親父…! 吐き捨てるようなパーシヴァルの呟きに、ユリウスが隣でまた噴き出す。気持ちは分かるし、第三者的には面白い絵面だろうがこちらは真剣なので心の底から黙っていてほしい。


「…勘違いで、暴言を吐いたことお許しください」

「いや、そもそも俺の伝達不足が原因だ。伯爵が伝えてくれているものとつい甘えていた。申し訳ない」

「いえ…!」


 爆笑し続けるユリウスがいては締まらない、とユリウスを執務室に残してパーシヴァルと二人連れ立って一番近い資料室に入る。そこで改めて弁明するか、と思った俺に先にパーシヴァルが頭を下げる。気にしていない、と謝り返せば、目に見えてオロオロとしていた。

 パーシヴァルとレティシアは同じ髪色と瞳の色をしている。まだ幼なげなパーシヴァルの面立ちはレティシアによく似ている。けれどきっと彼女は、こういう場面でも豪胆に堂々と振る舞うのだろうなと正反対な性格らしい兄妹に小さく笑みが溢れた。



「…あの、ユリウス殿下とはその…妹の話をされるのですか?」

「ん? ああ、そうだな。まあ、側近の一人ではあるが再従兄弟だし歳も近いからな」

「いや、まあその…そうですが…」

「何か気になるのか?」

「あー…その、惚気って、」

「…突っ込むな」


 まあ、気になるよな。とは思うが俺としては特に惚気ていた自覚がないから突っ込まないで欲しい。ユリウスは王族の器ではあると思うのだが、親しい人間には基本的に愉快犯みたいな内面をしている。雑談は話半分どころか三分の一くらい間に受けるで丁度良いくらいだ。

 やれやれ、と首を振る俺に、何故かパーシヴァルの顔色が良くなっていく。何があった。


「念の為確認するのですが、オズワルド様はレティと婚約を破棄したり解消したりするおつもりはないということですよね?」

「するはずがないだろう。理由がない。…愛想を尽かされないように、今はできる範疇になるが…努力するつもりだ」

「そうですか…良かった」


 ほっとした表情のパーシヴァルは、聞けば俺がレティシアを幸せにできない男だったなら多少強引にでも婚約を解消させる心算だったらしい。上司であるエバンズ侯爵にも先に話を通しているあたり、末恐ろしい青年だ。オルレアン家は早熟な人間が多いのだろうか、と遠い目をする。


「レティには未だに釣書が届きます。…選り取りみどりなら、レティを尊重しない婚約者なんて捨ててしまえと思いまして。でも事情がおありで、父も納得しているなら自分は何も言いません」

「…怖いことをさらっと笑顔で言うんだな、君は」

「えへへ。…ただ俺からレティに事情を説明しても多分拗れるので、何も言いません。オズワルド様の態度にレティが悩んでいるのは事実なので、レティを繋ぎ止める努力はご自分でどうぞ」

「…頼もしい義兄ができるようで嬉しいぞ」


 レティシアへの橋渡しはしない、というパーシヴァルの目にはほんのりと好戦的な色が乗っている。まあ、破棄か解消かをさせようと乗り込んできた相手からお咎めなしというだけでもこちらとしては儲け物だ。末恐ろしい、と苦く笑いつつ、彼と握手を交わす。

 レティシアへ未だに届いているという釣書。とても良い情報をくれたのも事実なので、これからしっかりと努力させていただこう。仕事のことでも、何でも男同士…父親には話しにくい内容があれば将来の義兄弟として話を聞くと伝えれば、至極嬉しそうにパーシヴァルは財務部に戻って行った。業務中に私用で時間を使わせてしまったのは事実なので、念の為エバンズ侯爵宛に俺が彼に話があった旨のメモを書いて持たせた。新人文官は、こういうちょっとしたことでも気を遣った方が将来の昇進に結構響くからな。


「…次の顔合わせは横入りが入らないと良いんだが」


 ぼそりと漏れた俺の呟きは、資料室の埃っぽい空気に溶けた。

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[気になる点] 「…頼もしい義弟ができるようで嬉しいぞ」 →義兄、の間違いでは? レティはパーシヴァルの妹ですよね?
[気になる点] 「…頼もしい義弟ができるようで嬉しいぞ」 ↑年下でも、妻の兄なら義兄では? 何でも男同士…父親には話しにくい内容があれば将来の義兄として話を聞くと伝えれば、至極嬉しそうにパーシヴァ…
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