side.R_04
結局私たちは三曲踊った。三曲同じパートナーと踊るのは、夫婦か、結婚間近の婚約者のみ。三曲目に入る前に、結婚式の日取りを決めようと彼に囁かれ、そのまま流れるように踊った。
こんなにも華麗に、婚約者だと知らしめられるとは思いもよらなかった。なんて、ほわんと夢見心地でいたら、今度は私側のおじゃま虫が湧いたらしい。
「レティシア嬢、今日もとても美しい。貴方の瞳の色のドレスがとても似合っていらっしゃる」
「ありがとうございます。私とオズワルド様の瞳の色のドレスなのです。似合いと言われてとても嬉しいですわ!」
爵位が上のオズワルド様をスルーする令息に、にこーっと満面の笑みで返す。パッと見は私の瞳の色のドレスだけれど、全体像を見れば彼の色を私が纏っているのは分かるはずなのだ。節穴なのか、それとも故意か。
隣のオズワルド様が分かりやすく殺気立つのを、組んだままの腕をポンと叩いて宥める。
「それはそれは仲睦まじい事で。…とはいえ先日は大怪我をされたと伺いました。その原因たる人物の傍に居るのは…ご令嬢には酷では?」
ぐるり、と周りにも聞こえるように吹聴する令息。名前なんだっけ、とりあえず何度も私とオズワルド様の顔合わせの邪魔をしてきているターナー伯爵家の長男ということは覚えている。何度かお誘いは丁寧な手紙で届いたけれど、実際にちゃんとお話するのは今回が初めてなもので。口説きたいならまずちゃんと挨拶してこいと思うのは当然じゃなかろうか。そういう訳でアウトオブ眼中なので名前も忘れた。
私を庇おうと、前に出ようとするオズワルド様の腕を引いて押し留める。にこ、と微笑んで上目遣いをすれば、心配そうに眉を下げつつも私を優先してくれるらしかった。
「酷とは…どういう意味でしょう?」
「へ?」
「この傷は、オズワルド様をお守りできた証です。言わば勲章です。傷が残ろうと変わらず接してくださるオズワルド様を恐れる理由もなければ、離れる理由もありません。」
―――傷モノだからと侮らないでくださいな。
冷めた目で令息を見遣れば、呆気に取られたような顔と目が合う。やがて怒りか、じわじわと赤らんでいく顔。ぷるぷると震える様に、やりすぎたか…と反省はしたけれど後悔はしていない。
「勲章だと? 笑わせる。婚約者を盾にするような男と傷モノ、似合いだな!」
「……盾にされたのではなく、私自らの意思で盾になりましたので誤解なされませんように」
「何?」
「オズワルド様は私を守り続けてくださいました。その分、私もお守りしただけです。いざという時誰にも守ってもらえない僻みですか?」
すん、と表情の抜け落ちた顔で詰める。オズワルド様を貶すなんて百年早い、くらいの気持ちだ。私の追撃は令息にしろオズワルド様にしろ予想外だったらしい。双方がギョッとしていた。
「僻みなど…!」
「レティシア、それくらいにしておいた方がいい」
「…誤解は解いておきたいものでしょう?」
「だとしても、俺の為に君が矢面に立つ必要はない」
傷跡を労わるように背中をひとなでして、オズワルド様は今度こそ私を庇うように立つ。
「ロベルト・ターナー。貴殿が複数回に渡り、レティシアの後をつけていたと証言がある。また、オルレアン家から断りの連絡があったにも関わらず、しつこく誘いの手紙を出していたそうだな」
「つけていたなど…しかも証言? 証拠ではないのだろう? それにしつこく誘ったなんて言いがかりもいいところだ」
「証言したのが貴殿の伯父上でも言いがかりか?」
「なっ…!」
ターナー伯爵令息の伯父といえばエバンズ侯爵だったか。爵位が上の人間を出されて、証拠として不十分か問われるのは結構痛い。それも親族からの証言って見限られてるとも言えるような。
「……こちらとしては正式に訴えを起こしてもいい。だが、この場で彼女への暴言を撤回し、今後一切関わらないと誓うならそれで手打ちにしよう」
「っ…!」
淡々としたオズワルド様の言葉に、結局ターナー令息はか細い声で発言の撤回、それから謝罪と、今後は関わらない旨を述べて去っていった。人混みに紛れるようにして去りたかったのだろう彼は、それまで私たちのやり取りに聞き耳を立てていた周りによって、さっと道をあけられてしまっていた。それがまるで、人心が離れている証左のようで少し哀れだった。
「いやあ、お熱いねえ」
「! 殿下…」
ターナー令息の背中を見送って、大丈夫か、無理をするなとオズワルド様に釘を刺されているところ。場違いな程に軽やかな声が割って入った。顔を上げれば、我が国の王太子殿下その人が、最近縁談がまとまったばかりの婚約者を連れて向かってきたところだった。
「レティシア嬢、君は強いね。オズがご執心なのも頷くよ」
「殿下…余計なことを言わないでください」
「事実だろ? 歳下の婚約者に尻に敷かれそうだって君が嬉しそうだったの、割と皆知ってるぞ?」
「その割と皆、は一部の人間です…!」
尻に敷かれそう。そんな感じ? はて、と小首を傾げつつ、尻に敷かれるのがやぶさかでは無いらしいオズワルド様の慌てた様子に、つい口元が緩む。この人やっぱり可愛いな。
「お、レティシア嬢は満更でもない感じかな?」
「私はこの通りじゃじゃ馬ですので。オズワルド様がそれをやぶさかでは無いと思ってくださるなら」
話の水を向けられたので、簡単に挨拶をしてから会話に加わる。殿下はオズワルド様の五歳下、婚約者のご令嬢は殿下の十歳下だから私と歳が近い。深窓の令嬢という風貌の、たおやかな方。令嬢とはこうあるべき、を詰め込んだような方だ。とはいえこれから国母となる女性、きっと芯は強い方だと思う。
「……レティシア」
「…こんなにじゃじゃ馬ではお嫌でしょうか…?」
「っ…嫌とかそういう話じゃあない。殿下の揶揄は放っておいていい、行くぞ」
「え、」
「おやもう行くのか。またね、レティシア嬢」
殿下とオズワルド様は再従兄弟だ。きっと仲がいいのだろう。私の手を引いてさっさと御前を後にするオズワルド様を、殿下はとても愉快そうに見送られた。そういえば、彼の交友関係もあまり知らないかもしれない。再従兄弟だとか、そういう血の繋がりは分かるけれど、そこから先の関係性は知らない。
話をするようになって少しずつ知ったことが増えるのに、むしろ知らないことが増えていくのは何故だろう。ほんのり赤い耳のまま、私の手を引くオズワルド様の背を追う。ターナー令息と同じように人波を掻き分けるように歩くのに、彼と違って、微笑ましい視線とともに優しく道をあけられるのがくすぐったかった。
「! オズワルド様?」
フロアを抜け、誰もいないバルコニーへ。カーテンでフロアからは死角になる位置に誘われ、そのまま強く抱きすくめられた。急なことに驚くものの、先刻また考えなしに彼の代わりに矢面に立とうとしてしまった事で、心配をかけてしまったのかもと我に返る。我ながら無鉄砲すぎる。前世から何一つ変わらぬ無鉄砲さ。それで一回トラ転してるんだからいい加減学べ私。
無言のままぎゅうと抱きしめる彼の腕に手を添え、宥めるようにぽんぽんと叩いた。
「……君は、本当に目が離せない」
「ご心配をお掛けしてすみません…」
「いや…」
はあ、と嘆息して、彼はのそりと顔を上げる。呆れたような胡乱気な目をこちらに向けるくせに、頬がほんのりと色付いている。いつの間にアルコールを、と思ってしまうくらい、とろりとした目が私を見つめていた。
「年齢以上に落ち着いていて、よくよく構いもしない歳上の素っ気ない婚約者にも、愛想つかさない物分りのいいご令嬢だとばかり思っていたのに…なんで君は、俺の為にそんなに動くんだ。なんで、俺を何度も守ろうとするんだ俺の事になると途端にじゃじゃ馬になるってなんなんだよ」
―――完敗だ。これで愛せないなんてどうかしてる。
オズワルド様の呻くような愛の言葉に、カッと頬が熱を持ったのが分かった。
「し…仕方ないじゃないですか、気付いたら動いてしまってたんですから!」
「…殺し文句か?」
「違います!!」
いや違わないな、無意識に愛してるって言ってるようなものだな。オズワルド様の呆然とした突っ込みに思わず返答したけれども、はたと気付けば確かに殺し文句に他ならなかった。そんなこと気づきたくなかった。咄嗟にオズワルド様の胸元に顔を埋めて、赤い頬を隠す。
「お、オズワルド様こそ! 私のこと遠ざけるつもりならデートだってしないで良かったのに、ちゃんと前からデートして下さってたし、私の好きなところばかりいつも連れて行ってくださって! 今回だって一も二もなく私の希望を叶えてくれて…!」
そう、そうなのだ。すっぽかされてる割には、会えた日にはちゃんと私のことを慮ったデートをしてくれていた。私が好きだと零したスイーツを携えてやって来たり、細やかな思いやりがずっとあった。けれど分かりやすい態度も、言葉もなかったから。想い合える婚約関係なんて諦めた。そう言い聞かせていたけれど、きっと多分、心の底では惹かれていた。だから体が、無意識に彼を守ろうと動いてしまうんだ。
私の言葉にあわあわと照れたように口を戦慄かすオズワルド様の目を真正面から見つめる。
「……好きです」
「…俺も、好きだ」
「……ずるい」
「何がだ」
「ちゃんと決めるときは決めるの、格好良くてずるいです」
「………少しでも君に格好良いと思ってもらえたなら嬉しい」
安心したような、ふにゃりとした笑みを浮かべるオズワルド様。その表情が可愛くて、愛おしくて。これはもう手遅れだなと諦めて、彼の首元に抱き着いた。
次話からオズワルド視点(予定)です!