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オズワルド様が初めて見舞いに来てくれてから、三ヶ月。私の傷もすっかり良くなり、傷跡は未だ大きく背中に残っているものの、痛みは一つも無くなった。あの日から彼は時間を見つけては短い時間でも会いに来てくれるようになり、事件前とは大きく関係性が変わったように思う。
今日はシーズン最初の夜会が、城で開かれる。
伯爵家以上は全ての家が招待されている大規模な夜会だ。私の元には、落ち着いた赤地に黒のスパンコールやビジューが裾元に重たくない程度、グラデーションのようにあしらわれた豪華なドレスが届いた。勿論送り主はオズワルド様だ。
「…随分色っぽいドレスですね…」
「…気に入らなかったか?」
「いえ、素敵です! ただ…こう、ここまで色っぽいドレスを、着たことがなくて」
「君に似合うと思う。君の瞳の色と同系色のドレスにしたんだ。…あとは、その、俺の色を…纏ってくれたらと…」
黒いビジューやらは、彼なりの愛情表現だったらしい。顔を真っ赤にしてドレスの色味の理由を告げた彼は、三十を越えた歳だというのに、大層可愛らしかった。ドレスを届けてくれた日のやりとりを思い出しては、思わず笑ってしまう。
「お嬢様、あの…」
「いいの、髪はアップにしてちょうだいね」
ドレスは大きく背中が開いている。開いているといっても、首元から肩まわり、背中…と繊細なレースに覆われている。とはいえ、侍女がオロオロとするのは当然だった。レースでは傷は隠せない。むしろ、傷を見せるようなデザインのドレスで、普通、傷を負った令嬢なら絶対に着ないデザインだ。けれど私はそれがよかった。彼にデザインの希望を問われた時に、お願いをしたくらいには。
「…色っぽすぎるかと思ったけど、大丈夫だったわね」
「お嬢様はお綺麗ですから! どんなデザインでもお似合いになりますよ」
私が傷を見せることを何とも思っていないことが伝わったのか、開き直った侍女に満面の笑みで肯定される。まあ、転生特典の顔面偏差値だから、そこまで心配はしていなかったけれども。とはいえ可愛い系が似合う顔立ちだとばかり思っていたから、色っぽいドレスが似合うのは嬉しい誤算だ。
彼の隣にこれからも並びたいと思うなら、多分こう言うドレスの方が良いと思う。愛人希望の色っぽ美女が彼の周りにわんさかいるのは周知の事実なので。
「迎えにきた、レティシア」
「…オズワルド様、その格好、」
「…君の色だ」
迎えが来たと聞いて玄関ホールに向かえば、ペールグリーンの織の入ったシャツに、琥珀色のタイを結んだオズワルド様がいた。全身で私の婚約者です、という色を纏う姿は心臓に悪い。照れたように目線を逸らす姿が可愛らしくて、胸がキュンと高鳴る。
「…嬉しい、です」
「…そうか」
二人して顔を赤くする私たちに、使用人達の生温い微笑みが痛い。差し出されるままに手を取って、馬車へエスコートされる。
今までも二人で夜会に出たことは何度もあるけれど、いつも当たり障りなく、お互いに義務感というのを全面に出していたため、なんとなく慣れない。馬車の中、特に話すこともなく無言だったけれど、手は繋いだまま。触れた体温だけで、関係が進展したんだなと分かるのは、ちょっと照れ臭くて、けれど嬉しい。
「行こう、レティシア」
「はい、オズワルド様」
きゅ、と軽く手を握られる。目線をお互いあわせて、微笑みあってから足を踏み出した。
傷を隠さずに歩く私と、これまで私に興味なさそうにしていた彼が私にピッタリと寄り添う姿。入場と同時に、ホールの視線が私たちに集中するのが分かった。ざわ、と好意的ではない声が飛び交う。
「…大丈夫か?」
「ええ。…今回隠したら、今後が面倒でしょう? 貴方の隣に立ち続けるなら、これしかないなって」
「…レティシアは強いな」
「それほどでもないですよ」
ざわつく外野の声に、オズワルド様が顔をそっと顰める。耳元に落とされる囁きはとても優しくて、自然と口角が上がった。そんなに心配しないで大丈夫、そう伝えれば、やっと彼も和らいだ表情を浮かべた。
これが私が彼にお願いしたこと。夜会にちゃんと寄り添って出たい、という希望。可能であればちゃんとそこで私を婚約者として知らしめてほしいということ。婚約を続行する気があるのなら、彼が私を傷モノとして扱わないでいてくれれば、それだけで私の立ち位置は揺らがない。逆に彼が私を隠そうとすれば、方々から横槍が入るはずだ。
傷モノ令嬢でも、オルレアン家との繋がりが欲しい人物とかもいるかもしれないし、傷モノ令嬢より自分は如何? なんて人もいるだろう。だから私は、一時笑い物になってでも、こうすることを選んだ。まだ愛の言葉までは彼から聞けていないけれど、婚約破棄と聞いてあんなに思い詰めていたオズワルド様だ。嫌っていないと、顔を真っ赤にもしてくれた。だから、もしかしたら。今世では珍しく、愛された結婚ができるかもしれない。私も彼の不器用さが可愛いと思えているから、お互いに。
「レティシア様、もう傷の具合はよろしいの?」
「…マグノリア様、お久しぶりですね。…マグノリア様のお耳にまで届いていたなんてお恥ずかしい限りですわ」
目線を落として恥じらい、ご心配いただいてありがとうございますと満面の笑顔を浮かべる。夜会で最初に声を掛けてきたのは、オズワルド様の婚約者の座を狙っていると噂の御令嬢だった。ローゼンタール家と同じく、由緒正しい家柄。表向きは親王派だけれど、蝙蝠みたいなお家だ…とはオズワルド様談。とにかく彼からの印象が悪いことだけはわかる。
「傷跡が痛々しいわあ…そんなモノをよく人目に晒そうと思えましたわね。恥じらいはないのかしら?」
「マグノリア嬢」
遠回しに見苦しい、醜い、と嘲る令嬢。ニタリとした笑みとその発言を、どうしてアプローチ中の男性に聞かせられると思ったのだろう、と私が首を傾げるよりも早く。オズワルド様の低い声が響いた。
「彼女の傷は、私を庇ってくれた際についたもの。他の誰でもないレティシアが、命を張ってくれた…私にとっては何物にも代え難いものだ。無関係の君に彼女の恥などと言われる筋合いはない。そもそも恥じるべきはこの傷ではなく、彼女を守れなかった私自身だ」
「え、あの…オズワルド様…?」
「君に気安く名を呼ばれたくはない」
大きな手のひらが、私の背中を優しく摩る。それからぎゅっと強く肩を抱き寄せられた。
「俺の婚約者を侮辱する発言を、不愉快だと断じて何が悪い?」
見上げた先。ハッと鼻で笑うオズワルド様は、普段の好青年然とした風貌とかけ離れていて…けれどその表情に、胸が高鳴るのが分かった。婚約者として知らしめて…とはいったものの、こんなに格好良く外野を蹴散らす感じで…なんて予想外も良いところだった。恥ずかしさで目が回りそう。
「…レティシア? 顔が赤いが…」
「え、いえ…なんでも、」
「何でもなくないだろ」
ん? と額と額を触れ合わすようにして、私の顔を覗き込むオズワルド様に、今度こそ限界だった。間近で見ると尚のこと。この人、顔が良い。恥ずかしいです、と蚊の鳴くような声で呟いて、ぎゅっと目を瞑って恥ずかしさに耐える。彼が空気だけで笑う気配と共に、ふわりと温かい温度に包まれる。
「…可愛いな、レティシア」
「っ〜〜〜オズワルド様!?」
恥ずかしがっている人間になんたる追い討ち! 非難するような私の声音に、オズワルド様は楽しそうに笑う。全くもう、と頬を膨らませた私に、抱き締めていた腕を解いて彼が手を差し伸べる。
「そろそろダンスが始まる。行こう」
「…はい」
気付けばマグノリア様の姿はどこかに消えていた。それを目で探していれば、きゅ、と手を引かれる。よそ見をするなと言わんばかりの態度に小さく笑って、エスコートされるままダンスの輪に加わった。
「…レティシア」
「何でしょう?」
「君はどうして、あの時俺を庇ったんだ?」
ダンスが始まる。オズワルド様のリードは完璧だ。寄り添いながら、くるくるとドレスの裾を靡かせる。黒いビジューがきらりと光るのが、どこか照れ臭くて嬉しい。
不意に、彼が真剣な表情で質問を寄越す。そういえばこれは、この三ヶ月の間、不思議な程に話題に上がらなかったなと不意に思った。
「気づいたら体が動いていたんです」
「…そうか」
「…オズワルド様?」
む、と口を引き結んだ彼に、なんだろう、と疑問符を浮かべる。ダンス中じゃなかったら顔の前で手のひらをひらひらと揺らしていただろう。たっぷり無言の時間があってから、彼はぽつりぽつり、話し出す。二曲目が始まったけれど、私たちはパートナーを変えることもなくそのまま踊り続ける。
「俺は、こんなに歳の離れた君を愛することはないだろうと思っていた」
「まあ…そうでしょうね」
「よくて家族の情だろうなと。だから君を不用意に巻き込まないよう、一定の距離を保っていようと思っていたんだ」
「…そうしたら周りからの横槍が?」
「そう。横槍が入り始めて…たまに会えた君は、年齢以上に大人びていて、同世代と話しているようで…」
それは精神年齢が貴方に近いからかな…なんてぼやきは胸の内にしまっておく。子供らしくない子供だったのは否めない。普通は嫌だし想像もしないよね、経済について語らえる十歳児。
「君は出会った時から大人びていたけれど、ここ一、二年で本当に綺麗になった。子供だと、思えないくらいに」
そこへ来て今回の事件だ、と彼は肩を落として笑う。どちらが年上か分かったもんじゃないと、へにゃりとした笑みを浮かべる彼が可愛くて…そういえば男性を格好良いと思ってるうちはいいけれど可愛いと思ったら手遅れ、なんてのを前世で聞いたことがあるなと不意に思い出した。
「……歳の差は勿論あるが」
「はい」
「俺は君を軽んじる事もないし、子供扱いもしない。だから、」
二曲目が終わる。一番大きいターンの後、強く抱き締められた。
「これからも俺と共にいてくれ、レティシア」
これが愛しているということなんだろう。小さく落とされた言葉に、私は涙目になって彼に抱きつくことしか出来なかった。