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「オズワルド様は、そもそもこの婚約を…というか私を、どう思っていらっしゃるのです?」
「は…?」
「は、じゃないです。大事なことですよ。今まで何度月一の顔合わせにいらっしゃらなかったとお思いで? 私は、申し訳ないですけれど貴方という人が分からないです」
こんな体勢で啖呵をきるもんではない。格好はつかないけれど致し方ない。顔合わせに来なかった、というそれに、ぐっとオズワルド様が喉を詰まらせる。次いで、私の分からないという発言に、ハッとしたように私を見やった。
―――多分初めて、まともに目が合った。婚約してはや六年、真正面から目が合ったこともなかったんだな、とぼんやり思う。灰色の彼の瞳はとても深い色で、透き通っていた。
「オズワルド様だって、私のことをほとんどご存知ないでしょう?」
「それ、は…」
「オズワルド様。私は婚約したから愛してほしいなんて夢は特に抱いていません。ただ…そう、尊重して欲しいだけです、人として。歳が下で貴方からしたら子供なのは承知していますが、婚約した以上、貴方と私は対等であるべきでは?」
今世の父がよく言っている。結婚は家同士の契約だけれど、幸せになるのを諦めてはいけないと。だからここが、多分私の正念場。
ここまで言って彼が何も言わないなら、こっちから婚約解消に向けて動かさせていただく。破棄…はこっちからは無理だな。爵位の差と、あと治療費を彼が負担してくれていることを加味すれば、まあそれはそう。
「…何から話せばいい」
「?」
「今日、だけで…お互い理解し合うのは無理だろう。だから、何から知りたい?」
くしゃり、と前髪を握るように乱して、オズワルド様は呻くように言う。あら、と思った。歩み寄りが早い、かつ相互理解についてまで言及してくれるあたり効率的だ。
「……そうですね…心配してくださってると聞いた割に、来て下さらなかったのは何故です?」
「そこからか…」
はあ、と重たい溜め息。何からって聞いたのは貴方でしょうよと、譲らないぞと目で訴える。
「……俺のせいで君は傷付いたんだ。その…俺を見て、斬られた時を思い出してはいけないと思った」
杞憂だったようだが、と呟いて、オズワルド様はスツールの上の体の力を抜いた。対する私は、目をぱちくりと瞬かせた。だってそれ、トラウマになってる可能性を考慮して心配してくれていたって事だ。思わぬ方向からの思いやりに、思わず頬が緩む。
「思いやってくださってたのですね、ありがとうございます。でも、それなら公爵様にご伝言なり、してくだされば良かったのに」
「それは格好がつかないだろう。まさか父上たちがそんなに頻繁に来ているのも知らなかったし…」
それに、とオズワルド様は言葉を切る。なんだろう、と精一杯小首を傾げると、彼はそっとスツールから立ち上がって、ベッドサイドに跪いた。遊ばせている右手を、そっと取られる。
「……巻き込んで、すまなかった」
微かに震える指先で、私の手を握る彼は心の底から悔いているようだった。俯いた彼の額が、祈るように握られたままの私の手に触れる。きゅ、と彼の手を握り返すと、ぴくりと肩が跳ねた。
「俺のせいで…君は死にかけた。どの面下げて、君に会えばいいか分からなかった」
「巻き込まれたというより、私が割って入ったんです。自己責任ですよ」
「あの瞬間、心臓が止まるかと思った。…頼むからもうあんな無茶はしないでくれ…」
罪悪感にかられているのだろう彼は、茶化すような私の返答に一度だけ顔を上げた。恨めしげな声音で、縋るようにもう一度目を伏せる。
「君が、目を覚ましてくれて良かった」
泣きそうな声を落とされて、おや、と目を見開く。
どうにも、彼はどことなく不器用な人らしい。だって王命による仕事で政敵を作るって何。腹芸できなくて無駄に敵対したとかそういう事では。それに今も、事件の後からずっと彼は私を思いやってくれていたことが分かった。これは、もしかして。
「……オズワルド様、私のことちゃんと好きだったりします?」
「っは!? なっ…いきなり、何を!」
ガタン!
ドリフよろしく彼はすっ転んだ。跪いていた体勢から転べるってすごいな、と思考が明後日に向く。慌てたような表情、耳まで赤くなっているのがなんだか可愛らしくて、ついクスクスと笑ってしまう。
「いえね、ずっと避けられているような感じだったので、嫌われているのかと。だから婚約も破棄されるのではと思ったんです」
「それ、は…」
ガタ、と音を立てて、オズワルド様は枕元にまで近付けたスツールに腰を下ろす。見下ろされるような絵面だが、彼の耳がまだ赤いからか、威圧感はあまりない。
「…まず第一に、俺は君を嫌っていない。月一の顔合わせだって本当は全て行きたかった。…だが、その、」
はあ、と重たい溜め息。胡乱げな目線が、私を射抜く。
「君は自分の人気を理解しているか…?」
「え?」
「新興貴族のうち親王派の中心、オルレアン家の娘。加えて容姿端麗、令嬢としての立ち居振る舞いも完璧。社交界で気難しいと噂の婦人達からも可愛がられている。どの派閥も君が欲しいし、派閥抜きにしても、君を婚約者にと望む家は多いんだよ」
「…すみません、前半はともかく後半は…」
「事実だからな」
「あ、はい…」
予想だにしない誉め殺しに、目が遠くなる。オルレアン家の娘である価値…というのは今までピンと来なかったけれど、政敵だからって暗殺もやむを得ないような倫理観なら、そりゃあもうって感じなのだろう。容姿端麗…これに関しては、まあ、転生特典かなと思う程度には確かに美少女だと思う。光の加減でペールグリーンのような色味に見えるブロンドと、赤みの強い琥珀色の瞳。肌は白雪姫さながら真っ白で、頬はチークなんて塗らずとも薔薇色だ。立ち居振る舞いとか婦人方からの人気…これは前世営業職の影響かしら。うーん、と納得しきれず唸っていると、オズワルド様が小さく咳払いをする。
「つまり、俺が君に会いに行こうとするたびに、君に横恋慕した子息のいる家から仕事を頼まれたりと妨害を受けていた。…俺もまだ家を継いだわけじゃないから、各家の当主から依頼が来てしまえば、断るに断れない」
「…そんなことが」
「…ちなみに君のところへ、約束の日を狙って会いたいと連絡を寄越す輩はいなかったか?」
この家だ、とオズワルド様が挙げた家名に聞き覚えがありすぎて目を見開く。そのリアクションだけで彼には十分だったらしい。
「案の定か…」
「…オズワルド様がうちに来られないように工作していた家、ということですね?」
「そういうことだ。だから、その」
───君を嫌っているなんてことは、絶対にない。
オズワルド様が顔を真っ赤にしながら、目を逸らさずに告げる。その言葉に鼓動が早くなるのを感じる。眉間に皺を寄せた表情は不機嫌に見えるのに、不器用な愛の告白を真正面から受けたような気持ちだ。
顔が赤い、と指摘してくる彼の視線から逃れるため、一度だけ枕に顔を埋める。ううう、と唸りながら意を決してもう一度顔を上げれば、ほんの少し不安げな彼と目が合った。
「…傷モノですけど、本当に良いんですか?」
「! 勿論だ。…それに、君の傷は、元はと言えば俺のせいで…」
巻き込まないようにと考えていたはずなのに、守られたのは俺の方だなんて笑い草だ。吐き捨てるような彼の言葉に、目を瞬かす。
この言い草、もしや無事に会えたとしても素っ気なかった理由か? なんて邪推してしまう。何せ今も、口調こそいつも通りぶっきらぼうだけれど、ひとつひとつ私の言葉を拾って話してくれている。今までの顔合わせの日も、素っ気なかったは素っ気なかったけれど、会えば必ず前回までに話したことは覚えていてくれたし、決して邪険にはしないでいてくれた。
「…ねえ、オズワルド様。お願いがあります」
「なんだろうか」
「あのね、」
耳を貸して、と彼を呼び寄せて秘密話をする。彼はその内容にギョッと目を向いたものの、君が喜ぶのなら、と快諾してくれた。その快諾をもって、私は彼を許すことにした。これまでのことも、全部。