side.R_01
短編…よりは長くなりそうな作品、ヒロインサイドとヒーローサイドの二部予定です
どういう状況だろう。
倒れてからまるっと二ヶ月。一度も見舞いに来なかった婚約者が、先ぶれもなく急にやってきた。───と思ったら、打ちひしがれたような様子でベッドサイドのスツールに腰掛け、無言。何度か呼びかけたが、リアクションがない。
さらりとした黒髪が、灰褐色の瞳に物憂げな影を差す。我が婚約者ながら、綺麗な人だなとしばらくぼんやりとうつむいた顔を眺めていた。
「…君は、」
「はい?」
「君は…婚約破棄、したいのか…?」
「え…?」
婚約者が見舞いに訪れて、たっぷり一時間。ようやく彼が放った言葉に、私がフリーズしてしまったのは、致し方ないことだと思う。
突然だが、私には前世がある。
前世の私は社畜だった。恋人も長らく居なくて、仕事が恋人とでも言わんばかり。半ば当たり前と化していた休日出勤のある日、トラックに轢かれそうな少女に気づいてしまったのが運の尽き。
気がついた時には女の子の元へ駆け寄り、その子の背中を思い切り押して―――多分私だけそのまま轢かれた。享年三十一歳、結婚のケの字もなく親不孝者だったな…と思う間もなく、気づいたらおぎゃあ、と今世である。
レティシア・オルレアン。新興貴族の一つ、オルレアン伯爵家の長女として生まれ、早十六年。いい加減、前世の記憶との折り合いもつき、まあまあ上手いこと生きている、気がする。主に社交界での処世術。前世営業職で良かったな…と十歳のデビュタントの時は目が遠くなった。
転生したのはなんだかファンタジーっぽい世界だったが、特に魔法とかもない世界観だったので普通に中世ヨーロッパ的な感じだった。世界史が苦手だった私的に、爵位とかその辺の知識を詰め込むのに苦労した。苦手意識って嫌だね。まあとにかく、貴族社会なので婚約者とかも早いうちから決められるのが常だ。
デビュタントの数日後、つまりは十歳の頃に引き合わされた婚約者、オズワルド・ディ・ローゼンタール様。私の十五歳上で、先代の王様の妹君が降嫁された由緒正しき公爵家のご子息だ。ちなみに今世、二十歳以内なら歳が近い方である。基本が年の差婚。だから、前世でいうイケメンで地位もある彼は優良株。そんな彼が、一部から成り上がりと呼ばれる新興貴族の私と婚約したのはバリバリの政略だ。政略で仕方なく婚約した相手として見下されてるんだか嫌われてるんだか知らないけれど、月一の顔合わせも結構な頻度ですっぽかされた。
けれども、まあ、爵位の差があって破棄も解消だってあちらから好きなようにできるのに、私をそのままにしてるのは何かしらの意図があるのだろう。そう思って、まあこのまま付かず離れずいくしかないよなあ、なんて考えていたふた月前。久しぶりに顔を合わせた婚約者と出掛けた帰り道。
「ッ、オズワルド様!!」
馬車に乗り込むため、エスコートしてくれる彼の背後。キラリと鈍く光る銀色に気付いた私は、咄嗟に、彼の腕を引き寄せ―――そのまま彼を庇って、斬られた。それはもうバッサリと。二ヶ月経った今も、左肩から腰あたりにかけて背中に一閃の傷跡がガッツリ残っている。
どうにも彼は陛下からの依頼で、現王家への不満を持つ一派の不正を一気に暴いていたらしく。政敵を山ほど作り、結果狙われたのだという。これはオズワルド様のご両親から伺った。
奇襲をかけたのは政敵である侯爵家の次男。彼は私を斬りつけてしまったことに動揺し、そのまま捕まったらしい。既にこの世には―――多分、いない。事件からひと月、私は生死の境をさ迷ったらしい。目が覚めて話を聞いてから、何となしに眺めた貴族名鑑から該当の次男の名前は、消されていた。
「お嬢様、オズワルド様がいらっしゃいましたが…」
「…この体勢でも失礼に当たらないかしら?」
「ローゼンタール公爵様はそのままで良いとおっしゃいましたし、問題はないかと…そもそもお嬢様はまだ傷が…」
「それもそうね…お通しして」
でかい傷が背中にあるということで、目が覚めてから―――もちろん意識不明の間は言わずもがな、うつ伏せで寝たきり生活である。これがなかなかしんどい。とはいえこれでもめちゃくちゃ早く治ってるのを知っているから、不満は飲み込んでいる。今日も半泣きの侍女に世話をされて過ごす。
剣と魔法的な魔法はないけれど、傷を癒す奇跡、はある今世。聖堂に在籍する数少ない奇跡の遣い手は、それこそ王家や大貴族でしか頼めないくらい希少な存在。つまりはめちゃくちゃ金が掛かる。そんな奇跡を、オズワルド様が願い、ローゼンタール家としてではなくオズワルド様個人として私の元に遣わせた、らしい。お陰様で一命を取り留めた。
奇跡といっても万能ではないので、傷跡は残るそうだ。まあ前世と違って生きてるから良いかあ、とのほほんと考えていた私だが、私の目が覚めても我が家はお葬式なテンションだった。
そりゃあそうか、と思い直す。今世、傷のある令嬢なんて嫁の貰い手がない。婚約者はいるけれど、関係は良好とは言いがたかったし、婚約破棄されてもおかしかない。まあでも、そうなったら別の生き方を考えるさ、とりあえず生きててよかったね、と私があまりにポジティブにしていたら皆感化されたらしい。徐々に屋敷に笑顔が戻ってきて何より。
さて、件のオズワルド様だが、私が意識不明の間、奇跡を願ってはくれたものの一度も彼自身は来なかったという。目が覚めてからも言わずもがな。こりゃ婚約破棄待ったナシでは…とは思ったけれど、その割に現ローゼンタール公爵夫妻、つまりはオズワルド様のご両親は三日おきくらいに来る。来すぎ。そんなすぐに治ったら誰も苦労しないんだわ。
そんな、来すぎなくらい見舞いに来てくれるオズワルド様のご両親に、「私はいつ婚約破棄されるのでしょう?」とさも当たり前のように聞いてみたのが昨日。カチン、と固まったあと、真っ青な顔のお二人を見送って、今日。同じくらい―――いや数倍顔色の悪いオズワルド様がいらっしゃった。そしてたっぷり一時間呆けてから、彼は震える声で言った。
「君は…婚約破棄、したいのか…?」
「え…?」
何故そこで私の意思を確認するんだろう、と疑問符。はて、と小首を傾げつつ、オズワルド様の顔を伺う。
「したい…というよりも、この傷ですから。私の価値は下がりましたし、破棄されて然るべきかと思いました」
「…誰かに何か、言われたのか」
「いいえ、何も。…事件が事件なだけに私の見舞いに来るのは家族とオズワルド様のご両親だけですから、吹き込まれるも何も」
嘆息する私に、オズワルド様がグッと口篭る。ウィークポイントを抉りすぎたかもしれない。何せ一回も見舞いに来てくれないくせに方々からは心配していると話だけ聞かされて、心配してるなら来いよとちょっと腹が立ってしまったもので。ちょっとした八つ当たりである。
八つ当たりしたらクリティカルだったらしい。オズワルド様は顔色をもう一段悪くして項垂れた。
「…傷は、まだ痛むか?」
「いいえ殆ど。オズワルド様が奇跡を願ってくださったと聞きました。お礼が遅くなりましたが…ありがとうございます」
「いや、お礼を言われるような事は無い。顔を上げてくれ。」
だいぶ傷の痛みも和らいだ。首を動かしたり、右手を軽く動かす程度なら苦にならなくなってきた。見舞いに来なかったとはいえ、目の前のオズワルド様の願いがなければ私は奇跡を受けられず死んでいただろう。だから当然の事として、今できる精一杯で頭を下げる。すると彼は、傷に響く、と慌てながら私に顔を上げさせた。
「……」
「…質問をしてもよろしいですか?」
「! っああ、勿論だ」
私の体勢を一番楽なものにさせてから、またオズワルド様は黙り込む。というよりも何か、思い悩んでるような表情に思える。その姿は、私を疎んでいるようにはあまり見えなくて。
これまで婚約を向こうが何らかの含みがあるから解消も破棄もしないが嫌がってる、という前提で考えていたけれど、話してみなければ真意は分からないなと思い直した。だって婚約破棄するなら、今が最大のチャンスだ。盾にした女を捨てた、とかなんとか言われるかもしれないけれど、彼のスペックを考えればすぐさま相手は見つかると思う。それでも婚約破棄せず、今もこんな弱々しい様子で。
オズワルド様が、分からない。私は彼を、何も知らない。