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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

連載未定の短編集

【短編】ゆりちっく

作者: たみえ


※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。

 ……しかし、現実の未来で実際にどうなるのかは分からない。そんな身近な物語です。








 5XXX年。人類種は絶滅の際に立たされていた。


「――二十世紀後半より近年までに世界総人口は約百億超えをピークに、現在に至るまで徐々に減少し続けています。これは様々な要因が絡み合った結果であると大まかに結論付けられてはいますが、実際には価値観の推移による影響が最も大きかったのだとも言われています。なかでも若年層はその変化と推移によって著しく影響を受けましたが――」


 つまらない話。繰り返しの洗脳。意味の無い退屈な懐古。

 勝手に背負わされた負の遺産。


「――そのため、若い貴女たちの今後の妊活が重要視されるのです」


 ……ここは、そういう世界になった。

 これは最高に繁栄した過去へ、最低に衰退中の私たちが届ける禁断の恋物語だ。


 ◇◆◇◆◇


「好きです! 受け取ってください!」


 ゆるやかにピンクブラウンの髪を垂れる少女から、捧げ持つように渡された赤いリボンの髪留めを受け取る。

 とりあえず、趣味じゃなかったのでその場で付けずに制服のポケットに突っ込んでおいた。


「ありがとう。しまっとくね」

「あ、ひどい! いま使ってくださいよお!」


 ぽかぽかと、用件は済んだとばかりにさっさと去ろうとした背中を叩かれて仕方なく足を止めた。

 このやり取りも既に何度目か……。


「ごめん。正直いらない。ああでも、この前のチョコは美味しかったよ」

「いつも喜ぶのが消えもの一択なんて、ひどいですぅ!」

「そんなことはない」

「全然ありますぅ!」


 ぶーたれるようにぷすぷす文句を言っている後輩を呆れた目で見つつ、数か月前に突然初対面で鼻息荒く突撃してきた頃を思い出した。

 抱えるほど大きな箱型のプレゼント片手に、豪華な花束と共に今と全く同じ言葉で声を掛けられたのだ。


 その時は咄嗟に危ない人か人違いだと判断して、関わり合いにならないよう普通に無視した。

 が、それから何故か無視しても隠れても、逆にハッキリと冷たく追い払っても諦めずにずっとしつこく追いかけられ続けて今に至る。


 名前はアーシャ。妊活の為に中央へと転校してきたばかりの十五歳で、二つ下の後輩だ。好きな色は私の髪色で、黒。好きな食べ物は私と同じでハンバーグ。趣味は、というか好きなものは全て私と同じ、らしい。

 ひと月も経った頃には、一方的に話すアーシャのせいでプロフが勝手に頭の中に出来上がってしまっていた。しつこすぎる。


 この段階でもはや鎖国を諦めた――あまりの慕いっぷりに絆されたともいう――私は、アーシャ軍艦を脆くも受け入れてしまった。

 それからというもの、定期的にプレゼント攻撃を甘んじて適当に受け流して後輩の相手をしてあげている。

 黙っていればただの北欧系の美少女なのに、もったいない。


「あのさ、今日このあと精力検査だから。もう行っても良いかな」

「絶対だめですっ! みーちゃん先輩の浮気者!」

「じゃあもう行くから。次もチョコでよろしく」

「だ、だめです! だめですってばあああ~~っ!!」


 アーシャを適当にあしらい、検査場へと続くエスカレーターに乗り込んだ。途中、専用ゲートがあるため入場出来ないアーシャが止められて詰まるのが見えた。

 その光景を笑って見ながら景色は遠ざかり、やがてアーシャが見えなくなってから暫くして検査会場へと到着した。


「本日は精力検査の御来場、ありがとうございます。コードをかざした後、待機列に並びお待ち下さい」


 受付の案内に従って左掌を専用の機械にかざす。すると、体内に埋め込まれた識別チップが反応して私の情報を読み取った音が鳴った。

 後は案内された通り待機列に向かい、順番を待つ。


 義務として精力検査が導入されたのは、今から約六百年ほど前からだという。私からすればかなり昔の話だが、それでも導入する判断が遅かったのだと世界的に言われている。

 今では完全に義務化し、これを受けるのが当たり前の常識となっているが、この検査の役割は現在の私たちの文明存続、今後にとって非常に大きく重要なものとなっている。


 いくつか重要な役割があるが、その中でも検査によって候補のピックアップをするのが最もポピュラーな認識だった。

 候補というのは勿論、妊活をする上での相手候補である。


 検査するたびに現在最も相性の良い相手を選別し、その中から妊活相手を都度選んでいくのだ。

 その後、妊活関係が長く続く相手もいれば他の要因で上手くいかず一回限りの相手もかなりいる。


 私は今回、妊活許可が出て初めての精力検査になるので馴染みの相手はまだいない状態だ。

 妊活許可が貰えるかどうかは、主に妊娠出産するうえで心身が耐えうる状態であるかどうかで判断される。


 ただでさえ現在進行形で()()女性が少なくなっているのに、元々生物としての女性自体が生涯での妊娠可能期間が非常に短く、年齢その他の要因によって出産時の危険が大きくなることはあっても小さくなることはないので、絶滅に瀕する今ではそれらが当然の配慮となっていた。

 私の場合、昨年までは身体的に未成熟であり妊活は危険という判断がされていたため、本格的な妊活は出来なかった。

 同年代では平均より少し遅いかどうか、の範囲なので焦りはなかったが、周囲からそれなりに中傷を受けることはあった。


 ――さすが男系。成熟も遅いんだろうね。

 ――やめときなよ。関わったらこっちまで係累にされちゃう。

 ――まあ、欠陥じゃないだけマシでしょ。


 男系、というのは代々主に男性を多く産んで比較的男性を産みやすいと分類された系図出身女性への侮蔑を込めた言葉だった。

 その差別の言葉が広まった原因は、一見して世界の男女比率が変化もなく殆ど一緒だった頃、内訳が世紀を跨ぐにつれて段々と酷いものになっていったからだった。


 ゆるやかに、ひそやかに、違和感もなく、――徐々に徐々に人類が手遅れだと気付くまで女性の平均寿命は上がっていき、いつの間にか男性の平均寿命が著しく下がってしまっていたのだ。

 そうなることで何が起きていたのかは、想像に容易い。


 一時期、ほんの短い期間。

 特に世界中の若い女性の殆どが半奴隷と化し、さらにその数を減らした歴史的に悲惨な事件があった。

 加速度的に人が数を減らした原因のひとつとも言われている。


 この悲惨な期間がやっと過ぎた頃には皮肉なことに、老齢となってからやっと解放された女性たちが生き残り、女性の取り合いによって老いた男性が排除され続けたことで世界の男女比率はどうしようもなく逆転した。

 そこからは完全に女性優位の社会に変化していき、今では男性が女性と生殖行為をするには専門機関の監視下、免許必須の完全許認可制となっていた。


 ……何千年も前は男女平等だなんだと声高らかに主張していたのに、今では「人類存続の為に」という枕詞を免罪符に女性が社会に幅を利かせていた。

 女性が女性を多く産めば産むだけ、ありとあらゆる特権が与えられた。男性は一人居れば充分だが、女性はその三倍は必要だというスローガンを掲げて幅を利かせ続けた。

 その結果は、女性優位となった現代社会の男系差別の基礎となった。


 だからこそ、女性を産みやすいと分類された系図出身の女性は男性に人気だった。女性の得る特権を男性も少なからず得られるからだった。

 子どもは未来じゃなく、ただのビジネスと化していた。

 だから、――。


「初めてお会いした時から、好きです」


 だから精力検査で「顔は良いけど、男系の男子でマイナス」と書かれた他の女子の感想が偶然目に付いて気になったという適当な理由で選んだだけの、今日会うのが二回目のこの若い男子大学生が口にした言葉は私にとってただただ空虚なものだった。

 男性の発散用に販売されている専用の女性人形があれば充分だと、わざわざ免許必須の面倒な本物の女性を求める男性は年々減少傾向にあった。


 それなのに面倒な本物の女性を求めて専門機関へわざわざ登録する男の大体は家を繋げる跡継ぎが必要な為に登録したか、女の子を産んだ場合に男性側にも融通される女性特権にあやかりたいという下心からでしかなかった。

 子どもを得て育てられてこそ仕事も一人前だと現代社会でみなすきらいがあったから、出世の為にという男も中にはいるかもしれないが。


「気持ちは受け取れないです。ごめんなさい」

「――――」


 正直にバッサリと振った。男が分かりやすく項垂れた。

 たった二回、実質一回しか会っていないのに判断が早過ぎるし、そもそも年季が明けないと――閉経等で妊娠出産が出来ない状態になるまで――女性は容易に自由に恋愛相手や結婚相手を選べない。

 なんならその人との子どもが居ない場合は、幾ら好きであっても恋愛や結婚の選択肢にすら上げられないのが現状だった。


 こんな現状を当然とする前提の免許が取得出来たなら、状況的に最初から確実に断られるのは分かっていただろうに……下手したら振られるだけでなく免許取り消しになるかもしれないのに凄く律儀な人だな、と思った。

 常にお互いに最高の相性であり続ければ問題は無いかもしれない。しかし若さは永遠ではなく、相性の順位は無機質な検査結果で容易に上下するし、たとえ相性が良く在り続けても実際に子が産めなければ別の相手を推奨されるのが当たり前の社会だった。


 大事なのは子を多く産むという人類の存続繁栄であって、恋愛感情等はそのためには邪魔でしかない。だからこそ、こちらが断りやすいように先に好意があることを教えてくれたのだろう。黙ってれば良いのに律儀な男だった。

 気持ちが籠るとより複雑で面倒だと思うのはいつの時代も変わらない。ビジネスライクを貫き通せない関係は、この社会に変化してから今までの過去の例からみても非常に破綻しやすいのだ。


 そこをなんとか隠し通して年季明けに告白するのが最新のスタンダードだったので、なかなかにチャレンジャーというか無鉄砲というか……。

 素直というか律儀というか、まあとにかく憎めない純朴さが男の告白から感じ取れたことで、初めての妊活でもたげていた不安が少しだけ和らいだ。

 ……そんな雑な理由だったが「まあこの人ならいいかな」と、たった二回で私は早々に決心し、男に告げることにした。


「……でも、子どもは産んであげますから」

「ありがとう、ございます……」


 次回、()()()()()()をする約束をして、神妙な表情をした男とその日はあっさり別れた。

 何故なら、先にお互いそれぞれに専門機関へ届け出をして合意の上であると証明し、事前に許可を得なければならないからだった。


「みーちゃん先輩! みーちゃん先輩!」

「うわ、でた……」

「お化けみたいに言わないで下さい! もおっ!」


 許可申請書の提出を終えて女性専用寮へと帰宅すると、家の玄関前にぽつんとアーシャが座って待っていた。

 どこまでも正々堂々としたストーカーを脇目に、さっさと家に入ろうとする、と――。


「ちょちょちょぉ! 待って下さいっ、待って下さいっ! みーちゃん先輩っ!」


 ガバッ! と私に気付いて勢いよく起き上がったアーシャが急な立ち眩みにでも襲われたのか、ふらっと手摺りに寄りかかって頭を抑えた。

 ……急に立ち上がるからそうなる。きっと日ごろのストーカー行為の報いだ。自業自得。


「待たない。あと地面座って汚いから近づかないでくれる?」

「ひどいですぅ! 愛しのアーシャちゃんを締め出すなんて、みーちゃん先輩の鬼! 悪魔! 堕天使! 恋人!」

「最後の捏造が悪口より要らん。さらっと混ぜんな」

「ということは、愛しのアーシャちゃんはおっけー!?」

「そんなわけないって分かるよね?」

「うう……やっぱり手ごわいですぅ……」


 しくしくと泣き真似をするアーシャに冷たい一瞥を送ってから完全に玄関に鍵を掛けた。泣き真似に夢中だったアーシャが途中で気付いて玄関超しに猛烈に抗議してきたが、無視する。

 ただ、妊活で疲れていたせいなのか――その日はなんとなく、気まぐれでアーシャが去るまでこっそり玄関へ静かに背を預けていた。


「――せんぱい。妊活始めた、んですよね」

「――――」


 完全に私がいないと思っているのか、ゴツン、とかなり大きめな音を立てながらアーシャが独り言らしき言葉をぼそっと溢した。

 音の位置的におでこを思いっきりぶったかもしれない。かなりイイ音がした。


「もうお相手、決まっちゃいました……?」

「――――」

「……こわい、です」


 ――――。


「……アーシャ?」


 最後に零れた小さな呟きを拾ってしまい、思わず開けた玄関にはアーシャの姿は既になく、残されていたのはドアノブに引っ掛けられたチョコが入った袋と、メッセージカードだけだった。

 手紙には一言だけ「お疲れ様です。愛しのアーシャより」という言葉が書かれていた。


「だから……」


 反射的にツッコもうとして、肝心の本人がこの場に居ないのにツッコんでも意味が無いと早々に気付き、口を閉ざした。

 ……貰ったイチゴ味のチョコは、どこかのストーカーな後輩を思い起こさせるような甘く濃い味がした。


 ◇◆◇◆◇


 私の妊活は順調に進みだした。


 最初のときは、教科書で知る知識は所詮ただの知識でしかなかったと思い知らされることとなった。

 しかし、それでも私はなんとか山場を乗り越えられた。この時点で早々に精神が病んでしまう女性も多いのだというから、順調と言えるほうだ。


 特に初めてとなるとほぼ感情の伴わない行為となるのだから、そういう弊害が生じるのは当然想定内だ。

 私の場合、言えばあまり良い顔はされないが事前に告白をされたことになるので恵まれているほうだと言える。

 しかし、殆どの女性はそうではない。


 経験というのは大事だ。大昔、本来女性の初めてというのは特別なもので、特に神聖視されていたという話を聞いたことがあるが眉唾物の話だ。

 経験豊富な女性こそが神聖視される現代社会において、無垢や純潔は罪である。


 だからこそ、ここで躓いた女性には特別なカウンセリングが施され、再び妊活へと送り出されるというシステムが構築されている。

 が、周囲から精神異常者という扱いで見られるため、なかなか利用しようとする女性は現状あまり存在していないらしい。

 そんな中、思ったよりもあっさりと超えた山場の後で別の山場――修羅場が待っていた。


「わあああああああああああああああああああああんん!!」

「……知り合い?」

「違います」

「うわあああああああああああああああああああああああああああんんっ!!」


 簡単に言えば、アーシャが出待ちして往来で泣き崩れていたのだ。

 そして他人のフリをして無視して去ろうとした途端、凄まじい敏捷性によって腕を物理的に掴まえられた。

 なんて傍迷惑なストーカーか……。


「はぁ……ごめんなさい。急用が出来たので、今日はこれで」

「え、でも……う、あ、うん。俺は大丈夫。大丈夫だから……」


 本当はこの後、親睦を深める予定だったが急遽予定変更である。親睦云々は男のほうから誘われた突発的な予定だったので、タダ飯が食べれなくなった以外に特に未練はない。

 ただ男側は未練があったようで一度何かを言いかけたが、いつの間にか都合よく泣き止んだアーシャに凄まれて言葉が引っ込んでしまったようだった。

 ……普段のストーカー行為で忘れがちだが、アーシャはかなりの美少女だ。睨まれればそこそこに迫力があるので、怯んでしまうのも分かる。


「……みーじゃんぜんばいのゔわぎもどおぉぉっっ!」

「はいはい。何言ってるか分かんないから。鼻かんで。ほらチーン」

「ぢーん……ずぎでず」

「はいもっかい鼻かんで。チーン」

「ぢーん……」


 将来、子育てをする際に必要なスキルだと学んだ時は幼児相手を想定して学んでたはずなのに、まさか初めての実践が同年代相手になろうとは。

 結局、私の寮までひっついてきたアーシャは、ぐでっと私の腕や肩に力なく寄りかかったまま、ぐすぐす思い出し泣きをし続けた。

 そんなアーシャの世話がどんどん面倒になってくるが、子どもはもっと面倒な生き物だというから逆に良い練習だと思って我慢することにした。


「何がそんなに悲しいの?」

「せかいのふじょーりがかなしいですぅ……」

「…………」


 いっそのこと、玄関から外に思いっきり放り投げていいかな、コレ。


「あっそ。じゃあもうどうしようもないね」

「せんぱ、つめたいですぅ……」

「はいはい。そうですね」


 ずびび、と何回目かに鼻をかんでやっと落ち着いた様子のアーシャが突然、何かに呆けたように周囲を見回した。

 急にどうしたというのか。この後輩はいつも感情が忙し過ぎて疲れないのだろうか、と時々余計な疑問が浮かんでいたが……もしや当たってた?


「……めて」

「なに?」

「……はじめて、はいりました」


 …………。


「ということは、こいび」

「ないから」

「そんなぁ……」


 泣いたせいで声が枯れているのか、いつもよりアーシャの言葉に勢いが無いが、それはそれとして即座に否定した。

 日ごろからストーカー行為をしていなければ、私だってもっと早くに後輩として部屋に上げていたことだろう。


 今日入れたのはたまたまである。というより、いくら普段から煙たがっていたとしても、さすがに泣いてる後輩を本気で道端に捨て置くほどの畜生に成り下がった覚えは私にはない。

 一応は自分の普段の扱いが酷いという認識はあったようだが、だからといって人道に悖るような人間性だと思われてるのはなんか癪だ。


 私だって聖人とまでは言わないが、それなりの善良性を持ち合わせているつもりなのだから。

 ……ただし、この先ストーカー行為を止めない限り次の慈悲はないだろうが。


「うぅ……わたしとのこどもをそだててくれるってやくそくしたのにぃ」

「捏造やめてね」


 やっぱり早めに外に放り出そうかな。


 ◇◆◇◆◇


 十六歳の誕生日後、アーシャに妊活の許可が出されたらしい。

 何故、他人のはずの私がそれをいち早く知ったのか。理由は簡単である。


「いーやーでーすぅぅっっ!!」

「私に言わないでくれる?」


 許可が出たその日、いつの間にか合い鍵を作っていたアーシャが部屋に滑り込んできて、ひと息にこの世の終わりかのように愚痴を溢したのだ。

 というより、本当にいつの間にか合い鍵が作られていたことに驚きを禁じ得ない。なんだかんだもう慣れたが。……何度没収しても出てくる合い鍵の存在に恐怖を覚えて諦めたともいう。


「愛する人と添い遂げられない人類なんて、潔く滅んでしまえばいいんですぅ!」

「そうなってたら私たちは出会えなかったかもね」

「みーちゃん先輩のいじわるぅ!」


 ああ言えばこう言う、という感じに適当に茶々を入れてツッコミつつ聞き流す。

 私と違ってアーシャは女系だ。相性が悪い相手からもきっと引く手数多なことだろう。……なんか、もやっとした。なにこれ。


「たくさんの申し込みがあるんじゃないの」

「みーちゃん先輩以上に優先される人はこの世にいません!」

「……相手選びには苦労しない筈でしょ。否定は時間の無駄だよ」

「みーちゃん先輩以上に優先される人はこの世にいません!」

「はぁ……あっそ。好きにすれば」


 アーシャと話しててイライラすることなんて今までになくて、なんだかんだとこれがアーシャ相手に初めて芽生えた負の感情だった。

 そしてこれはなんでだろう、と思いつつ会話しているうちに気付いた。


 ――ああ、嫉妬か。


 最近、最初の男子大学生くんが嘘だったかのように酷い相手としかマッチングしていない。

 そのストレスのせいで、私と違って選びたい放題のアーシャの立場に嫉妬しているのだ、私は。


 女系、男系と括られて。そんな物差しで自分の価値を赤の他人に決められるのは気分の良いものではない。

 そんなことは妊活が始まる前から分かっていた。了承していた。


 ……いつからそれが、こんなに苦しくなったんだろうか。


「はい! アーシャはみーちゃん先輩一筋ですから!」


 満面のだらけた笑みでおバカな回答をする後輩のおでこを呆れた顔で小突きつつ、どうしてか私はひそかな安堵を覚えていた。


 ◇◆◇◆◇


 妊娠した。相手は例の男子大学生くんだった。


 どおりで最近、アーシャを見てて妙にむかむかイライラするはずである。

 すべて妊娠初期の症状だったのだ。


「ありがとう……うれしい……」


 改めて妊娠したことを報告した時、大学生くんは非常に喜んでくれた。喜び過ぎて、未だレントゲンで輪郭すら見えていない赤ちゃんの為に色々と買っておこうと先走りして色々と空回りしていたほどだ。

 ……男性が父親になるにはかなりの時間が必要だとされるが、妊娠しただけでこんなに喜んでくれるなら既に良い父親の素質はあるのだろう。


「こんな時に言う事じゃないかもしれない……でもやっぱりもう一度言わせてほしい、君が好きだって」

「――――」

「愛してるよ。心から君のこと」

「――私は、」

「返事は要らないから! 今はただ聞き流していいから! ――君の年季が明けるまで待つよ、俺」

「――――」

「それが言いたかっただけ。ごめん、君たちが大変な使命を背負ってくれてるっていうのに、俺は俺の気持ちを押し付けて自分勝手だ……」


 ……とあるひとりの男性の子どもを妊娠し出産したところで、妊活は終わらない。妊活出来なくなるまで、終われない。

 むしろ、一度無事に妊娠出産を経験した経産婦はより別の男性との子を設けることを推奨される。……だからこそ、感情は邪魔になるのだ。

 今を生きる人は、そこまで追い詰められていた。例外は、無い。


 ――『アーシャはみーちゃん先輩一筋ですから!』


 例外は、無いのだ――。


 ◇◆◇◆◇


 アーシャがサラリーマンっぽいスーツのメガネ男と歩いていた。

 それを見つけたとき、思わず目の前に飛び出して――驚いた表情のアーシャと目が合ってすぐさま逃げてしまった。


 ……なにがしたかったんだろう、私。


 家に急いで帰ってすぐ、玄関からチェーンに引っ掛かってガチャガチャ鳴る音が聞こえて来た。声は何も無かった。でも、アーシャだと分かった。

 というより、アーシャ以外に勝手に合い鍵を作ってもってるやつを私は知らない。


 いつもは不法侵入だなんだと怒りつつもチェーンを掛けたことなんて一度としてなくて、だけど何故だか今日はアーシャと無性に会いたくなくて無意識に掛けてしまっていたようだった。

 それに気付き、早く外しに行こうと思っても何故か身体が重く、足は動かなかった。何をそんなに身体が拒絶しているのか、分からないまま時間ばかりが無駄に過ぎていき、やがて――。

 いつの間にか音は止み――その日以降、アーシャと会わなくなった。


 ◇◆◇◆◇


 アーシャと会わなくなってから、――子どもが男の子だと分かるくらいに大きくお腹の中で成長するくらいの時間が経っていた。

 経過は順調で、母子ともに当たり前のように健康だった。


 ――順調。そうとしかいえないほど、順調だった。


 子どもを産めば、女の子の時とは比べ物にはならないがそれなりの特別待遇を得られる。例え女の子が産めなくとも、今後子どもを産んだ数で女の子を産んだ女性が得た特権に迫ることは出来るのだ。

 ただし産んだ子どもが男の子の場合、自分自身で子育ては出来ない。親権が男性に完全に譲渡されるからである。女の子の場合も然り、母親に全ての権利が譲渡される。

 若い女性の少なさによって起きたかつての悲劇を繰り返さないため、そういう処置がなされたのも今や遠い昔であり、それが現在の常識となっていた。


 出産予定日まで順調に予定は進んでいき、ついに何の問題もなく元気な男の子が生まれた。安産だった。

 約半年、母乳を与えたあとで父親に引き取られる予定である。そういう決まりになっていた。


 専門機関のサポートを受けながら着実に時間は経過していき、ついには無事に赤ちゃんが父親である大学生くんへと引き渡された日の夜。

 まるでこの身を引き裂かれたかのような心地に陥った。


 ――くるしい。かなしい。いたい。つらい。


 これほどまでに感情的になったことはなかった。

 頭の中は同じ言葉がぐるぐるぐるぐる回って回って最後に――。


 ――『せかいのふじょーりがかなしいですぅ……』


 アーシャにどうしようもなく会いたくなった。

 この世の不条理を悲しんでいたアーシャに。

 私があの日拒絶した、あのアーシャにもう一度会って――。


 ◇◆◇◆◇


「……ご家族の方でしょうか」

「いえ、私は……同校の先輩です」

「ご友人でしたか。分かりました。少々そちらの席でお待ちください」


 調べると、アーシャが大きな病院に入院していることがすぐに分かった。もしも私がアーシャのことを探すことがあれば、すぐに居場所や状況が伝わるようにアーシャがちゃっかり手配していたらしい。

 おかげで、長い間会ってなかったのに思ったよりもとんとん拍子で見つかって拍子抜けであった。


「はじめまして」

「……はじめまして」


 病室には、いつか見た記憶のあるリーマンスーツのメガネ男が居た。なんとなく、しかめっ面で挨拶してしまい苦笑された。いけ好かない男だ。

 シャー、っと遮られたカーテンを開けた先にアーシャは居た。


「――早産でした」

「…………」

「無事、元気な女の子が産まれましたがアーシャさんはそのまま――ぐッ」


 頭の中で何をしているんだ、冷静になれと強く言い聞かせてみても感情はどうにもおさまりが付かなくて、メガネ男のネクタイを鷲掴んで首を絞めた。

 首を締めあげている間、――私を見兼ねた周囲によって取り押さえられ、手を離すまで。息苦しい顔をしたメガネ男は抵抗らしい抵抗もなく、ただされるがままだった。


「……アーシャさんは意識不明のまま、生きています」


 ただ、生きてるだけだ。この男は、――この状態に陥った女性がどういう扱いを受けるのか、知っていて淡々と言っているのだろうか。

 どんな扱いを受けるか知って――ッ。


「今回の研究結果は必ず無駄にはしないと、未来に活きる人々のためにも結果を後世に必ず残すと、――誓います」

「……研、究?」

「聞いてませんでしたか……? ……そうでしたか」


 メガネ男から、何かの文面を読み上げるような淡々とした口調で事の経緯を要約した形で教えられた。メガネ男は聞いたことのある世界的に有名な研究所の偉い研究者だった。

 接触はアーシャのほうから。生殖行為の必要としない妊娠に関する研究に協力するという形で、課せられている義務を裏道で果たそうとしたのだ。

 ……自分の身の危険よりも邪道を選ぶなんて、アーシャはやっぱりただのバカだ――。


「恋人であるあなたがお怒りになるのも当然のことです」

「こい、びと……?」


 こいびと。――恋人。


「……私にも恋人が居るので、お気持ちは分かります」

「――――」


 ……違う、私は――。


「恋人は日本系の私と違って、アフリカ系の方です」

「――――」

「先祖の名残りなのか、とても陽気な方でしてね。先祖の影響か、根暗な性分の私には珍しく心から共にいて楽しいと思えるような素敵な人です」


 人類の総数が減少したことで混血化はかなりの速度で進み、明確に民族を括る枠組みはとっくの昔に衰退していた。国の後に系と付けるのは、色濃く出たその国の先祖の血を参考にした単なる遺伝子の判別だった。

 ……国や人種の垣根はとっくの昔に無くなっているのに、男女の溝はいつまでも埋まることがないなんて――。


「アーシャさんの話を聞いた時、私は後悔しました。何故なら私は、彼との関係を公言することに羞恥と後ろめたさを感じていたのですから」

「彼……」

「ああ、これも聞いてなかったですか? 私の恋人は男ですよ」

「は……」


 おと、こ……?


「遠い昔、同性による婚姻は合法で一般的でした。知っていましたか?」

「い、いえ……」

「そうでしょう。この事実は衰退の途を辿る今を生きる私たちにとって、不必要で邪魔な情報ですから」

「――――」


 そんな重要そうな話、こんな場所でしていいの……?


「大丈夫ですよ。この病院は、そんな今では異常者と揶揄される人々のための施設ですから」

「え……」


 周囲を見渡して、気付かなかったことにやっと気付く。

 よく見れば、同性同士で寄り添う人々がちらほら存在していたのだ。


「ここにいるのは、――どうしようもない今を、どうにも変えられない今を、……それでも未来の子らのためにと、犠牲となる心積もりで協力してくれている勇敢な方たちです」

「…………」

「どうして同性の恋人が私たちの時代には許されないのか。愛してしまったのが同性だったというだけで」


 …………。


「人が飽和した時代。贅沢は贅沢ではなく、ただの選択肢だった」

「選択肢……」

「どうして私たちだけ、ただの選択肢だったものがただの贅沢となってしまったのか」

「贅沢……」


 それは、……人類種が絶滅の際に立たされているから。

 それは、私たちにはどうしようもないことで――。


「アーシャさんが言っていました。『好きな人の子を産んで、好きな人と子を育んで、好きな人と共に墓に入る。そんな当たり前のことを、何の障害も無く、当たり前のように過ごせるような未来にきっと私たちの希望――(のぞみ)が在る』と」

「――――」

「今回は、その結果です。――力及ばす、申し訳ありません」


 ……静かに頭を下げた研究者の手は、血管が浮き出るほど強く固く握り閉められており、今回の結末が彼にとって不本意なものであったことを如実に語っていた。

 私はそれを見て――何も言えずに、病室を後にした。


「――――」


 まだ最初に感じた喪失感も埋められないまま、新たな喪失感で心の中身が全て抜け落ちていくような感覚だった。

 覚束ない足取りでどこをどう彷徨ったのか、――その声が聞こえたのは偶然だった。


「――ぁぁっ、んぎゃぁぁっ、ぎゃぁっ」

「あか、ちゃん?」


 自分の子ではないことは頭の片隅で分かっていた。けれど足は止まらなくて――とうとうその場所に辿り着いてしまっていた。

 半透明なガラス超しに並んだ生後間もない赤ん坊たち。未だ記憶に新しい我が子を想い起すような光景に、空っぽなはずの胸が締め付けられた。


「あ……」


 そのプレートには『ミーシャ』と書かれていた。

 すぐに分かった。――例の、アーシャの子だと。


「あぁ……」


 人の名前を勝手にくっつけて。随分とやりたい放題だ。

 ……ぽろぽろと、気付けば涙がとめどなく零れ落ちていた。


「ふ、ふふ……ぁ」


 零れる涙をそのままに。

 私の気配に気付いて目が覚めてしまったのか、こちらに気付いて両手を上げたミーシャの満面の笑顔に、思わずつられて笑みが零れた。


「ふふ、そっくり、だね……ぅッ」


 きゃっきゃと喜びに満ちた笑みをただただ無償にくれる小さな命に、急速に心は満たされ、空虚な内側が埋められていく気がした。

 私が、――私が代わりに育てよう。


 ――あなたのママが勝手な約束、しちゃったからね。


 ◇◆◇◆◇


「ママー! 今日はママに会いに行く日でしょ!」

「そうだよ。だからほら、早く支度しなさい。遅れたらママが悲しむよ」

「はーい!」


 あれから約五年の月日が経過していた。

 その間、私は続けざまに三人の男の子を産んでいた。

 相手はそれぞれ別の人だった。


 彼女の権利が侵されないように、私が全てを肩代わりした。

 産まれた子どもを連れて行かれる激しい苦痛に苛まれつつも、子を産んだ時に生じる特権の全てを彼女のために余すことなく利用したのだ。


 ……身勝手で最低なことをしてるのだと、誰かに言われなくとも自分自身が一番よく分かっていた。それでも――。

 それでもと――おかげで彼女が寝たきりのまま、けれど平穏な毎日を送れていることが私の心のとても大切な安寧になっていた。


「ねえママ。どうしてママは起きないの?」

「……怖いものに勇敢に挑んで、少しだけ疲れて寝てるんだよ」

「怖いもの? てなあに?」

「――さあ、なんだろうね。ミーシャの大大大嫌いな苦ーい苦いピーマンかもしれないよ? ミーシャも頑張って挑もうか」

「ううぇえっ! やだあ!」


 分かりやすく嫌がったアーシャが逃げるようにアーシャが静かに眠るベッドの裏に隠れた。それを笑って見つつ、活けてあった花を交換する。

 アーシャの身体に明確な異常は無いのだというが、何故かその目が覚めることはない。

 ――そんな状態でもう、五年だ。五年も経ってしまった。


 そろそろ覚悟をしたほうが良いかもしれないと、近頃度数が上がったらしいメガネ男に親切顔で言われてしまった。

 ――不要な親切だ。勝手に自分に置き換えて、勝手に辛そうな顔をされても無駄だ。私は諦めない。何を言われても、どんなに障害があると知っていても……アーシャは私を諦めなかったんだから。


『――お前、知ってるぞ。男しか産めないくせに、相性とか関係なく色んな男に足開いてんだってな? そんなに女が産みたいのかよ』


 彼女を守る為に行動している時、そんなことを面と向かって言われて卑しいと、嘲られたこともあった。

 彼の主張に間違いは、ない。私は卑しい人間だ。自分の子を利用している時点で何も言い訳は出来ない。最低の人間だ。


『――ッ。なんだよ、これ!』


 けたたましいアラートと共に『――警告します。不承認の暴行を検知。時間内に、直ちに双方充分な距離を保つように。10、9、――』というアナウンスが私の体内から鳴り響いたのだ。

 ――アラートの原因は、男に腕を強引に引っ張られた。ただそれだけだった。


 男は一瞬驚いた様子だったがすぐに原因に思い至ったのか、苛立った様子で私と大きく距離を取って後ろを向いて跪いた。

 その姿はまるで――見えない拳銃でも突き付けられているようだった。


『……女っていいよな、特別優遇されてて。お前らだけ好き放題、男を選び放題だもんな。羨ましいよ、ほんと』


 ……これが、特別優遇されているように彼には見えているのだろうか。

 すべてを管理され、義務を背負わされ、献身を強要されるこれが――。


 全てが私への八つ当たりの言動だったのは、分かっていた。何故ならこの男と会う前、別の女性から散々なことを言われているのが記録に残っていたから。私はそれを承知で男と会った。

 この男性も、女性も悪くはない。悪いのはそうなってしまった世界だ。そうするしかなくなった世界だ。……彼らでも、私たちのせいでもない。

 ただ、そう在ることしか出来ない世界になってしまったというだけ。


 そんな風に言われてもなお、私はその男との子を設けた。

 男は子どもを引き取る時、私へ意味の無い謝罪を残した。

 罪悪感なんて、必要ない。血の繋がらない子を優先する私には。

 ――私は本当に最低な母親なのだから。


 ◇◆◇◆◇


 娘が――ミーシャが反抗期を迎えた。その時、初めて手を上げた。

 ……十歳を少し過ぎた頃合いだった。


「――お母さんたち、おかしいよ!」


 その言葉が発端だった。


「どうして血の繋がらないお母さんだけが義務を背負う必要があるの!?」

「ミーシャ……」

「子どもを産まない女なんて、生きてても何の意味も無い! いっそのこと死ん――」

「ミーシャッ!」


 バチン、とかなりいい音が響いた。

 二人の間に沈黙が落ちた。


「う……」


 やってしまった……と思った直後に、ミーシャが座り込んで感情任せに盛大に泣き喚いた。――泣き方までアーシャそっくりだ。

 重なるそれをただ無言で見下ろしているだけで、虚しく下げた手と共に後悔が重くのしかかってくる。

 ……手を上げるつもりなんて、なかった。


 学校で一体どんな教育がされているのかなんて、過去から今までずっと男系だと凄まじく差別されている私自身が一番よく分かっている。

 ……もう、十年だ。十年もの月日が過ぎ去ってしまった。


 その間、過去に子を産んだ男の子をそれぞれ一人ずつ。新たな男の子どもをそれぞれに二人、産んだ。自分が利用する為に。

 ――もう、繰り返す喪失感にはひどく慣れてしまっていた。


 一時期、親切顔で助言してくれたメガネ男も、私の頑なさに折れたのか、なんだかんだと言いつつ救命に全力で尽力してくれた。

 だからこそ現状のまま、なんとか彼女だけは変わらないまま、十年もの間、変わることもなく彼女だけ時が止まったように維持出来ていたのだ。

 ――しかし、それもそろそろ限界だった。だから、思わず手が上がった。


 どうしようもないことに込み上げてくる醜い感情の全て、その醜悪な部分を何も悪くない娘に晒してしまった。

 ……アーシャもミーシャも悪くない。何も悪くない。悪いのはどうしようも出来ない世界と――私だ。

 我に返ってそっと抱きしめた娘は、長い間泣き止んではくれなかった。


 ◇◆◇◆◇


 深夜、アーシャの病室だった。

 面会時間はとっくに過ぎていたけど、偶然バッタリ会ったメガネ男の計らいで私は見逃された。


「……こわいよ、アーシャ」


 私とアーシャ二人だけの病室は、零れた呟きがよく響いていた。


「何がこんなに悲しいのか――分からなくなるのが、こわいよ……」


 握ったアーシャの手はほのかな体温を宿しており、僅かに感じられる脈だけがアーシャの生きている証だった。


「ミーシャは昔のアーシャも目じゃないくらい、元気だよ。……最近学校の活動が忙しいみたいでね、顔出せなくてごめんなさいって謝ってたよ」


 頬に冷たい感覚がして、自分が泣いているのだと気付いた。


「……前に、『愛する人と添い遂げられない人類なんて、潔く滅んでしまえばいいんだ』って言ってたよね。それに私が『なら私たちは会えなかった』――なんて答えたら、意地悪だってむくれて……それで……ッ」


 寝ているアーシャに、目を閉ざしたままのアーシャに、――その耳に私の嗚咽が届かないように、握っていたアーシャの手に顔を寄せて唇を強く噛んだ。


「――……私、あの頃アーシャに嫉妬してたんだ。知ってた?」


 漏れ出そうになった感情を無理やり呑み込んで、懐かしくて楽しかったと、今更になって気付いた遠い昔話に勝手に興じる。

 アーシャのむちゃくちゃなストーカー行為を許してあげてたんだから、このくらいの自分勝手は良いよね? と。


「実はね、当時も色んな人に告白されてたんだけど……ずっと理由も分からずに断ってたの。……アーシャが起きてたら、それでも『みーちゃん先輩の浮気者おお!』だなんて。今になってもやっぱりまだ言うかな?」


 震える声で問いかけても、返事は無い。分かっている。


「……あのいけ好かないメガネ男と、契約してたってさっき聞いたよ」


 時間はたくさんあった。でも、あっという間だった。


「許可、下りたんだって。移植手術の件。今世紀初の試みだからって、許可が出るまでにかなりの時間が掛かったようだけど……どう転ぼうとも、アーシャたちの献身が無駄にならないように、メガネ男がなんとしても未来の新たな可能性へと導くんだって意気込んでたよ。凄いよね、本当に」


 移植するのは子宮。相手はメガネ男の恋人が立候補したそうだ。

 昔の記録も曖昧で危険な手術になるからと、自分の研究のせいで寝たきりとなったアーシャの例もあってか直前でひよって迷うメガネ男に、『例え君が失敗して俺が死ぬことになろうとも、愛した恋人の信じて目指す未来のための失敗なら俺に悔いは残らない』と、堂々と言い切ったらしい。

 ……男前が過ぎる。手術、逆じゃなかろうか。


 ――かつて、人が飽和していた時代。

 そういう試みは数多くあったのだという。


 しかし、どれほど研究が進もうとも性別の壁は容易に超えられず、移植に成功したところでほぼ使い捨て止まりだったそうだ。

 被験者となる分母がそもそもからして違っていた。贅沢だなんて誰も気づかなかったから、研究は殆ど先へ進歩しなかった。

 簡単に言えば使い捨てでも問題は無かったのだ、――その時代では。


 だからこそ、女性の数が急速に減ったことでその研究は呆気なく終了した。そこからこの研究が再開するまでどれほどの月日が犠牲になったのか、今や語ることの出来る資料すらも殆ど残ってはいない。

 誰もがいばらの道より整地された安全な道を選びたい。だからこそ、敢えてその道に挑む者は希少で、異常で、馬鹿だ。――大馬鹿者だ。


「どうして私たちは選べないんだろう……」


 ぽつりと零れた言葉に、意味は無かった。

 誰に聞かせたいわけでもない、ただの愚痴みたいなものだった。


「私もこわいよ、アーシャ……」


 時が止まったまま、ただ眠り続けるだけのアーシャが眩しく見えた。

 ……失うことを怖がるだけの私は、死ぬまでアーシャみたいに勇敢にはなれないのだろうと思った。


 ◇◆◇◆◇


 赤く光るのは、手術中と書かれた壁の文字だった。

 ――とうとうこの日が来たのだ。


「……お母さん」

「……ミーシャ」


 学校の友達の寮に泊まって逃げ回っていたミーシャが、本当に久しぶりに私の前に顔を見せてくれた。

 それだけで私には充分で……そのまま無言で佇んで俯いていたミーシャを無理やり抱き寄せて、――静かに過ぎていく時を待った。


 ……どれくらいの時間が経ったのだろうか。


 腕の中で、いつの間にか眠気にやられてぴすぴすと可愛い寝息を立てているミーシャに気付いて、かなりの時間が経過していたと気付く。

 強張った態勢を解いて、目覚めないように気を付けながら膝に眠らせる。


 ブウウ、と音が鳴った。次いでガン、という音ともに赤い光は消えた。


「――ッ」


 それに気付いて、思わず目を瞑った。

 ……どんな結果になろうとも、この子だけは――。

 目を瞑ったところで消えない体温に、心は覚悟を決め始めていた。


「……終わりました」

「――――」

「――成功です。二人とも無事に終わりました」

「――よ、かった……!」


 経過観察などもあるため完全に安心出来るというわけではなかったが、心の蓋から溢れ落ちた安堵を抑えることは出来なかった。


「アーシャさんは、これで自由です。――あなたも」

「――――」

「あなたも好きに選んで、いいんですよ」

「は、い……」


 その言葉は、すんなりと出て来た。


 ◇◆◇◆◇


「ねえお母さん、聞いてよ! 好きな人が出来たんだ!」

「ん~? それってお母さんの知ってる人?」

「うん! ほら、この前偶然見かけたお母さんみたいにカッコいい女の子だよ。もう勢いで告白してフラれたとこ! まあ、まだ諦めてないけど」

「あははっ、血は争えないね。実の母親そっくりだよ」

「えへへ。そうかなあ?」


 嬉しそうに私に報告するのは、十四歳になったミーシャだった。

 移植手術が成功してから暫く後、アーシャは文字通り自由になった。


 自由、というのは退院出来たこと。妊活義務から解放されたことだ。

 今は小さな家で、一緒に暮らしている。相変わらず寝たきりの状態ではあったが、この些細な変化によって私たちも大きく変わることが出来た。


 ――十人以上を産んだことで、私は義務を充分果たしたと見做された。

 全員が男の子だったため誰一人として手元には残っていないが、それでも定期的に産んだ子たちと最近は会うことが出来るようにまで精神は安定していた。


 私を待つと言っていた男には、今度こそハッキリと断りの言葉を告げられた。――私はもう、好きに選んでいいのだから彼も自由にしなければと。

 正道ばかりが道じゃない。そんなことも分からなかった私は拒絶して、否定して、大事なものを見落としていたことに――やっと気付いたのだ。


「――ね、ねえ、お母さん」

「なあに」

「お母さん!」

「だから、なあにって」

「お、お母さん、お母さんが……」

「――――」


 ガシャン、と偶然持っていた皿が落ちて割れた。


 娘が割れた破片にきゃあと悲鳴を上げたことにも気付かず上の空になるくらい、私の世界はひとりだけをひたすら真っ直ぐに映していた。

 その光景は幻みたいで、夢のようで、いつも願っていたもので、それはつまり――アーシャの上体が起き上がっていたのだ。


「――アーシャッ!」


 信じられなくて、声が出なくて、自分の足に引っ掛かって無様に転びながら必死に必死に駆け寄った。

 バタバタと騒々しい音に、少しだけぼうっとした顔だったアーシャが気付いたのか、その焦点が段々とハッキリ夢から醒めていくのが分かった。


「あーしゃっ……」


 辿り着いたベッドの脇。アーシャと確かに目が合って、私はそこで完全に力が抜けて床に崩れ落ちてしまった。

 崩れ落ちた私に驚いたように微かに目を大きく見開いたアーシャは、何かに驚いているようだったが、その驚きは長年喉を使っていなかったせいで声には出せないようだった。


「……せ、…………?」

「――うん。私だよ、アーシャ。少しあの頃より老けてしまったから、誰か分からないかもしれないけ、ど……」


 私の言葉を遮るように、震える手が優しく頬に触れた。

 私はその手を壊れ物を扱うように、けれど強く握り返した。


「あーしゃ……あーしゃ……」


 言葉にならない感情がとめどなく溢れてくる。


「――――」


 混乱してるのはアーシャのほうだろうに。

 泣きたいのはアーシャのほうだろうに――。

 私は自分のことばかりにいっぱいいっぱいになってしまって、――その日ずっとアーシャの優しい手に溺れてしまった。


 ◇◆◇◆◇


「愛してるよ、アーシャ」

「ゆ、め?」

「夢じゃないよ、アーシャ。私の言葉がそんなに信じられない?」

「す、き」

「私もだよ」


 何度目のやり取りか。信じられないという顔で、けれどニマニマとだらしない笑みで聞いてくるアーシャに存分に付き合ってあげた。

 ――ずっと、もしもアーシャの目が覚めたら後悔する前に言おう言おう、今度は私から言ってしまおうと思っていた。けれど、そんな機会はいつまでも訪れることは無くて――。


 きっかけなんて、覚えてない。

 気付いたら好きだった。愛していた。誰よりも。


 ――『愛してしまったのが同性だったというだけ』。


 メガネ男の言葉というのが癪だが、本当にその通りだ。

 理由なんて、あってないようなもの。

 ――好きだ。愛してる。それが私たちの全てだった。


 奇跡的に意識を取り戻したアーシャだったが、そもそも眠り続けた理由も不明だったのだから、回復した原因は今でも分かっていない。

 ――実は少しだけ、その状況に感謝してしまったと知ったらアーシャは怒るだろうか。……でも、おかげでアーシャへの気持ちに気付けたんだから、許してくれないかな。


「――もう! 連敗中の娘の前でよくやりますね、お母さんたち!」


 アーシャの世話をしながら問答を繰り返す私たちに呆れて、娘のミーシャが帰宅した直後なのか通学鞄を思いっきり明後日の方向に放り投げながらぶー垂れていた。

 アーシャそっくりな仕草に呆れと同時に懐かしさを覚えつつ、笑いながら娘の恋愛相談に乗ることにした。


「ふふ、ごめんごめん。――それで? 今度はなんて言われてフラれたの?」

「そうだよ! ねえ話聞いてよ、すっごく酷いんだよ! お母さんを参考にしたから今回は絶対上手くいくと思ったのに~」

「ああ、じゃあ失敗はしょうがないね」

「ええー!? なんでー!」


 詳細は聞いてないけど、どうせストーカー行為をしてるんだろう。

 実際の現場を見たことはないのに、誰かさんに散々苦労させられたせいでそんな場面が娘バージョンで容易に浮かんでくる。


「……まあでも、諦めなければいいよ」

「ええー。もっと落とされた側のアドバイスちょーだいよー。けちー!」


 ぶーぶー抗議する娘を呆れた顔で適当にあしらいながらふと、静かだなと思って振り返った。

 はにかむように、アーシャが笑み零れていた。


「……いま、なら……し、わせすぎて、……しんで、いい……かも……」

「なーに言ってるの。おバカ」


 まだまだリハビリ中で舌足らずなアーシャのおでこをこつん、と小突いてすかさずツッコんだ。

 懐かしいやり取りに一瞬、喉の奥から迫るものを感じたが、呑み込んだ。


「――ここからが、私たちの希望が在る未来なんでしょ?」

「……う、ん」

「どうせ私のお墓までついてくるくせに」

「は、い……」

「ふっ、ならバカなこと言ってないで一緒に生きてよ」

「は、いっ……」


 後ろのほうで「ちょっとー! だから傷心中の娘の前でいちゃいちゃすんなー!」と小さく控えめな抗議の声を上げた娘を振り返って引っ張った。

 そしてそのまま「なにすんじゃー」とされるがままのミーシャを入れて三人で抱き合った。


 ――これが最高に繁栄した過去へ、最低に衰退中の私たちが届ける禁断に少しだけ抗った恋物語の全てだ。


 最後まで読んで頂きありがとうございます!


 いやあ、気付けば二万字も書いてしまいました。

 しかしそれでもかなり駆け足にまとめてしまったので、

 ところどころ回収してない裏設定みたいなものがそのまま放置されたままです。


 最近、戦争だー、増税だー、少子高齢化だー、同性婚問題だー、

 ……って話ばかりだったので、闇鍋よろしく全部詰め込んでみました、大体全部。

 他にも色々あるんですけど、まあでもほぼそこら辺きっかけの成分で出来上がった物語です。


 すべてが完全におっけーな世界になったら、禁断って一体どうなるんだろう……?

 という疑問も根本にあって、こんな感じに仕上がりました。


 禁断とされたことにも昔の人なりの理由があって、

 でもそれは誰かの奮闘によっていずれ禁断じゃなくなっていく。

 じゃあそうなった時、そうなるまでの過程、全てに意味があるのか無いのか。


 自分たちのことで精一杯だ、というのが多くの人の本音なのか。

 自分のことばかりに必死で、他人のことは気に掛けられなくなっていくのが普通なのか。

 ――そういうもの全部、詰め込んでやりました。


 色々と意見はあると思うんですけどね。

 目を逸らしていいことと、逸らしてはいけないことの区別ってなんだ?

 って感じです。おおよそ。はい。


 ……最初はもっと楽しい話にしようと思って、楽しい曲聞いて気持ち作ってたんですけどね。

 だんだんと楽しい感じでいられない重さのギャップに耐えられなくてすぐ曲が変わっていきました。


例 青春バスガ〇ド

  ↓(やべ、最初から重過ぎて想定外にミスマッチだった……)

  宇多田ヒ〇ル全般

  ↓(うーん、これは……やっぱりいい声!好き!)

  Prisoner 〇f Love

  ↓(うーむ。……うむ。ドラマに引っ張られるな……)

  Lem〇n

  →(´・ω・`)(これでいいや)


 そんな感じに翻弄されながら書ききりました。

 ちなみに、またしてもちょいちょい感情移入して泣いちゃってます。

 あまりに涙もろすぎて、もはや世間一般の泣ける基準がどこか分からなくなってきてます。

 なのでもし泣いたのなら正直に教えて欲しいです。そこはガチでお願いします。ガチで。


 ちょっとした小話なんですけど……

 実はタイトルに三、四重くらいの意味を重ね掛けしてます。

 可愛い感じのタイトルだからこそ、って感じでですね、えーっと……。

 まあたぶん誰にも気づかれないだろうから、てことでひっそりココで暴露してます。


 よろしければいいね、評価、感想などを頂けると今後の励みになります。

 ただ、出来れば現実では今もかなり繊細なお話なので酷い言葉は避けて欲しいです。

 どうしても何か言いたい場合は、作者にこっそり裏でメッセージでも送ってください。

 なにとぞご理解のほど、よろしくお願いいたします。


 あ、あとついでに他の作品も良かったら覗いて見て下さいね。

 ここまで重い系はそこまで無いです。

 ……あれ? そんなに書いてない、ですよね……?(; ・`д・´)ハッ!


 それではまた別の作品でお会いしましょう。

 最後まで読んで頂きありがとうございました。

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