三大派閥
「これでも王族に連なる元貴族だ。責任からは逃れられんよ」
「責任、ね」
立場の違いを出されてしまっては、ミスティラポロの理解できることの範疇外だった。貴族…それも王族と平民の考え方には、埋めようもない深い断絶がある。
彼はフリデリケの返答を得てもそちらを見ずに、ペリドットの頬をふくふくとつついて流した。ペリドットはミスティラポロの人差し指の感触に「ぅ゛うう」と小さく唸って抗議した。そろそろ落ち込みモードから切り替わりつつあるようで何よりだ。
フリデリケの話に耳を傾けつつも、彼の優先事項はペリドットだった。日に日にドツボにはまっている自覚はあるが、こればかりはミスティラポロにはどうにもできないことだ。おそらく、フリデリケもハーゼに対して似たようなものであり、咎めもしないだろうという確信もあった。
「最終的にすべてを畳むつもりであるとはいえ、ある程度は私自身の有用性を見せておく必要がある。資産持ちだが使い道のない貴族崩れの女は、アギオラブロ(この国)では面倒な輩に狙われがちでな」
フリデリケの何気なく発したその言葉は、ミスティラポロの本業からするとどうしても深掘りしてつついてみたいものだった。
「それってさ。どの王妃の派閥?」
膝の上のペリドットを構いつつ、彼の視線はざらりとフリデリケを捉えた。
「!…」
迂闊なことを言ったものだと彼女の目が泳ぐ。
「全部ってところか」
「あえて答えていないのだぞ、私は」
「んなことくらいわかってるって」
「…むしろなぜ、妃たちの派閥に限定する?」
フリデリケからの呆れを隠さない冷ややかな視線を感じ、ミスティラポロはにへらっとした笑い方をそちらへ返した。
「自分で今言ったんじゃん。資産持ちの貴族崩れって。あんたの資産…つまり、前王弟殿下の資産には、キッカ国との交易に関する権利があったはずだ」
キッカ国は、『無自覚』の異世界転生者が数多生まれる島国。
ここでいう無自覚、というのは前世の記憶はないものの、この”ニマエヴ”の世界には存在しない知識を有している、という意味である。そこに住まう異世界転生者たちの知識は、ある程度形にできる有益なものもあれば、決定的で肝心な技術が確立されていないために実現不可能となっているものまで様々だ。
ゆえに、キッカ国が創り出した発明品は、目新しく便利である反面、とても非効率な物も多かった。フリデリケがキッカ国に関して有している権利の一つに、投資権がある。それで生じた損益はプラスマイナスゼロといったありさまだ。
この国に投資すること自体、どの三大大陸の国々においても慎重な姿勢を見せていた。つまり、キッカ国との交易やその投資に関する権利は貧乏くじとも言えた。
フリデリケはどういうわけか、父親である前王弟からキッカ国に関するあらゆる権利を受け継いでいた。
「私には無用な物になるね。それをどういうわけか欲しがる者もいる…ああ。その辺りの情報も、お前の本業としては仕入れておきたいんだろう?」
「否定はしない。ただ、あんたには色々協力してもらってる身だからね、こっちは。『赤夜光』の件が片付くまでは、変な要因で離脱してもらっちゃ困るし」
「お優しいことで。まぁ、そうさな…。仮に私が不可解な死を遂げた場合は、エメサ第三王妃の派閥を探ってみると面白いかもしれんな」
「はーん?一番意外なところだったわー」
ミスティラポロは宮廷に関連した情報を扱っている同業の顔をいくつか思い浮かべた。だが誰も、他の二派閥の中枢に入りこめてはいるものの、第三王妃の派閥には重きを置いていないようだった。
不可解なほどに。
彼は、自分や自分の大事な者に降りかかる面倒事になりそうなことには、あまり首を突っ込まない性質でもある。第三王妃の派閥をつついてみたところで、得になることは何も無いだろう。
ミスティラポロにとって、フリデリケが死んでからでは、第三王妃の派閥は情報源としての魅力は一切ない。だが、彼女には『赤夜光』の件が片付く前に死なれてはならない、という点においては、第三王妃の派閥を牽制できるような情報を仕入れておくことは有用だろう。
「意外でも何でもないだろう?…人畜無害な顔で過ごしているあの女が一番厄介だということくらい」
そう。人畜無害。それが、エメサ第三王妃だけでなく、第三王妃の派閥全体の印象だ。悪いうわさが一切ない。そのことが、一番厄介だ。
「へぇ…?」
「そもそも、ティルトは公式愛妾になるつもりは一切なかった。夫を愛していたからな。それをエメサ第三王妃が引き剥がして自陣営に取り込んだんだ」
「は?国王陛下が見初めたとかそういうわけじゃないんだ?」
「陛下は…責任を取っただけ、とも言えるな」
「責任…?」
「ティルトが公式愛妾になった経緯だ。数年前、陛下とエメサ第三王妃が、ルプト男爵の領地まで湯治に赴かれたことがあった。その際、宿ではなくルプト男爵の邸宅に宿泊されたのだ。その晩、陛下はエメサ第三王妃の侍女から、本来用意されていた寝所ではなく、ティルトの寝所へ”誤って”案内されたそうだ」
「え?え?そんとき旦那は何してたわけ??」
「は。これだよ、これ。あとは知らんぷりだ」
これ、と言いながら、フリデリケは親指と人差し指でコインの丸を作った。
要は、ルプト男爵は妻をグレイコーンへ差し出す代わりに、第三王妃から金銭に類するものを渡されていた、ということだろう。
「普通に最低じゃん。そのルプト男爵ってやつ」
「あの家の子どもたちは双子だったこともあって、魔力が不安定だったからな。その調整を行うためには、専門家に頼らざるを得ないし、莫大な金が必要になる」
「…貴族や王族に生まれついた双子って、やっぱそうなんだ」
この世界に生まれ落ちる双子は、一つの魔力の塊を分け合っている場合がある。それが元で、身体が虚弱な場合も多い。魔力量も一定ではなく、ある程度成長しなければ自分でコントロールすることが困難だ。
「ああ。ルプト男爵自身、双子の魔力調整費を捻出するだけの甲斐性も持ち合わせていなかったのも理由だな。とはいえ、領民にそうした子どもたちの事情を訴えたところで、同情はされるだろうが、それを理由として税収を上げられるわけでもない。陛下はそうしたルプト男爵の財政事情も汲んで、ティルトを公式愛妾にしたわけだ」
「結果としては子どもたちのためってことだろうけどさー…なんでまた第三王妃は彼女を選んだわけ?他にもわけありな侍女くらいいたんじゃねーの?」
「言っただろう?彼女は夫を愛していると。他の侍女では、夫を裏切ってでも陛下の寵愛を得ようとする野心家ばかりだ。エメサや他の妃にとって代わろうとする馬鹿も多い」
「…はー…」
「だからこそ、特公のモデルになった庶子について疑問が残るんだ。もし、『赤夜光』に魅入られた状態のティルトの言っていたことが本当だとすると、死んだ子どもは陛下の庶子ではなく、ルプト男爵の実子なわけだ。何故、ティルトは夫の子ではなく、陛下の庶子だと報告したのか」
「エメサ第三王妃がそう報告しろって言ったとか?でも、陛下の庶子であったほうが、自分の派閥に都合がいいってもんでもないよな。王位継承権に絡んできたりするわけでもないし。むしろ邪魔になる」
「そう。ティルトにとっては、死んだ子どもがルプト男爵の実子としておいても、なんら不都合はないんだ。むしろ、あれほど病んでいた様子からすると、夫の子どもとして弔いたかっただろう。だとすると、エメサ第三王妃がやはり…」
フリデリケはこれまで、こんなふうに誰かにエメサ第三王妃の派閥について抱えている疑問を吐露したことはなかった。
相手が、どうでもいい、かといって、誰かしらそこかしらにそれを言いふらすような人間ではないとわかっているミスティラポロだったからだろう。