プシュケ・クオレの依代
自動人形を作らぬ、名ばかりの自動人形工房。
「パパは、お人形をもう作らないの?」
10歳頃のことだろうか。父親に対して、シャヘルは冷ややかに問いかけたことがある。
「シャヘル…私たち一族は自動人形があったからこそ救われたが、同時に、絶滅しかけたことがある。それは、祖である大ババ様…プシュケ・クオレの『転魂魔術』や、神々が創りし天使と同等の存在として自動人形を作り出してしまう神がかりな才能があったからなんだ。私たちの自動人形は、もしかしたら、神々の禁忌に触れる技術なのかもしれない」
「だから、作らないんだ?パパが作ることができないんじゃなくて」
「…」
サガのそのときのシャヘルを見やる視線は、他の者であればゾッとするほどの憎悪を含んでいた。
シャヘルになら、できるのかもしれない。
稀代の自動人形師、プシュケ・クオレの人形の再現を。いや、それ以上の作品を。
「僕は作るよ。プシュケ・クオレ以上の自動人形を…」
サガにそう宣言したシャヘルの視線は、工房奥にある部屋の奥に飾られている11体の人形を捉えていた。
その11体は、プシュケ・クオレの『転魂魔術』の依代となっていた人形たちで、『胡蝶シリーズ』と呼ばれている。観賞用としてはもちろんのこと、それぞれに用途と特性がある。
1体目から5体目の人形はシリーズ初期に作られた見た目重視のものであり、日常生活や自動人形売買の商談や会合、貴族や王族に呼ばれた際の謁見用であった。
6体目から11体目の人形はプシュケが様々な人間にその能力を狙われるようになってから作られた。戦闘特化型であり、得物が異なり、使う魔法や魔術の属性強化が異なる。
ニマエヴの世界における魔法や魔術を操るためには、個人個人が持っている魔力属性によって変化する。この魔力属性は持っている本人にしか知覚できないもので、親でさえも子どもから申告されなければ気づかないことも多かった。また、年齢によって現出してくる場合もあったため、尚更気付かれないものでもあった。
基本的な属性は水、火、木、風、土。これらは組み合わせることで氷や雷などの派生した属性を持つことが可能だ。希少な属性として、光、闇がある。プシュケは闇以外の属性を操ることができた。そのため、闇の属性を強化するであろう12体目は作られることがなかった。
この闇属性というのが厄介で、人間では持っている者が異様に少ない。そのため、闇属性に応じた魔法や魔術を教えることができる者も少ない。個人でその使い方を模索していく以外に魔法や魔術を習得していく方法はなかった。
ちなみに、『胡蝶シリーズ』の名前には、必ず蝶が入っている。プシュケが死ぬ際に依代としていたのは『胡蝶シリーズ』の11体目。光属性の魔法を強化する工夫が施された『光明蝶』という人形だ。
「そのために、『胡蝶シリーズ』」を一度分解してみたいのだけれど」
「いいだろう。ただし、光明蝶だけは駄目だ。大ババ様が最期に入っていた依代だ。私としては、誰にも触らせたくない」
「そう。わかった」
「分解して納得したら、あとはちゃんと、組み上げ直しなさい」
「はい」
シャヘルはサガの許可を得て『胡蝶シリーズ』を解体し、入念にそのパーツ一つ一つを調べ、そこに組み込まれた魔術回路を検証した。
「生き物の魔術回路はそもそも目には見えない。それを見ることができる“目”を持つ人間がその形や構成を研究した書物でしか、僕を含む“目”を持たない人間にはその存在がいかなるものか知ることが出来ない。読破したところで理解しようにも理解することもできないし、魔術回路に似たものを作りようにも作ることができるわけもない。だからこそ、自動人形を完成させることができたプシュケ・クオレはギフトを持っていると皆が確信していたし、神そのものの才能だと称えられた」
10歳の子どもらしからぬ恍惚とした表情を浮かべ、流水のように独り言を溢れさせ、『胡蝶シリーズ』の1体目である『平生蝶』を丁寧に解体していく。
平生蝶は最初に作られた自動人形を元に改良を重ね、プシュケが日常生活を送るために家事特化で作り出したものだ。魔法で皿洗いや洗濯はできるものの、他者のために料理などをする際には水仕事は避けられない。だからこそ、平生蝶の手指は精巧に動きつつも”手荒れ”しない素材が使われている。
「パパは『胡蝶シリーズ』の魔術回路は『転魂魔術』と組み合わせることで完成すると考えている。僕もまた同様の考えだけど、気になるのは『胡蝶シリーズ』の魔術回路が商品としての自動人形に組み込まれているものとは異なった螺旋状の媒体の組み合わせであることだ。プシュケ・クオレの子孫たちが手本にしてきたのは商品としての自動人形。その自動人形たちは契約者との契約が切れると自壊するようになっている。それは、根本的に魔術回路の構造が単純なものだからだ」
視覚化された魔術回路を自動人形のボティに巡っているときと同じように配置する。
「この二本の紐を互い違いに螺旋状へ鎖のように組んだその媒体は、とても細かい。文献で見た人間の魔術回路をデフォルメしたようなものだ。素材は、魔物の体組織の合成か」
魔術回路を眺めていたシャヘルは、サガの見ていないところでその魔術回路に自らの魔力を流し込んだ。
「やっぱり、『胡蝶シリーズ』は、その魔術回路だけでも生きようとするのか…だから、プシュケ・クオレの魂が抜けても自壊することはなかった」
魔力を流し込まれたことで透明に光り始めた魔術回路は、その螺旋状の機構をうねうねと動かし、肉体を求めるような素振りを見せた。
「人工精霊が人形の魂を形成するのだとしたら、魔術回路はその生物…いや、自動人形としての精神や神経のようなもの。人間もまた似たようなものだ。魂が持つ本能を遂げようとするのに体が必要となり、その体を制御するために精神や神経が必要になる…魂と心と体?三位一体に似ている気がする…いや、魂が人工物で不完全足ならば、成り立たない。『胡蝶シリーズ』は、人工精霊が魂を担っていたわけではない。プシュケ・クオレの魂の器だ。魔術回路は魂と繋がっている。魂にあたる人工精霊自体を魔術回路へ変換できれば、もう一つの人工精霊と組み合わせて完全な魂とすることはできないだろうか」
そこからシャヘルの研究は、人工精霊そのものから魔術回路を作り出す、という目的の元に始まった。彼はその研究について、一切、サガには話すことは無かった。
ただ、組み上げ直した『胡蝶シリーズ』を返却した際にサガから「何か気付いたことはあったか?」と問われたが、「パパの言ったとおりだったよ」とだけ返事をした。
サガの考えは確かに一部当たってはいたが、シャヘルにとっては過程であって結果ではなかった。
人工精霊というものがいかなるものか、というと、本来の精霊について知らねばならない。
本来の精霊は、小さな小人に蝶やトンボの羽根が生えたような存在で、人間に対しては無邪気で悪戯っ子である。さらに、気に入った人間である精霊憑きに対しては、小さな願いであれば何でも叶えてくれるため、ある意味神聖な存在でもあった。
気に入った人間に対する愛情の在り方やその願いの叶えかたは、勇者のための天使に似ているかもしれない。
人工精霊は、人間らしい形は持たず、ただの光の塊として作成されるのだが、主人となった人間に忠実に調整されており、願いではなく命令をなんでも聞く。代わりに、人間の願いを叶えることはできない。