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『三つ首塔』の彼の部屋


「はい、到着」


 部屋に着くと、ミスティラポロは扉の鍵をかけた。


「…手、離してください」

「うん。でも、ちゃんとお話してくれる?できれば、暴れずに」

「別に暴れるつもりなんて、ボクにはありません」

「ならいいけど」


 そう言いながら、室内全体に防音魔法を施す。それから、ずっと握っていたペリドットの手を離した。


「…」


 ペリドットは部屋の中をぐるりと見まわしている。

 彼はこの三年ほど、年単位でほぼこの部屋に住んでいる状態であるためか、私服の洗濯はほぼ毎日自分でしているし、この宿が委託している業者による清掃は一週間に一度である。その辺りの事情は、ペリドットは知らぬことだ。


 三年前と同じ部屋の中だが、その様子は少しだけ変化していた。


 殺風景な部屋の中ですぐ視界に入ったのはベッドの大きさで、成人二人が余裕で横になれるものになっている。

 ただ、ベッドのシーツはまるごと取り払われていて、マットレスも不用心に開け放たれた窓際へ立てかけられているのが気にかかった。起床時そのままの状態ではないのは明らかだ。


 対して、ベッド横のナイトテーブルには、度数の強い酒や水差しとそれを飲んだであろう二人分のグラスがそのまま放置されている。片方には、真っ赤なルージュが付着しているのがはっきりと見えた。


 このあとペリドットはベッドのマットレスがそうなっている理由を、身をもって知る。また、ナイトテーブルに放置されていたルージュの付着したグラスのこともあって、ひどく嫉妬してしまうことになるのだが、この子はひとまず他の場所へと目を向けた。


 丸テーブルに、椅子が三脚。これは、ミスティラポロがペリドットの兄たちと話すときのために増やしたものだろう。


 それから…


「もしかして、他の女の痕跡でも探してる?」


 あまりに長いこと黙り込んで部屋の中を観察していたからか、ミスティラポロがペリドットに問いかけた。

 他の女の痕跡を探すも何も、ミスティラポロの部屋に女性が今朝方までいたことが明らかなのは『三つ首塔』の主人の失言的な証言と、ナイトテーブルに置かれたルージュ付きのグラスだけで充分わかる。

 ペリドットがムッとしながらミスティラポロを見上げれば、彼は涼しい顔をしていて、焦った様子すらない。

 現在の状態や関係性で嫉妬するのはお門違いであることは、ペリドットにもわかっている。怒る権利を有するのは、この男との関係性にラベリングされてからだ。

 ペリドットは彼と再会して、こうして話すことで嫌と言うほどどろりとした独占欲を自覚する。これを少しでも満たすためには、ミスティラポロとの関係性を変化させる以外にないことも。


「別に。どうでもいいです。ボク、貴方がどういう人か、知ってますから」


 自覚も理解もしていても、こうして素っ気なくなってしまうのはもう仕方のないことだ。


「ふーん。どんな俺を知ってるって?」


 ミスティラポロの声が近い。やや鼻声っぽさのあるその低い声は、聞いていて心地がいい。ただ、ペリドットにはこの近さが落ち着かない。


「『出禁になった男』でしょ?色んな娼館から。三年前だって…。だから、この三年間、そういう女の人がいたんだろうってことくらいはわかるし」

「うん。否定しない。それで、リディちゃんは俺にその怒りをぶつけたいって思う?」


 当たり前だ。何も否定すらせずに、狐が獲物をいたぶるときのような笑みを浮かべるこの男がとても憎い。

 ペリドットはミスティラポロのワイシャツの襟を掴んでその顔を引き寄せる。深緑色の薔薇の瞳孔の黄緑色の瞳と、濃いアクアブルーの狐のような瞳孔のレモンイエローの瞳がかち合う。


「できれば、貴方とこうして目を合わせたまま、貴方のことをめった刺しにしたい」

「目を合わせたまま、めった刺しか…いいねぇ…」

「!…っ」


 はっきりとその激しい心の内をぶつけた瞬間、ミスティラポロの瞳にどろりとした蜂蜜のような熱が宿った。

 そのことに気付いたペリドットの背筋にびりびりとしたやましい感覚が駆け抜ける。頬に熱が集まるのを感じていたが、胸倉をつかんでいる手は離さなかった。


「ん?」

「っどうして、そんなに嬉しそうなの」

「ははっ。さー?どうしてだろ?」

「…わからないから聞いてる」

「うん。でも、教えなーい」

「なんだ、それ。ムカつく」

「だろうね」

「…」


 ミスティラポロの本心が見えにくいことは、三年前から知っている。ペリドットにはこの男のどこからどこまで、何を怒れば自分の気が済むのかわからなくなった。敬語すら外れてしまった自覚はあったが、今更取り繕うこともできない。

 ふと気付けば、黙り込んだペリドットの腰には彼のがっしりとした腕が回っていた。


「リディちゃんならいいよ」

「え?」

「俺のこと、刺してもいいよ」

「は??」


 怒りをぶつけていたつもりでいたペリドットには、意地の悪い狐のように口角を上げているこの男が何を言っているのか、まったくもって理解できなかった。

 いつの間にか、彼のシャツを掴み上げていたペリドットの手は、彼の胸に縋るような添え方に変わっていた。腰に回されている彼の腕の温かさと、大きな体から包まれているような感覚が、沸騰している怒りを弱体化させているような気がして、彼に丸め込まれようとしている自分を自覚した。


「どーする?」

「どうするって…ラポロさんはボクに刺されたら困るでしょう。『赤夜光』で…いえ、『赤夜光』がどうして発生したのかを解明するという目的のためにも、生きている必要がある」


 ペリドットが微かに目を逸らして何かを言いよどんだが、ミスティラポロは特にそれを気にすることもなくこの子の宝石のような目を覗き込む。


「それで許してくれるの?この三年間、その目的以外にリディちゃんが怒るようなことをしてたかもしれないのに?」

「ボクが怒ったところで、この三年の間、ボクは貴方の自動人形ではなかったし、貴方もボクのオーナーじゃなかった。それに、ボクが貴方に抱いている感情と貴方がボクに抱いている感情が同じであるとは限らない。だったら、嫉妬をするだけ無駄だし、その資格もない。貴方が思っているより、ボクはドライだよ」

「線引きして傷つきたくないだけだろー?ドライどころかじめじめだ」

「線引きしたくもなるよ。ボクは貴方のことをまったく何も知らない。もちろん、この三年間で色々調べて知ったこともあるよ。でも、そんなの貴方にとってどれだけ真実なのかもわからない。それなのに、こんなにどろどろした澱みが胸の中をぐるぐるするんだ」


 ミスティラポロの胸元に添えていた手を、ペリドットは拳にして彼との距離を少し空けた。それでも互いの視線は絡み合ったままだ。



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