相性最悪の仮契約
その黒衣の大きな何かは、その体躯には似つかわしくない速さで落ちているキューブを回収した。
それから、『アリス・レッドベリル・オリジナル』と戦闘しているイリスカルン第二王子に向けて矢を放った。
「!!」
間一髪のところで、イリスカルンは剣でその矢を薙ぐ。
その間に、『アリス・レッドベリル・オリジナル』は、その黒衣の大きな何かのほうへ向かって飛ぶようにして逃げた。
どろっ…
黒衣の大きな何かはアリス・リシアの結界を溶かすようにして穴をあけると、そこから『アリス・レッドベリル・オリジナル』を外へ出し、自身もそれに続いた。
「逃がすか!!」
イリスカルンが『アリス・レッドベリル・オリジナル』を追おうとすると、黒衣の大きな何かが再び矢を放ってきて足止めされる。
「王子!深追いは禁物です!!」
咄嗟にアリス・レッドベリルが制止の声を挙げるが、彼は諦めようとしない。なまじ相手の身分が高いために、どう止めたものかと自動人形たちは困惑する。
すると、いつの間に彼の背後についたのか、モルフェームがイリスカルン第二王子の後頭部を平手で、スパァアアアアンッと、いい音を出しながらはたいた。
「っ何をする!!」
いや、ほんとに。その人、王族なんだが。
その場にいた面々は、そうした心の声を一切出せなかった。
こういうときのように、予期せぬ危害を加えてきた相手に対して、瞬発的に怒れるイリスカルンの能力はとても大事だ。
モルフェームもイリスカルンが第二王子であるということを知っているだろうに、相手が王族であるとか身分だとかをすっ飛ばした行動を簡単に取る。
「パートナーの自動人形の話は、ちゃんと聞いたほうがいいですよ。オーナーになろうというのなら、尚更」
そう言うモルフェームの瞳には、どことなくシャヘルと似たような感情が灯っている。彼もまた、自動人形という存在を愛する男であった。
それがゆえに、何らかの手段として使用する人間とは、相容れないものがあるのだろう。
とても淡々とイリスカルンへ言葉を重ねる。
「『赤夜光』の脅威を見逃せと言うのか?」
「たった今、『赤夜光』かどうかわからないものが出てきたでしょう。自動人形のオーナーであるなら、パートナーの言うことは聞いておいた方がいいです」
「話にならない。…アリス・レッドベリル嬢!」
イリスカルンは仮契約中のアリス・レッドベリルを呼んだ。
「はい、イリスカルンさま」
「奴らの気配を追う。ついてこい」
「…承知いたしました」
復讐の手段としてでしか自身を使う気のないこの国の第二王子。
アリス・レッドベリルの表情は暗いまま、その背中を追った。
「やっとこさ着いたけど、なんか、取り込み中?」
イリスカルンとアリス・レッドベリルがいなくなった『深海の間』に、ようやくミスティラポロとヘリオドール、ジャスパーが到着した。
「!ラポロさん…」
不意打ちに近い登場であったためか、ペリドットもしっかりと彼の名を呼んでしまい、視線が合わさった。
「リディちゃーん♪なんかひっさびさにこっち向いてくれた気ぃするー♪」
久々にペリドットと目が合ったためか、ミスティラポロは嬉しそうに、がばぁっとこの子を抱き寄せる。
「?!?!」
ペリドットはびっくりしてそのままの状態で固まってしまった。ただ、視線だけは姉のアリス・リシアのほうを見て、助けを求める。
自分ではどうしても処理しきれない彼への執着が、この子の心身を重苦しく駆け巡っていた。
「もぉおお!!ノイネーティクルさん!!ペリドットが困ってるでしょう!!本契約してないんだから、まだおさわり禁止!!」
「えええええ!もう三年以上待たされまくりなんですけど、こっちは!!」
「知らない!ペリドットはリチェの弟なんだから!」
見かねたアリス・リシアが、ペシペシとミスティラポロを軽くはたき、ペリドットから引き離す。歌舞専用であるはずの彼女も彼女でなかなかに力が強い。
モルフェームと本契約をしていることが大きく関係しているのかもしれない。
「おっかねぇ姉ちゃんだなー」
「失礼な!だいたい、イリスカルン第二王子とレッド姉さまが『赤夜光』を追っていっちゃってるんだから、イチャイチャしてる暇なんてないでしょー?リチェたちも追っかけるの!!」
アリス・リシアはちっさい体で一生懸命にジャンプすると、ビシィッと人差し指をミスティラポロの鼻先へ突きつけた後、ぽすんと着地した。
着ているよそ行きのローズピンク色のドレスのスカートがふわふわと弾む。
(あああああ、姉さんかわいいいいいい…っ)
ペリドットは心の中でやや荒ぶりつつ、姉の体を抱っこする。
「じゃあ、行こうか」
この子の、アリス・リシアを可愛いと思う感情が上回ったこの瞬間、姉は『弟』の見ていないところで、ミスティラポロを「ふふん」と鼻で笑っていた。
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イリスカルン第二王子に追従したアリス・レッドベリルは、『オリジナル』の気配を追う。追いきれたところで、兄弟自動人形たちが到着するまでの間の時間稼ぎをしなければならない懸念がある。
仮契約ではどこまで持つかがわからない。
彼女はあえて、兄弟自動人形たちが追い付きやすいようにわざと遠回りする道を選択していた。
「「…」」
何も語らずにいるのは、イリスカルン第二王子がその印象に合ったとおりの不愛想であるからだ。正直、王族相手に何も話さずに済むのは気が楽ではある。
だが、アリス・レッドベリルのそんな思惑をよそに、彼が語り掛けてきた。
「復讐の手段として利用されることは、不快だろうな」
「え?」
「俺だって充分わかっているつもりだ。安心しろ。お前に運命のオーナーとやらが現れたのなら、そちらを優先してくれて構わない。そもそも俺は、誰か一人を第一に優先できるような立場の人間ではない。王族の俺が優先すべきは、国そのものや国民だからな」
「察しております。…だからこそ、貴方は王位継承権を放棄なさっている。同じリオーテ正妃から生まれたルングル第一王子ではなく、マイア第二王妃から生まれたリンデンラージュ第四王子やエメサ第三王妃から生まれたシドルケ第三王子に優先的に王位継承権が移らねばならないから」
「俺は派閥のバランスを取るために、兄の予備にすらなれない。それは承知の上だ。国政を無駄な派閥争いで滞らせるよりは決め事通りに進んだほうがいい。だからこそ、フェリルとの婚約だけは俺のたった一つの我儘として貫き通した」
「無駄な政争を避けたかった辺境伯との折り合いはちょうどよかったと聞き及んでおります。たった一つの我儘、というのは…それをよく思わない派閥があったということでしょうか」
「…」
イリスカルンの一瞬の沈黙に、アリス・レッドベリルは自身が踏み込んではならないことに言及したことに気付いた。
「!差し出がましいことを申しました」
「いや、いい。…もっとも、それ以外でフェリルを優先してやれたことは一度だってない。あの女の部隊に入ることを望んでしまったのもそれが理由だろう。俺と同じように国のためになることを…いや、もしかしたら、国の言いなりでしかない俺に愛想が尽きていたのかもしれないが」
イリスカルン第二王子が運命のオーナーとなりえる相手であれば、懇切丁寧に聞いたところだが、アリス・レッドベリルは、別に彼の恋愛における湿っぽい愚痴を聞きたいわけではなかった。ゆえにさらりと、フェリルの話題から別の話題へすり替える。