それぞれの優先順位
そんな経緯もあって、表向きは三大派閥とは無関係だとどれだけ表明していても、エメサ第三王妃の派閥であると見なされがちであった。
なお、ティルトの夫であるルプト男爵は、ティルトがグレイコーン国王の公式愛妾となったことで今後の生活が保障され、現在は拝領した領地へ引っ込んでいる。別段、ルプト男爵夫妻が不仲であったというわけでもない。ティルトはルプト男爵との間に、娘一人と息子一人を双子で授かっている。その双子たちはルプト男爵の手元で養育中だ。
そんなティルトがグレイコーン国王の子どもを宿したことは、王宮ではさほど問題とはならなかった。
既に三人の王妃たちとの間には世継ぎにできる王子は四人もいたし、政略に使える姫も四人生まれていたことが大きい。だが、ティルトが生んだその子どもはさほど成長することなく、すぐに亡くなり、彼女はすっかり気落ちしてしまった。
グレイコーン国王はティルトを哀れに思い、子どもの自動人形は作らないことを明言しているシャヘルに無理を言って、子ども型の自動人形を作らせた。
子ども型、という制限があったために、普段のシャヘルが作るような美しさはなかったが、子猫の愛くるしさを溶け込ませたような横顔。
銀色に見える光彩と宝石のカットを思わせるほどキラキラした瞳孔は、紛れもなくダイヤモンドそのもののよう。
加えて、ブルーシルバーに所々の赤メッシュの不思議な色合いの王族としての髪色。
できあがった自動人形を見たグレイコーン国王は、あまりの愛らしさに名前と爵位を与えた。
この爵位を与えたという行動が宮廷内では問題視されたわけだが、期間はティルトが死ぬまでの間であると明言されており、実質一代限りの爵位であった。
「ママぁ…ぅっ…ひっく、ぐすっ…」
「大丈夫ですよ、特公。きっとティルトは寝ぼけているだけです」
声のするほうへ一行がたどり着くと、そこでは泣きじゃくるシンクを宥めるエメサ第三王妃の姿があった。
しかし、シンクの傍にはティルトの姿がない。
「エメサ母上。いかがなされた」
「!イリスカルン。よく来てくださいました。ティルトが赤い光を追って、『深海の間』のほうへ歩いていってしまったのです」
「赤い光…『赤夜光』に魅入られた…?ティルト殿が…」
どうやら、『アリス・レッドベリル・オリジナル』と思しき『赤夜光』は、ティルトをターゲットにしたようだった。けれども、イリスカルンには、何故彼女がその対象となったのか皆目見当もつかなかった。
泣きじゃくるシンクは、ティルトを求めていてうまく会話をしてくれそうにない。子ども型としての体に見合った反応をするように作られているために、その精神はやや未熟であった。
「イリスカルンさま。ロディア特公が自壊していないということは、まだティルトさまは生きておられるということ。急ぎましょう」
「…ああ」
自動人形との契約が、契約主であるオーナーの安否の目安になる。
イリスカルンはふと、自身の婚約者のフェリルが未契約で『赤夜光』の討伐へ参加していたことを思い出した。
(あのときは、まだ自動人形との仮契約の方法も確立されていなかった。フェリルと契約するはずだった『獣シリーズ』の一体は今、どうしていることだろう。『赤夜光』に乗っ取られたという報告書は読んだ。どうにかして、その一体を取り戻すことはできないだろうか…)
跡形もなく、その存在が消滅してしまったというフェリル。だからこそ、ふとした瞬間に、イリスカルンの元へ帰ってくるのではないかと希望すら抱いてしまう。その最期を見たわけではないのだから、尚更。
「…(仮契約で正解ですわね)」
アリス・レッドベリルは、物思いにふけった様子のイリスカルンを見やり、左腕を撫でた。
イリスカルンでは、彼女の運命にはなりえない。そもそもの動機がオーナーとしては向かない。アリス・レッドベリルもまた、たった一人に、自分を何よりも優先してほしいという自動人形だ。
数分ほど歩き、奥にある『深海の間』が近づいてきた。
「『深海の間』の扉が開いている。気配はあるが…」
イリスカルンが見やった先には、微かに開いた『深海の間』の扉があった。
「索敵いたしますか?」
「ああ」
イリスカルンが頷くのを見たアリス・レッドベリルは、獲物である長い杖で魔法を発動して中が見えるようにその一帯の壁を透明にした。
中では、ティルトが赤く発光する小さな子どもを抱きかかえているのを、『アリス・レッドベリル・オリジナル』が眺めているような状況が展開されている。
「抱えているのは…特公に似せた『赤夜光』の欠片…?でも、それなら、何故、特公は置いていかれたの…?」
アリス・レッドベリルは、ティルトが抱えているシンクに似た小さな子どもの形をした『赤夜光』の欠片に気をとられた。
シンクは、彼女の死んでしまった赤ん坊の代わりに作られた自動人形だ。だからこそ、必ず彼女はシンクを連れていたと聞く。けれども彼女は今、シンクを置き去りにし、『赤夜光』の欠片をその手に抱えている。
それが、何を意味しているのか…。
「そんなことはどうでもいい。突入するぞ」
「え?イリスカルンさま?!」
さして『赤夜光』の欠片の存在に気を止めることもなく、イリスカルンは誰よりも先に『深海の間』の扉を大きく開け放った。
「っ…ゴーシェとペリドットは、わたくしと一緒にイリスカルンさまの補佐を!カルは【結界展開】を!それからペリドットの影にいるジャスパー!貴方はノイネーティクルさんたちをここまで連れてきて!!」
「「「「了解!!」」」」
アリス・レッドベリルには、ここから先の展開が最悪であると読んでいた。だからこそ、ジャスパーにミスティラポロやモルフェームを連れてくるようにと念を入れたのだ。
カルセドニーが姉からの指示で歌い始めると、スペード型の結界が周辺に展開される。
「カル!絶対に歌を止めないでくださいましね!この部屋、国宝級とまではいかなくても、そこそこお高いものばかり飾られていますのよ!!」
「えええーん!!責任重大過ぎて、おなか痛い!!」
「文句は、外へおびき寄せる方法を取らなかったイリスカルンさまにおっしゃい!」
「それはそれで無理ってもんだよぅ…」
カルセドニーは半泣き状態で歌を歌う。
「イリスカルンさま!あれが、わたくしの『オリジナル』だということは、遠距離から魔法を使用してくるタイプの『赤夜光』だと思いますわ!ティルトさまと彼女が抱えている『赤夜光』の欠片を引き離しつつ、『オリジナル』への攻撃を連続しましょう!」
「ならば、ティルト殿と『赤夜光』の欠片への対処は任せた。『オリジナル』は俺が相手する」
「?!イリスカルンさま!!」
アリス・レッドベリルの進言に対して、簡単な相談などを返すこともなく、イリスカルンは帯刀していた腰から剣を抜くと、『アリス・レッドベリル・オリジナル』へ向かっていった。
独断といえばそれまでなのだが、この第二王子、そうなるだけの才能には恵まれていたようだ。
「はぁああああ!!」
「肯定せ…?!」
剣の斬撃によって『アリス・レッドベリル・オリジナル』の体が、思い切り『深海の間』の窓に向かって飛んでいく。
カルセドニーが展開している結界がなければ、間違いなく窓の修繕費が必要となっていたことだろう。
「ちっ。なかなか丈夫だな」
いつもであれば、さっくりと斬れるはずの一撃であるため、イリスカルンは不服そうにつぶやいた。
続けざま、イリスカルンは剣の切っ先で『アリス・レッドベリル・オリジナル』を突いて突いて突きまくる。確かに刺さりはするのだが、その体には弾力のようなものがあって刺せたという実感は得られない。
「はー、なにあれ、こっわ」
アリス・ゴーシェはイリスカルンの剣に寒気を覚えながら、ティルトと『赤夜光』の欠片のほうに近づいていた。
「あー…ティルトさん?それさー、絶対にアンタの大事な子じゃないし、離したほうがいいと思うんだけど…」
相手は国王の公式愛妾ということもあり、なるべく、いつものような口調にならないように努めているものの、やはりどこかぎこちない。