第二王子の喪失感
数分ほど時間をずらしてダイニングルームへ入ると、メイドがぐちゃぐちゃになった食卓を片付けていた。それを勤めに出ていない他の兄弟自動人形たちが一緒になって片付けている。
ペリドットは何が起きたのかわかっていたので、それを手伝う。
「学習したよねー。ペリドット」
「?!ふぇ!?」
背後からぼそっと、アリス・ゴーシェに言われ、この子は弱々しい悲鳴をあげて振り返った。
「パパが怒るの分かってて逃げたっしょ?」
「あ…」
「えらいえらい。これで、この家では一人前って感じ?」
「…そう、なのかな…」
「要らない傷なんか負うことないしー。ぶっちゃけ地雷踏まないようにすんの疲れるから、パパは」
「ゴーシェ姉さまでも、そう思うんですか?」
「あーしはさー。だからこのキャラやってんの」
きひっ。アリス・ゴーシェは真っ白でふわふわな子猫が悪戯の際に浮かべるような不敵さを滲ませて笑った。
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数日後、イリスカルン第二王子帰国の報が国中に知れ渡った。そこから帰国当日を迎えるのに、たいして時間はかからなかった。
第二王子といえども、王位継承権は放棄しているためか、大々的なパレードのようなものは催されることもない。
だが、八人いる国王の子どもたちの中でも、彼の美貌はずば抜けていて、氷の彫像のようだと評判だったこともあり、国中のイケメン好きや珍しもの好きが老若男女問わずにそこそこ集まった。
この事態は想定の範囲内で、実はその前日にすでにイリスカルン第二王子は帰国していて、王宮にいたのだけれども。
その情報が広まる頃には夕方になり、全員がお祭り気分で、道のど真ん中には屋台がいくつも並び、往来で酒を飲み…と騒然とした状態になってしまっていた。
「あほらし…」
ミスティラポロはそんな喧騒の中を歩き、屋台で買った肉串と焼きたてのパンを持って『三つ首塔』へ帰ってきた。
もうすっかり、ここの住人と化した彼はホットチョコをマグに入れ、それとは別に水の入ったグラスを準備する。
今日の夕飯の始まりだ。
『三つ首塔』の向かいの宿は温かい食事が二食付くことを売りにしているため、この時間帯は窓を開けると美味しそうないい匂いがしてくる。
屋台で買ったものを広げながら、その匂いをかぐのは、少々寂しい気分にもなるが、彼はこの時間帯が好きであった。
「はー、美味しかった♪」
そう言って水を飲み干したちょうどそのとき。
彼の連絡用リングに鳥が止まった。
「『赤夜光』…欠片か、『オリジナル』か…」
洗い物は水に浸けてあとにすることにして、彼はまた『三つ首塔』から出かけていった。
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「『楽園シリーズ』にこちらの要請を拒絶された?」
冷たい声音がその場に響く。声の系統としては、どことなく、アクアマリンの声音と似ている。
予定通りであれば、本日の帰国によって主役となるはずだったイリスカルン第二王子だ。
帰国の旅の疲れがまだ取れていないらしい。今の彼は綿の柔からな白いシャツに、緩やかなシルエットの白ズボンといった、ややラフな格好をしている。だが、それがお洒落に見えてしまうほどの178センチの高身長でスタイルがいい。
「ああ。やはり、王族が前線に出るのは…」
シャヘルとその自動人形たちから一度断りを入れられ、おまけに握られてはならない弱みまで握らせてしまったグレイコーン国王は、必死になってイリスカルンを説得していた。
これ以上、クオレ一族に関わるのは得策ではない。
かの宵闇の大陸のチイイダリムネ帝国のように、この国が滅ぶことにつながりかねない。
クオレ一族の名はそうした不吉な意味でも有名だった。
「何故だ。父上。俺は王位継承権を放棄したはずだ」
「お前でなくても、適任が選抜されているんだよ。ほら、情報屋に、最近だと薬学治癒師…」
「そんな奴らに任せておけるわけがない」
「いや、それを決めるのはあちらなんだが…」
父親から提示された紙の資料を跳ね除け、ひらひらと沢山の紙束が降り注ぐ中で彼は怒りに震える。そんな様子すら、まるで一枚の絵画のようなゾッとする美しさの青年である。
その深い青の瞳は紺色の瞳孔を持ってさらに寒々しい雰囲気を彼に与えている。この目の色は母親であるリオーテ正妃譲りだ。眉目秀麗。肌も色白。手足の長さも母親譲り。
グレイコーンから譲り受けたのは、その髪色だ。
短く切り揃えられたブルーシルバーの所々に赤いメッシュのような髪色が混じった不思議な色合い。グレイコーンの子どもたち全員に遺伝しているその色は、イリスカルンを王族であると証明する色であった。
「俺一人で十分だ。あの女みたいに他の人間を犠牲にするようなことは絶対にしない」
「無茶を言うな。『赤夜光』の危険性はお前もよく知っているだろう。スラム街が空っぽになるほどの猛威だぞ」
「…ほかにもクオレの自動人形は残っているんだろう?そいつら全員と顔合わせさせてくれ。頼む」
「イリスカルン…」
「王位継承権も放棄した。フェリルももういない。俺にはこれ以上何もない」
「私たち家族を無視しないでほしい」
「家族?それはどこまでの血を定義している?もし、貴方の血を引く者すべてだとしたら、八人の子どもすべての今後を貴方が早く決めたらいい。特に第四王子までの今後をね。宰相をはじめとした大臣たち抜きで」
「そんなおそろしいこと」
「ほら、恐ろしいんだろう?派閥ができあがる時点で、貴方の子どもたちは彼らの駒にしかならない。そうして、俺を除いた貴方の血を引く王子全員が貴方の席を狙うんだ」
「イリスカルン!!」
「本当のことだろう?!」
「…」
「とにかく、顔合わせの用意を。父上」
イリスカルンはそう言い捨てると、グレイコーンの居室を後にした。
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翌日。シャヘルは契約をしていないすべての『楽園シリーズ』と共に王宮へ来るようにと、グレイコーン直々に連絡を受けた。
王命である以上、拒絶はできない。
仕方なく、彼は既に契約したアクアマリン、ヘリオドール、ジャスパー、アリス・リシアを留守番させて、正装した他の七体と共に登宮した。
万が一、イリスカルン第二王子がペリドットを気に入ってしまっては目も当てられないとばかりに、アリス・レッドベリルたちは一生懸命に末っ子の姿を隠すことに尽力した。
謁見の間に入ったとしても、一番後方へペリドットを配し、さらには内緒でついてきていたジャスパーが隠密スキルによって末っ子の存在感を薄くする。
ペリドットはこの場にいる姉兄たちの過保護バリアによって鉄壁の守りの中にいた。
「顔を上げてくれ」
高い位置の椅子に座るイリスカルンからそう言われ、シャヘルを含めて平伏状態でいた全員が顔を上げる。
この第二王子、顔が良い。
不本意ながらも、シャヘルとその作品たち全員の心の声が重なった。
美しさで言えば『楽園シリーズ』は至高であるのだが、そうした存在たちからしても、イリスカルン第二王子の美貌は異常であった。
シャヘルなど、何度か謁見したことがあるというのにそう思うのだから、彼の持って生まれた造形は神がかりの域と言える。相手が王族でなければ、モチーフとした自動人形を作っていた可能性も否定できない。
本日彼が着ている衣装も、王宮内の衣装係が本気を出した一級品だろう。彼の氷の彫像と称される美貌とすらりとした線を強調するような、全体的に白と水色の印象が強い衣装だ。
「クオレ」
「はい」
「ここにいるのが本契約を行っていない『楽園シリーズ』か」
「はい」
「…」
イリスカルンはじっと並び座る『楽園シリーズ』へ目を向けた。アリス・レッドベリルからペリドットまでをざっと眺めたあとで、彼は考え込むような素振りを見せる。
「イリスカルンさま…?」
「ああ、少し、妙な気配が…その赤い自動人形から…」
赤をモチーフにしている『楽園シリーズ』は、アリス・レッドベリルしかいない。その場すべての視線が、アリス・レッドベリルへと注がれた。