記憶であるのか、夢なのか
謹慎が解けてからは、シャヘルの使いを頼まれるようになり、少ない頻度ではあるが、外へ出るようになった。
だが、その頃からペリドットの周りで不可解なことが多発するようになったのだ。
例えば、誰か男性に呼び止められた気がして振り返ったのに、そこには誰も居なくて、ただ刃物が転がっていたり。
例えば、よくわからない集団に追いかけられたときに応戦しようと振り向いたら、いつの間にか全員その場に伸びていたり。
例えば、お使い先で道を聞こうとして、その相手の若い男が悲鳴をあげてペリドットの前から逃げ出したり。
例えば、懐かしいようなぞくぞくするような視線を感じて振り返れば、知っている茶髪が物陰に隠れるところだったり。
その度に、ペリドットは思った。
「ボク、あの人に見守られてる…!!」
とろりと蕩けたような表情をして、頬を両手で覆い、多幸感に打ち震える。
((…普通、気持ち悪がるものなんじゃないか???))
まぁ、末っ子が幸せそうだから、いっか。
事情を知っている兄二体は、末っ子の奇行を生暖かい目で見つめた。
ペリドットに詳細なことは教えていないが、この三年間、ヘリオドールはミスティラポロとは契約をせずに彼の実験に協力し、ジャスパーは本業をこなしつつミスティラポロから頼まれてペリドットを影から護衛していた。
ジャスパーがペリドットのだいたいの一日の行動を把握して、それをミスティラポロへ流すことで先に述べたようなストーカーめいた行動が可能となっていた。
シャヘルからは、ミスティラポロとの仮契約で大失敗をしたと考えられていたペリドットは、謹慎が解けてもさほど外へ出されることはなかった。
この子のお使いも多い回数を頼まれるわけでもなく、この三年間の大半は引きこもり状態に近いといえた。
しかし、だからこそ余計にミスティラポロはペリドットに過保護だったとも言えた。
外界との接触がないということは、それだけ悪意にも疎いということだ。
『騙されたり、さらわれたり、変な魔法とかかけられたりしてからでは遅いかんね?』
あの男はあの男でこの三年間でかなり拗らせていた。
「ところで兄さまたち、なんでボクの部屋に?」
ペリドットは恍惚とした表情を抑え込むと、いつものすまし顔で問いかけた。
「明日からリチェと対『赤夜光』特殊部隊に編成されるんだろう?」
「ええ。そうですよ」
「三年が経過したから、そろそろラポロくんが接触してくると思うが…」
あまり浮かれ過ぎないように、とヘリオドールが言いかけたのを「知りませんよ」とペリドットが遮った。
「「え?」」
「ぜぇええええったい!!この三年間、ボクの近くに来ておきながら放置していたこと、あの人に後悔させてやるんです!!」
((ぅわぁ…拗らせてるなぁ…))
兄二体は生暖かい視線をペリドットへ送る。
「それほどの気概があるなら、俺たちからは何も言うまい。行きましょう、兄上」
「うーん…心配だけど…」
「兄さまたちも、早く明日の準備をして寝てください!明日は!ボクではなく、姉さんの晴れ舞台なんですから!!」
明日、リチェは初めてシャヘルの同伴なしで外へ出る。
現状、表向きの本契約をしたとされているヘリオドールとジャスパー以外の『楽園シリーズ』たちは未だにオーナーが決まっていない。
シャヘルの選り好みが関係しているのかと思いきや、それは違う。
まず、『赤夜光』やその欠片があまり活発的な行動を起こしていないことが理由として大きい。
しかも、これまでヘリオドールとジャスパーの契約主であるミスティラポロが『赤夜光』の欠片をキューブへと変換し、回収を繰り返し続けてきたため、彼がいれば事足りる。
おかげで、彼は情報屋を本業としながらも、副業であるキューブ回収のほうで財が潤っているようだった。
「ラポロくんだけでは対処できない数がでてきたわけでもないはずなんだがね…」
「どうして、ここでリチェとペリドットなのか…」
兄二体はやはり心配そうにペリドットを見下ろした。
「お父さまの考えることなんてわかりませんよ。ボクたちには」
「それもそうか」
「でも、警戒だけは怠らないようにするんだよ?」
「はい!」
こうして、兄二体は明日に備えてペリドットの部屋を出ていった。
ペリドットもまた、明日のための準備を終えて、ベッドへ横になる。
「…」
ペリドットはそっと、左腕の鍵穴のある球体関節を撫でた。ここには今、何も入っていない。
それから、心臓部の穴の辺りへ手をやる。
(明日、ラポロさんに会えたりするのかな…)
微かな不安と共に、この子は目を閉じた。
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(これは…いったい誰の記憶なんだろう…?)
目の前で真っ二つに折れて自壊していく一体の自動人形。
ブラックアウトする視界。
場面が切り替わり、手から離れていく真っ白な布。
体を襲う衝撃。
視界の端に見えた鋭く大きな爪。
水に溺れていくような感覚。そこから浮き上がる感覚。
白。
赤。
白。
赤。
白。
赤。
白。
白。
白。
虚無。
『子どもが腹から斬られた!!治癒術師を呼んでくれ!!』
『間に合うわけないだろう!!』
知らない大人たちの怒号。
助からない、とペリドットは直感した。
(これは…誰の死の記憶…?)
『ハラワタ抑え込んで包帯巻け。薬湯ならある。飲ませたら、しばらくは持つ。その間に治癒術師のところへ連れていけ』
口に広がる清涼感。
内臓すべてへ行きわたる涼しさ。そして、巡り始める温かさ。
鼓動がする。
『心音が戻った?!』
『早く、治癒術師のところへ!!』
(そうか…助かったんだ…)
ペリドットがそう思った瞬間、真っ白な光が視界を覆った。
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よくわからない夢を見た。
起きたペリドットは机の引き出しから櫛を取り出し、髪を梳かしながらそう思った。
私室を出て、朝食を食べに向かうと、兄弟自動人形たちが全員揃うその食卓の奥にシャヘルが座っていた。普段は自室で簡単な食事を済ませることが多い彼がこの場にいるのは、今日はアリス・リシアが彼の同伴なく外へ出るからだ。
「おはようございます、お父さま」
「おはよう、ペリドット」
比較的穏やかな声音で挨拶が返ってきた。
今日は食事にありつけるだろう。だが最近では、父から食事抜きを言い渡されたところで、他の兄弟自動人形たちがあとで持って来てくれるからまったく問題はない。
ペリドットはあえて、自身のシャヘルからの扱われ方を変えようとはしなかった。それは、この子が考えた結果だ。
(ボクは、あの人にもう一度会えればそれでいい)
ミスティラポロにもう一度会うこと。
そこで、彼が本当に自身の運命であったのかを見極めること。
この三年間はそれだけを考えて生きてきた。
依存対象が父親からミスティラポロへ切り替わっただけだと言えば、そうかもしれない。けれども、そのほうが幾分かマシなことなのだともこの三年間で実感していた。
(少なくとも、お父さまの元にずっといることはボクの本意ではない。例え、ラポロさんと本契約ができなかったとしても、ボクはこの家を出ていく)
ミスティラポロと本契約することが本当に自身の幸せに繋がるのかどうかは、会ってから決める。
おそらくそれは三年前の彼が、ペリドットとの仮契約を破棄する方向で持っていったことからしても正解なのだろう。