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ひとつのケジメ


 昨晩は帰宅してから風呂に入った後の記憶が無い。

 何もかも忘れてしまいたかったが、朝はどうしてもやってくる。

 シャヘルからの仕事を投げ出すわけにはいかない。ペリドットは身支度を整えて、部屋の外へ出る。


「おはよう。ペリドット」

「ヘリオドール兄さま…今日のお仕事は…」

「遅番にしてもらってね。ああ、お父さまのことは気にしなくていい。リチェに新しいお菓子屋の話をしたら、お父さまのところへすっ飛んで行った。しばらくは、私たちのことにまで気が回らないはずさ」

「そう、ですか…」


 勝手なことを言って、あの場に兄たちを放置して帰ってきてしまった罪悪感が大きい。


「昨日はすまなかった」「昨日はすいませんでした」


「「え」」


 飛び出てきたのは両者とも同じ言葉だった。


「ペリドットはなんで謝ったんだい?」

「それは、決まっても無いことを当然のことのようにミスティラポロさんにお話して、ヘリオドール兄さまとジャスパー兄さまを置いてけぼりにしてしまったからです」

「うーん。それは、私が原因でもあるからねぇ別に謝らなくても…」

「そんなこと、ないです。結局、ボクはちゃんとミスティラポロさんとお話できなかったんです」

「でも、ちゃんとあの場に行っただろう?偉かった」

「…」


 俯くペリドットの前髪がさらりと降りていく。レモンスカッシュゴールドは朝陽を浴びて眩しく光る。


「聞かないのかい?あのあとどうなったのか」

「…別いいいです。どうせ、ボクはもうすぐ仮契約満了なので」


 何もかもぐちゃぐちゃになった気分だった。だから、ちょっと拗ねているような甘えているような言い方になった。


「…そうか。結論から言おう。私はラポロくんに契約鍵を渡した。ついでに、ジャスパーもだ」


「え?!」


 俯いていたペリドットがバッと顔を上げた。

 ヘリオドールは困ったような表情でペリドットを見下ろしている。


「ただし、お前が考えているようなことのためじゃないよ」

「…どういう、ことですか…」

「彼に聞いたほうがいい。行っておいで」

「…そんな、なんで、兄さま…」

「私から言えるのはここまでだ。早く行っておいで」


 うろたえるペリドットの目には、じわじわと涙が浮かんでいた。ヘリオドールはぽんぽんとその頭を撫でて、すがりついてくる手をやんわりと取り払う。

 そして、この子には何も言わずに、歩き去っていってしまった。


「どういうこと…?」


 まだ期間は残っているはずなのに。


 ペリドットは慌てて『三つ首塔』のミスティラポロの部屋直通で、その身を転送した。


〓〓〓〓〓〓〓〓


 気が重い。

 これから、どうあの子に切り出そうか。


 窓辺においた椅子に座り、朝の支度を済ませたばかりの彼は溜息をついた。


「ミスティラポロさん!!どういうことですか?!ヘリオドール兄さまはともかく、ジャスパー兄さままで本契約なんて!!」

「?!っびっくりしたぁ?!そんな血相変えてくることあった?!」


 背後から聞こえた大きな声に、朝食代わりのホットチョコを口にしていたミスティラポロは思わず白いマグを落っことしそうになった。

 なんとか中身をこぼさずにキャッチしたマグを安定した場所に置くと、彼は椅子を動かして座ったままこの子へ向き直った。

 声音から想定していたが、案の定、ペリドットの肩は震えていた。


「だって…だって…っ」

「うん」


 いつもなら、こうしてぐずったような声のペリドットを抱きしめてやっていた。しかし、彼は今、この子にまったく触れようとせず、距離を取ったままその顔を覗き込む。

 猫のような狐のような瞳孔と、薔薇の瞳孔がかち合う。


「貴方は…ボクの、オーナーなのに…っ」


 ペリドットは、なんだか初めて本音が剥がれ落ちるようにして口から出てきたような気がした。

 対し、ミスティラポロは真正面からとらえたその視線に、ギュッと心臓を掴まれた心地がした。


「…うん、でも仮だね。あと数日だ」


 痛む心臓を無視して、彼は淡々と事実を告げてやる。


「っ…でもっ…でも…」

「うん。でも?」

「っぅ…っ」


 心臓部に空いている穴から、身体が真っ二つに割れてしまいそうな痛みがペリドットを襲った。


 自壊していくような感覚とはこのことを言うんじゃないかと思うほどに、ただ痛かった。


 手を伸ばして、ミスティラポロの体にいつものように縋りつこうとした。

 けれども、彼はそれを片手で柔らかく制して、椅子から立ち上がり、また距離を取った。


「【ペリドット】。泣いてちゃわかんないよ?」


 それが今一番、この子の心を傷つけるとわかっていた。


「なんで…っ。なんで、名前…っ」

「名前?」


 ミスティラポロはわざとらしく聞き返す。

 思っていた通り、この子の黄緑色の綺麗な瞳からはぼろぼろと涙が溢れかえった。


「なんで【リディ】って呼んでくれないんですかぁ…っ。なんで、なんで、ヘリオドール兄さまが貴方のことを【ラポロ】って呼ぶんですかっ!!!」


 本当は呼んであげたいし、本当は一番この子に呼ばれてみたかったけれども、このままではきっと駄目だということを彼はよく知っていた。


「うーん…嫌だったんでしょ?俺から【リディ】って呼ばれるの」

「っ」

「それに?俺と比較的仲のいい奴はみんな【ラポロ】って呼ぶし?全然変なことじゃないよ?他人行儀にずっと【ミスティラポロさん】って丁寧に呼んでたのは、【ペリドット】のほうじゃん」

「…!」


 ぺたん…とペリドットはその場に正座した脛を外側へ少し開いた状態で座り込んでしまった。俗に言う『女の子座り』というやつだが、この場でそれを指摘する者もいない。

 今日の彼の冷たさは、いつもの冷たさとはまるで違う。拒絶そのもののための冷たさだ。


「で、言いたいことはそれだけ?」

「…」

「うーん…そんな状態じゃ今日の『赤夜光』の見回りはやめといたほうが良くない?」

「…」


 この子は黙り込んだまま、自身の左腕の袖をまくり上げ、そっとミスティラポロのほうへ差し出した。

 どうしたら、いつものようにペリドットのことを扱ってくれるのか、この子にはこの方法しかわからなかった。


「調製?」


 嫌なものを見たような表情でそう問いかけてくる彼に、ペリドットは静かに泣きながら、こくんと頷いた。


「…」

「それは、もういいや」

「え…」

「仮契約中は、もう必要ないから」

「そう…ですか…」

「うん」


 事もなげに、彼は答えた。

 この子はふらりと立ち上がってミスティラポロに背を向けた。


「…やっぱり、ボクじゃダメなんですよね…お父さまの言うことは正しかった…」

「…」

「ボクなんかと、本契約してくれるオーナーさんなんか、いないんです…」


 立ち上がったその足で、帰ろうとしたのかペリドットの体が黄緑色に光りかかる。それを止めるようにして、ミスティラポロは名を呼んだ。


「【リディちゃん】はさ」

「!…はい」


 ペリドットの体から光が収まり、彼の声に耳を傾ける。


「っていうか…リディちゃんの世界はさ。ぜーんぶ『お父さま』が基準なんだよね」

「…」

「ぜーんぶ、『お父さま』の言ったまんまに行動して、『お父さま』の言動に寄せて、考え方もまるで『お父さま』そのものみたいになろうとして…」

「…」

「創作した側と創作された側で多少似てくるのは仕方のないことだと思うよ?どんな親子だってそうなんだから。でもさ、リディちゃんは、シャヘル・クオレになりたいの?だったら俺は、リディちゃんを選ばないよ。俺、あの人嫌いだもん」

「…ぅう…っ」

「リディちゃん、泣いてていいから。一回、こっち向いて」

「…?」


 ペリドットは素直にミスティラポロのほうを振り向いた。



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