欲しかったのかもしれない
「ペリドット」
「はい」
「アリス・リシアの手を煩わせるようなことはやめなさい」
「申し訳、ありません…」
ペリドットは素早く頭を下げた。ほぼ条件反射だ。アリス・リシアとこの部屋に来た時点で、遅かれ早かれこうなることはわかっていたから、悲しいとか苦しいとも思わない。
「…まぁいい。それよりも。お前から見て、仮オーナーは今後も使えそうな男だったか?」
これまでもペリドットは定期的にシャヘルへミスティラポロの様子を報告してきた。だが、その中から得られる情報は些事であり、シャヘルにとっては今回の戦闘こそが大きい意味を持っていた。
「ええ、そうでなければ調整用の特殊鍵の術式を書き換えることもできないはずです」
「そうだったな。…戦闘面は?」
シャヘルはまったく、ミスティラポロの行っているペリドットへの調整に興味がない。それは、ペリドットが調整の際に自身に起こる不具合を父に報告していないからでもある。
また、シャヘルはミスティラポロをとても下に見ている節がある。シャヘルにとってのミスティラポロは、例えるなら、道端に落ちている石に過ぎない。
その道端に落ちている石が、『赤夜光』の真実を追ってシャヘルのところに辿りついたことが不快なのかもしれない。
「ボクの盾拳刀は使いにくそうでした。普段は長めのナイフが得物のようでしたし。中距離向きか。かといって近接戦が不得意なわけでもなさそうです。そもそも、ボクの盾拳刀は少し特殊ですから」
「ふむ…遠隔武器を使えるか試すなら、次回の戦闘になるか。もっとも契約期間中に『赤夜光』の欠片が現れるかどうか…」
遠隔武器、という単語が出てきたことで、ペリドットの心はざわついた。この子の持っている盾拳刀は特殊で近接武器と見せかけて中距離武器にはなるが、遠隔武器にはならない。
「もしかして、兄弟の誰かとの本契約をお決めになったのですか?」
「いや、まだ本契約は行わない。お前との契約期間中はお前に一任だ。明日からは実験的にヘリオドールの傘のレプリカを持っていけ」
「ヘリオドール兄さまが適任とお考えで?」
ミスティラポロが本契約する自動人形は誰であるのか。気になって仕方なかった。
「気になるか?意外だな。すぐに彼との仮契約を解除したいのかと思っていたが」
ペリドットは食い気味な言い方をしたつもりはなかったが、しっかりとその焦りはシャヘルに伝わっていたようだった。
「…お父さまから頂いた仕事ですから、全力をかけて取り組みたいのです。彼がヘリオドール兄さまとの本契約できる適性があるのか、ボクも厳しく見極めたいと思います」
「…」
言い訳がましいことを言ったという自覚がある。ペリドットの言葉を聞いたシャヘルが無言であることが少々恐い。
もうすぐ仮契約満了。
それは避けられないことで、おそらくペリドットはミスティラポロと本契約することはできない。
戦闘時に起こる体の不調。契約者を完璧に守護する力を与えられない不完全。それらはこれから『赤夜光』と戦っていくことになる契約者を死に至らしめかねない。
だったら、確実にミスティラポロを生かしてくれる自動人形と契約させたい。
(死んでほしくないと思う程度には、大切になってしまっている…あの人のことが)
「見極めるまでもない、とは思うがね」
「え?」
ペリドットは思わず聞き返してしまっていた。
「私は彼の人間性に疑問を感じる」
普段、遠回しな言い方の嫌味を好むシャヘルが比較的強い非難を込めているのがわかる。
「人間性…ですか?」
「そうだな。比較的ライトな話題なら、彼はある筋ではとても有名でね。『ユウガオ通り』の娼館を利用する紳士淑女たちの間では『『登竜門』を出禁になった男』という通り名がついているそうだよ」
「『登竜門』を…出禁…????何か悪いことをしたんですか?」
「『ユウガオ通り』や娼館の意味はわかっているか?」
「はい、一応…」
ペリドットがだらしない服の着方をしている度に、シャヘルが侮蔑と共に掛ける言葉だ。そこの意味くらいは知っている。
「『青と糖蜜』という娼館があってね。その中でも、好き者で有名だったのが『登竜門』というあだ名の娼婦だ。その女性に出禁を言い渡されたんだ。そのくらい、彼は性豪というわけだな」
「はぁ…」
ペリドットは手袋に包まれた手を柔く摩る。聞いていると、不快になるような話だ。それは知ろうと思わなければ、知らないで済むミスティラポロの悪評でしかない。この子は、この子の知っている彼だけしか知りたくなかった。
「最初からヘリオドールに任せてもよかったが、私はそこが気になってな。男型と明言しておいたとはいえ、どちらの性も持っているお前にすら手を出してこようとするのなら、絶対に女型の自動人形は渡さないでおこうと思っていたんだ」
「え、あの…」
「ただ、私も別にペリドットに手を出されてもいいと思っていたわけじゃない。私を理解しているお前なら、そんな状況に陥ってもすぐ私に報告してくるだろう。それにお前は、あんな男に隙を見せることもない」
「…」
ペリドットは言葉を失った。
今回ばかりは父があまりにも無責任だと思った。
なにせこの子は、最後まで手を出されたわけではないものの、それに類似したところまでは許した形になっている。
そうなりかねないと見越しておきながら、そうはならないという根拠のない楽観視でペリドットは知らなくていいことを経験し、知らなくてよかった感情を手にしてしまった。
「だいたいあの男は調べてみたら、『赤夜光』の真実が目的だと言って仮契約が始まっても娼館通いをしている。どうやら、お前が帰宅したあと夜の街で見かけると…」
後半のシャヘルの言葉は、まったく耳に入ってこなかった。
この子はただ、初めてのショックを受けていた。これまでシャヘルから投下されたどんな言葉よりも、ミスティラポロのそちらの事実のほうがひどく深く心を抉っていた。
「そうですか…(…そうだよね、ボクにあんなことしてても、ちゃんとできる人間のほうがいいんだもの、きっと…)」
「ああ、すまない。お前もこんな下卑た話題は嫌いだったね」
「…」
シャヘルのほうから言い出した下卑た話題だったはずだ。上辺だけで謝罪するくらいなら最初から話さないでほしかった。
「今日は疲れただろう?食事ができるまで、部屋でおやすみ」
この人は、その気遣いの皮を被った言動にどう返してほしいのだろう。
本当にペリドットを気遣っての言葉だとしたら、父はどれだけ他者への気持ちに疎いのだろう。
もしかすると、それを自身が創作した自動人形たちからは許されると思っているのだろうか。
ペリドットは拳を握りしめて耐えた。
「はい、お父さま」
上手く表情は作れていただろうか。
ペリドットはその場からすぐに離れたくて、転送を行った。
残ったシャヘルは、回収されたキューブを手にすると、連絡用リングでどこかにメッセージを送り始めた。
「お疲れ様です。クオレです。キューブの回収に成功しました」