チュートリアルを突破せよ
「行こう…?ミスティラポロさん、おねがい…」
「…ほーんと、可哀想な子だねー、リディちゃんは」
「え?」
頭に両手を当てて怯えていたこの子は、彼の顔をおそるおそる見上げる。その後にふわっとした浮遊感があった。
「立てないんだから、文句言わないでね?」
「あ…」
「着くまでにはちゃんと動けるようになっててよ」
ミスティラポロはペリドットを横抱きすると、シャヘルが情報を寄こした教会まで向かった。
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ミスティラポロが寝泊まりしている『三つ首塔』からその教会までは五地域中一番遠い距離があった。
けれども彼は元から鍛えているだけあって、ペリドットを抱えたまま走っても、息も上がらずに目的地へとたどり着く。
「!ミスティラポロさん、あれ!」
何かをペリドットがミスティラポロの首の後ろに回していた両腕のうち左腕を放し、ふわふわと漂っている赤い光を指さした。
「…あれが、『赤夜光』の欠片か」
「おそらくは」
赤い光の近くには一人の女性がいて、その光に向かって涙を流しながら手を伸ばしている。ふらつきながら『赤夜光』の欠片が移動するのを追いかけている様子がどこか哀れだ。
「坊や…私の坊や…どこに行くの…」
その言葉だけで、一人と一体には、この女性が自分の産んだ子どもを何らかの形で失った母親なのではないかと推察できた。だとすると、彼女の『願い』は切実極まりないものだろう。
「リディちゃん、立てるか?」
「はい、なんとか」
「っし!じゃあ、初戦といきますかっと!!」
ペリドットを下ろしたミスティラポロはまず、『赤夜光』の催眠下に入ってしまっている母親に近づいてその腕を掴んだ。そして、取り出した縄で近くの街頭へ容赦なく縛りつける。
「(マスカット…)なんていうか、優しく説得して催眠から目覚めさせるとかじゃないんですね」
「正義の味方やってるわけじゃないからねー♪」
獲物だった母親を拘束された『赤夜光』の欠片はそれに気付き、うっすらとした透明な状態で姿を現した。
「否定せよ…肯定せよ…否定せよ…肯定せよ…」
二言をただ繰り返すその存在は、とても愛らしい子どものような姿をしていた。だが、赤く発光している透明な体はまったく人間であるようには見えない。
「これって、話せると思う?」
「意思疎通、は無理でしょうね…」
子どもの目に当たる部分は、瞳の部分が両方ともあり得ない方向を向いていて、焦点も定まらない。同じ言葉を繰り返していることからも、意思疎通困難と判断した。
「じゃあ、リディちゃん。【結界展開】は頼んだ」
ミスティラポロは普段使い慣れている長めのナイフを手にする。
「はい!…【結界展開】!!楽曲!!第一楽章!!」
ズキッ
ペリドットは結界を張るために歌い出した。それと同時に頭を殴られるような痛みも生じていた。けれども、生じた不調を彼に悟らせないよう踏ん張って我慢する。
心なしか、呼吸も苦しい。
この子が歌い始めると、その背後に漂うオーラからは黄緑色に発光した拡声器と流音機が現れ、音楽を奏でた。
一見、近所迷惑になりそうなそれも、結界が展開されているために遮音されたらしい。この大きな音に対して、教会やその近くの住宅からは何の反応もない。
「はー、こんな風になんのか」
黄緑色の結界の内側を見回す彼に「ミスティラポロさん!!来ますよ!!」とペリドットの警告が飛ぶ。音楽が続いている間は、途中でペリドットが歌をやめても結界は展開されたままであるらしい。
よく見ると、ゆらゆらとした黄緑色の光が、ペリドットとミスティラポロを繋いでいる。これはミスティラポロの魔力で繋がっている契約のようだ。
「否定せよ…肯定せよ…否定せよ…肯定せよ…」
「ぅわ?!何このアホみたいな速さ!!」
赤く発光する子どもが、ペリドットと繋がっているミスティラポロめがけて突っ込んできた。彼は慌てて右側へ避けるが、すぐに子どもはぐてんと首を揺らしながら方向転換して向かってくる。
子どもは結界に激突しても、少し痛がったり苦しむだけで、根本的なダメージにはなっていない。
ミスティラポロは避けるだけの戦況を余儀なくされ、次第に後退した。たまにナイフで斬りつけたりもするが、柔らかいボールに当たったような感触でそのまま弾かれる。
防戦一方となった彼は、結界を張り続けようと歌うペリドットの苦しげな表情に気付くことが出来ない。
「第11自動人形ペリドットと仮オーナーの能力値同期!!」
「へ?」
突然聞こえてきたペリドットの声と同時に、ミスティラポロの体は一気に軽くなった。そのおかげで、向かってくる『赤夜光』の欠片に対しても上手く応戦できるようになる。
しかし、彼のナイフは『赤夜光』の欠片を貫通することなく弾かれるため、武器自体にもなんらかの能力付与が必要であることは明白だった。
「【身に纏え闘気】!」
やがて、ペリドットの歌声によって黄緑色の発光体が彼の体へ纏わりつき、フルフェイスの甲冑のような形態を持った。ミスティラポロの体を包んで漂う光は本来ならば、契約者を守るきちんとした形の装備へ変化するはずだ。
けれども、仮契約であるためか、はたまたペリドットの不完全さゆえか、うまく形にはならない。
ペリドットにはそれがわかっているらしく、矢継ぎ早に新たな歌を重ねた。
「あ、自動人形との連携ってこういうこと?!」
「いいから!!早く倒して!!」
事前に説明は聞いていたものの、ミスティラポロは突然の体の変化に驚いているようだ。本当ならもう少し説明を現地で加えたかったが、ペリドットはその身にかかる負担から大きく叫んだ。
まず、当然のことながら、結界維持のために自動人形には負担がかかる。加えて、結界を展開することで、閉じ込められた『赤夜光』が外へ出ようとして、攻撃対象も自動人形一択になる。どうしたって、結界を展開中の自動人形の歌には邪魔が入ってしまう。
だからこそ、契約している人間のほうがあえて標的となるように、その魔力で繋げて、そちらを『赤夜光』と戦わせる。
それが、シャヘルが想定して作り出した『楽園シリーズ』とオーナーの実際の関係性であった。
だが、人間では『赤夜光』はおろか、その欠片と戦えるだけの能力がない。能力値をさらに底上げする必要がある。そのために、契約によって自動人形とオーナーの能力値の同期し、さらには特殊効果のある歌で攻撃力や防御力を上げるのだ。
本来ならば、この結界内には騎士団を一つ配備して大勢で一体の『赤夜光』へ対処する想定だった。しかし、現状は『赤夜光』の欠片のみが活動状態であるために、国民にはしばらく『赤夜光』の存在を伏せておくことを国の上層部が決定していた。
結果、こうして一人で『赤夜光』に対峙することになったミスティラポロ(と、ペリドット)は、実は現時点で一番の貧乏くじを引かされていたのだった。
世の中には、知らないでいた方が精神的に幸せなこともある。