酩酊
「…あっそ」
とても素っ気ない態度と言葉しか出てこない。
自分が何かに苛立っていることは確かだったが、その苛立ちの正体がミスティラポロ自身にはつかめない。
「あの…一応、お父さまに聞いておいたほうがよろしいでしょうか?」
「別にいいよ。ちゃんと俺と本契約する自動人形のときに聞くから」
「…はい。そうしてください」
少しの意地悪だけで、目に見えてペリドットが委縮した。
やはり、ミスティラポロが他の兄弟自動人形のいずれかと契約することは、シャヘルだけでなく、この子の中で確定事項であるらしい。
現時点で、彼が興味を持っているのはペリドットという自動人形なのだが、それすらも察していない。
「(なんで、俺が自分を選ぶとかこれっぽちも思わないんだろ、この子…)ところで、これの術式、確認しなくていいの?今から組み込むんだから、壊れないように見といたほうがよくない?」
「あ、はい…」
(こういうタイプの女の子って、結構いるよな。『青と糖蜜』にはいなかったけど。自己肯定感が低いタイプってやつ)
一流どころばかりが揃う『青と糖蜜』の娼婦は自己肯定感が低いどころか、我が強く、弱肉強食をそのまま絵にしたかのような女性ばかりだ。ジェリコの恋人だったメリッサは、やむを得ない事情であの場所にいただけであって、そこらの強風にでも吹かれればそのまま死んでしまいそうな風情ですらあった。
ペリドットのように、一見すると普通であるのに、少しの圧で途端に委縮するような自己肯定感というものが著しく欠けているタイプ。それは全員共通して、幼少期から『何も取り柄が無い』だとか『ここ以外では生きていけない』といった類の言葉による虐待やそれに近い扱われ方をしてきた女性が大半だった。
(可哀想とか思ったことは一度もないんだけどさ。だって、そういう人って、他に目がいかないっていうか、気付こうとしないんだもん。俺が手助けできるわけでもないし)
ミスティラポロはここまでで自分の思考が、ペリドットのことを『女』だと断定して紡がれていることに気付いていない。無意識にこの子から感じとれる雰囲気をそこへ当てはめているのかもしれない。
ペリドットはまだ、彼が組んだ術式をじぃっと眺めている。この子にとってその術式を眺める感覚は、胸を打つ風景を目の当たりにしたときの感覚に似ていた。美辞麗句で飾られた文章のような術式よりも、それはずっとシンプルでわかりやすい。かといって、その術式の内容を完全に理解していなければ、絶対に真似して構成することは不可能な術式だった。
「あの、ミスティラポロさん。確認できました。これならボクも動作不良を起こさないと思います」
「んー。で、これはどうしたらいいわけ?」
「術式を格納して、それで、仮契約のときと同様に、この鍵に魔力を込めてから、左腕に…」
特殊鍵の説明をするペリドットの頬が微かに赤くなり、言葉がだんだん尻すぼみになっていく。
「?どしたの?」
ここまでで見たことのないこの子の表情に、ミスティラポロは困惑した。
「…なんでもないです」
ペリドットの体に、仮契約の際に彼の魔力が巡った感覚がぞわぞわと甦っていた。
シャヘルは仮契約には『痛み』が伴うと言っていたが、どう考えてもあれは痛みではなく、『心地良い』というか、何か熱いものが体の中心から溢れだしてしまいそうになるのを、抑え込んで我慢するような気持ち良さだった。そして、その気持ち良さに負けて、それを溢れさせてしまったら、取り返しがつかないくらい頭が真っ白に染まっていくような危ない感覚が裏側にあった。
結局あの後、ペリドットにはそれをシャヘルへ告げることなどできなかったし、あの感覚について詳細に述べることが何故かとても恥ずかしいことのようにも思えていた。
目を泳がせたまま、特殊鍵を渡してこないペリドットに、ミスティラポロは疑問符を浮かべてその様子を眺めた。
「…あのさ、それ、入れないと先進まなくない?」
「はい…あの、できればお手柔らかにお願いします」
「?ああ、そういや、痛いんだっけ、それ入れると」
「…えっと、はい…」
「なんていうか、難儀な作りしてんね…」
「一思いに、お願いします」
ペリドットは、ずいっと術式を格納した特殊鍵を彼へ手渡す。それから、左腕の袖を腕まくりし、そっぽを向いた。
「ははっ。なんか、注射苦手な人みたいになってる」
「なんでもいいから、早くしてください」
ニマエヴの世界の治療は治癒魔法や魔術が主流だが、魔力を用いるような症例でない場合や予防的治療などに関しては注射や投薬などが用いられる。
そして、一定数針が刺さる瞬間が苦手な人間も存在する。
「はいはい、苦手なら見てなくていいから」
「そ、そうじゃないんですけど…」
頬が赤くなっている理由を左腕へ鍵を刺す瞬間の痛みが苦手であるからだと解釈されたのをペリドットは否定しつつ、それでも彼に掴まれた左腕のほうは見ないようにする。
「はーい、ちょっと我慢して」
カシャン…
左腕の穴に特殊鍵が入りこみ、そこからだんだんこの子の体の中を、熱がぐるぐると巡り出した。
どくんっ
仮契約のときとは異なり、ペリドットの心臓部にある穴が疼いた。
「ぁ…っんん…ぁあっ」
「え」
それは、ミスティラポロにはだいぶ聞きなれた類の声音だった。彼はギョッとしてペリドットの表情を見やった。
薔薇の瞳孔の浮かぶ黄緑色の瞳がとろりと潤み、心地よさそうな顔で荒く呼吸をしている。頬は先ほどよりも紅潮し、ぷっくりした唇からは舌がちらりと微かに見える。
この表情を誰かに見せて回ったなら、十人中十人が、欲情しているのが明らかだと言い切ることだろう。
「ん…っ…」
ペリドットは口から溢れる艶のある声を抑え込むように、口元に手を当てた。
ミスティラポロがその左腕を掴んでいなければ、そのままラグへ倒れ込みそうだ。
「…大丈夫?」
「んん…っ。だいじょうぶなので…っすこし、手をはなしていただければ…っ」
「いやいや、そのまま放すと危ないから」
この子の様子が普通ではないことを察しているミスティラポロは左腕を放したが、倒れ込まないように今度はその体を抱えてやる。
「ぁう…っ」
「あー…リディちゃん、もしかして気持ちいーの?」
「っ…(バレちゃった…)そんなこと、ないです…っ」
「いや、でもさ…」
「さわらないで…っそのままおいといてください…っ。すぐおさまるので…」
「んー、わかったけど…(どうするかな。めっちゃエロい)」
ペリドットが横になると、着ているブラウスのふわふわレースによる嵩増しなど関係なくなり、腰から尻へのラインがより強調されることになる。それが荒い息に呼応してゆらゆらうねっている。
『ペリドットは男型の自動人形だ』というシャヘルからの情報をそのまま鵜呑みにするのであれば、長めのブラウスでやや隠れているボトムスのとある部分を捲ってやれば発情しているか否かの判別は可能なのだが、ミスティラポロはあえてこの子の言う通りに放置してやった。
このまま興味半分にこの子へ手を出して、シャヘルにそれを報告でもされてしまえば、仮契約一日目であらゆることが打ち切られてしまう可能性もある。
けれどもそうした懸念以上に、ペリドットが乱れかけては体をびくつかせ、どうにか耐えている様子を眺めていることが眼福だった。下手に手を出して警戒されてしまうよりも、この子のこうした状態をミスティラポロが眺めている状況がペリドットの中で常態化すれば、つけ入りどころは多くなる。単なる私欲だ。