カタログ
あれから部屋の中をぱたぱたと見て回ったペリドットは、持ってきた小さな荷物の中から柔らかそうなふわふわの白いラグを取り出した。
代わりにそこへ、シャヘルが用意してくれたお出かけ用の黒いケープを畳んでしまい直す。それから、ラグを部屋の隅っこに敷いて座った。なんだかその様子が、おさまりが良くて可愛らしい。
「一ヶ月間、お宅にお邪魔するときは、この辺をお借りします」
「え??そこでいいの??」
「どうせ寝るときとお風呂のときはお家へ帰りますから」
「それはありがたいけど。ていうか、一ヶ月程度だからうちにいてくれても構わないけど」
ミスティラポロとしてはペリドットが仮住まいすると見越して、二人分の宿代一ヶ月分を上乗せして『三つ首塔』の宿屋の主人に払うか否かを迷っていたところだ。
それを相手からぺいっと跳ね除けられた形になって、少しだけ困惑する。
「さっき見てきた感じだと、このお部屋のお風呂がシャワーだけだったので。ボク、お風呂はお家のお風呂のほうが好きです!」
「いつの間にそんなところまで見に行ったの…」
「あ…お行儀悪かったですよね。ごめんなさい。工房以外の場所をあまり知らないので、つい興味が…」
「だったら、尚更一ヶ月くらいいてもいいと思うけど」
「それは嫌です」
「即答ー」
「お風呂は足を伸ばしてはいるのが一番気持ちいいんですよ?」
「うん。それは分かるけども」
「??」
『楽園シリーズ』はおそらくシャヘル・クオレを基準として生み出されたのであろう。仮契約をしただけのオーナー相手では、その生活基盤のクオリティを下げることは良しとしないらしい。
感覚的には、貴族の子息が近衛兵隊ばかりに志願し、荒くれ者の多い部署には行きたがらないのと多分似ている。
「そういえば、あの仕様書も兼ねた誓約書、やけに自動人形の衣食住について事細かく書いてあったよな」
「ん?あー。あれですか。あれは多分、ボク基準の仕様書兼誓約書ではないですよ」
「は?どういうこと?」
「一番、繊細な自動人形の兄弟に合わせて製作された仕様書なので、非人道的行為さえなければ、あの誓約自体を破ったことにはならないはずです」
「非人道的行為って何よ。そんなことしそうに見える??」
「時と場合によってはしそうです」
「どんだけ俺、アンタに嫌われてんの。ていうか、一番、繊細な自動人形…?」
「ボクたち11体もいますからね。少し説明します」
ペリドットは『社外秘!!』と大きく赤字で書かれた『楽園シリーズ』のカタログを取り出した。
「ちょっとちょっと、これ『社外秘!!』って書いてあるけど」
「これはお父さまの許可が出ましたから安心してください。初めて『楽園シリーズ』の仮契約オーナーができましたからね。一応、他の兄弟たちについても知っておいてもらわないと」
「はぁ」
他の兄弟人形たちをオススメしてこようとするペリドットの圧が凄い。
ここで自分を売り込んでこないあたり、本当にミスティラポロのことはオーナーとして眼中にないことがうかがえる。
おまけに、ふわふわのラグの空いているスペースをポンポンと叩いて彼に隣へ座るよう促してくる行動にも圧がある。
「アクアマリン!アリス・レッドベリル!ジェット!ヘリオドール!アリス・ゴーシェ!カルセドニー!ジャスパー!アリス・フローラ!インカローズ!アリス・リシア!そして、ボク!…第1自動人形から第11自動人形であるボクまで、すべて宝石の名前が由来であることはお父さまが話したと思います」
「あ、うん」
カタログには水と火の魔法を組み合わせた技術で画像や文字が転写されており、カタログというよりは写真集に近い。
「この中で、一番!!父が繊細な自動人形として扱っているのが、アリス・リシア。ボクの『対の姉』で歌舞能力に特化した自動人形です」
ペリドットが説明しながら、カタログのアリス・リシアのページを見せれば、ミスティラポロは「ふーん」と気のない相槌をした。
「もう!ちゃんと聞いてください。万が一にもないですけど、もしあなたに姉さんとの適性があるってお父さまが判断したら…」
「これ、ちょっと貸して」
「え?」
ペリドットの空回りな兄弟人形紹介よりも、カタログを手にしたミスティラポロには、どうしても気になっていることがあった。
それは、ペリドット以外の男型自動人形のデザインについてである。
(よかったぁあああ。ほかの男型はちゃんと男に見えるデザインだった。こいつ(ペリドット)みたいなタイプもいない!!)
(んー?男型の自動人形の欄を優先的に見てるってことは、『赤夜光』で組むときの自動人形の戦闘能力が知りたいのかな。大事だもんね、そういうの)
このとき、ペリドットがミスティラポロの考えていることを一切知らずに済めたことは、幸運だったのかもしれない。
(女型も、そこまでこいつっぽいのがいるわけでもなさそうだな。姉って設定の自動人形もなんというか、可愛いは可愛いんだけど、変な色気があるタイプでもない。…て、んんんん?なんで、目当てを選ぶ基準がこいつ(ペリドット)になってんだ??別に女型も綺麗どころたくさんいんのに)
(めちゃくちゃカタログ見て悩んでる…なんかわかる。姉さまたちはみんなきれいで可愛いもんなぁ…)
両者間での思考のすれ違いが酷すぎる。
熱心にカタログを眺めているミスティラポロの横顔を見ていたペリドットは、少しだけふわりと表情を緩めた。本当に少しだけ、彼のことが真面目に見えたからだ。
ミスティラポロの横顔は女性にウケやすい綺麗なラインを持っている。その横顔で、何かしら真剣で熱心な様子を見せられたとしたならば、見せつけられた側の心境は少なくとも悪い方向へは転ばない。
彼は上辺だけ取り繕って黙ってさえいれば、いい方向に解釈してもらえる得な容姿の持ち主なのだ。
ペリドットはふたなりである。しかし、シャヘルがこの子に行ったデザインバランスは、男型だと銘打ちながら、六割ほど女性に寄っているのが実情だ。
元々はアリス・リシアを護るためとして施したこのちょっとしたバランスのせいで、シャヘルの意図していないところで、ペリドットはミスティラポロの持って生まれた造形に少々絆されやすくなってしまっているのだった。
なお、こうしたシャヘルの誤算は、これ以後も着々と積み重なり続け、彼の計画に影響を及ぼしていくことになる。
「ん?なーに?こっち見てさー」
「あ、いえ。その…気になる自動人形はいましたか?」
「あー。そーね。そこまでピンとくる感じの自動人形はいなかったかな」
「そうですか…」
「これ、返すね」
「はい」
ペリドットはミスティラポロから返却されたカタログをしょんぼりしながらボストンバッグへ片付けた。他の兄弟自動人形の良いところをもっと知ってもらいたかったという気持ちも大きく、また、これでシャヘルから任された仕事が果たされているのかという疑問もある。
この子にとって、ミスティラポロの第一印象はあまりよくなかったが、一生懸命に他の兄弟自動人形についてアピールをすれば、彼らのいずれかの良きオーナーになってくれるかもしれない。そう思って、カタログで説明しようとしたのだが、空回りしただけだった。