勇者と天使
それからさらに時は過ぎ、三大大陸共通暦267年、春。
これまで年に一、二度だった地盤崩落がチイイダリムネ帝国の国土で頻発するようになり、魔素の噴出による国土汚染が深刻化した。
当時の皇帝ブレームは息子であるホーク第二皇子の進言により、国土の地盤補修と魔素浄化のため、特殊な魔力を持っている勇者を異世界から召喚することを決定。
ニマエヴの世界を創造したとされる"神々"に許可を得て、ホーク第二皇子主導のもと、当時三回目となる召喚の儀を行った。
召喚の儀に際して、"神々"はリリスという勇者のための天使を派遣。
一回目の召喚の儀を担当した魔術師の手記によれば、『勇者のための天使とは、"神々"が創り出した人形に等しく、可憐な容姿を持ち、魔素を浄化するための羽根と歌声を持ち、召喚された勇者と契約をすれば必ず勇者への好意を持ち、勇者を全肯定し、故郷から無理やり連れてこられたそのメンタルを慰める救済措置のような存在』であったらしい。
もちろん、二回目の召喚の儀のときも、勇者のための天使は派遣されてきたという。
リリスを伴っての召喚の儀は成功し、異世界から強制的に転移された勇者がチイイダリムネ帝国の儀式の間に降臨した。
真知田 冴射。当時22歳。
そう。勇者として強制的に異世界転移させられた彼こそが、今日のシズカノクニの建国者、ザイなのである。
転移させられてすぐ、何が起きたのかまったく現状把握できていなかったザイは、魔術回路を通じてリリスとの契約を結んだことで、この世界やチイイダリムネ帝国についての知識がもたらされた。その知識の締めくくりには、”神々”代表の、こんな言葉が添えられていたという。
『急に拉致してきた形になって本当に申し訳ない。召喚の儀への許可を出してしまった側が言いにくいんだが…どう考えても地盤崩落と魔素浄化は、魔鉱脈を無理に掘り進めたその帝国の落ち度なんだよな。二回目の時(※百年以上前)にも注意しておいたはずなんだけど、体制は変わらなかったようだ。俺たちは自ら生み出した存在に甘いとはよく言われるが、今のそこの皇族がもし、君を搾取しようをする素振りを見せたなら、見捨てていい。君の最善を選んでくれ』
なお、この言葉は、ザイ本人がシズカノクニを建国した際に発表した暴露本からの抜粋である。
召喚以前にいいた世界において”レイワ”世代と呼ばれていた彼は、”神々”からの言葉や、召喚の儀を行った魔術師やホーク第二皇子との会話で、自身が搾取されると判断した。
数日後、軟禁されていた城内からリリスの力を借りて脱走する。
ザイは、宵闇の大陸を分断している渓谷まで逃げることに成功した。
『もうここまででいいよ。天界かな?天国かな?とにかく、元居た場所にお帰り』
『私は、君のための天使なんだよ、ザイ』
『…僕なんかと一緒にいなくていいよ』
『どうして?』
『僕、これまで居た場所では、結構気味悪がられていたんだ』
『まさか!どの辺が?』
『目がぎょろっとしてて、恐い、とか』
『そんなことないわ。綺麗な二重だし、ぱっちりしていて大きくて。眼力があるっていうのよ!ザイみたいな目は!』
『背が高くて威圧感があるらしいし…』
『安心感よ、安心感!手足だって長くてとっても素敵!』
『猫背気味なのも…』
『それは貴方が、自分より小さい人とお話しやすいように屈んでくれるからそうなるだけ。一人でいるときの猫背?リラックスしてて良いじゃない!気付いたときにちゃんと背筋を伸ばせばいいのよ!』
勇者のための天使は、文字通り、勇者のために存在する。
『リリスは…僕のことをなんだって良い方向に捉えてくれるんだね』
『だって、貴方の悪いところなんて、今のところ全然見当たらないもの!』
『そっか…うん』
『ザイは?!私に悪いところとか、気になるところとか』
『ない、ね。…じゃあ、僕と一緒にいてくれる?』
『ええ!ずっとずっと一緒にいるわ!』
『ありがとう…』
勇者と天使が逃げ出した。
帝国民に知られれば、暴動が起きかねない事態だ。
召喚の儀には大量の魔力を必要とする。それを補う用途の魔石やその効能に準ずるアイテムなどの購入費として国庫から投じられた額は莫大だった。
召喚の儀の主導者であったホーク第二皇子は、ブレーム皇帝から叱責を受けた。一時は、ザイとリリスの捜索と説得を、皇太子のサフィールへ任せる方向で話がまとまりかけたのだが、ホーク第二皇子の熱弁により、結局うやむやになってしまった。
彼は兄であるサフィール皇太子の座を、召喚の儀を成功させることによって奪おうと考えていた。だが、勇者たちの脱走という失敗を招いてしまったことで、彼は自身が地盤崩落補修と魔素浄化を成功させると大きく出た。
ブレーム皇帝はホーク第二皇子の言葉を受け入れはしたものの、裏でサフィール皇太子にはザイたちの捜索を命じていた。
自身が勇者としての務めを果たせば、帝国での英雄となり、皇太子の座が転がり込んでくる。そう考えたホーク第二皇子は思案を巡らせた。
この世界の住人にも、勇者の特殊な魔力を得る方法がないわけではなかった。
この世界では、死体の持っている魔力が魔素に触れればアンデッド化し、生きている者の脅威となる。それを防ぐために、死体の持っている魔力を奪うことができる魔術というものが存在する。本来は回収した魔術を魔石へ回収するものなのだが、急を要する場合は人間に移すことも可能だった。
魔力を人間に移す場合は、代償がある程度必要となる。それを補う素材を集めることも、皇族の立場であれば簡単だ。
勇者を殺し、自身がその魔力を手にして補修と浄化を行う役目を担えばいい。
だが、ザイがどれだけその特殊な魔力とやらを持っているのかが定かではない。そうなると、リリスの歌声と羽根は必要となってくるだろう。
勇者のための天使。
ホーク第二皇子は帝国内のすべての魔術師たちに、古い文献の天使に関する記述をすべて総ざらいさせた。
彼らからもたらされた情報を総括すると、勇者と契約した天使は勇者のためにしか動かない、との結論だった。
勇者と天使の契約は”神々”が介入しているために強固であり、召喚の儀によって勇者が異世界転移してきた瞬間に行われる。
『契約…魔獣調教師じゃあるまいし…契約…契約主だけの命令しか聞かない…絶対的な契約…契約…!!そうだ、自動人形があるじゃないか!!』
ホーク第二皇子の脳裏に、兄であるサフィール皇太子の箱庭に住んでいる美しい自動人形のことがよぎった。
クオレ一族製の自動人形もまた、魔術回路を通じて契約をしていたはずだ。
契約の書き換えの糸口があるのではないだろうか。
『クオレ一族は、今度はいつ森の外へ出る?』
三大大陸共通暦267年、秋。
その日は、サガが初めて森の外に出ることを許された日であった。
両親と共に帝都にある貴族のお得意様の元へ行き、壊れたパーツを交換するための仕事をする。
サガにとって初仕事からの帰り道、家族はホーク第二皇子個人が擁する騎士団に捕縛された。家族を人質にプシュケを呼び出し、自動人形の契約の書き換え方法を教えるよう恫喝することが目的だったようだ。
"神々"の創り出した天使の契約と、人間の創り出した自動人形の契約が同じようにいくわけがない、とプシュケは忠告したが、ホーク第二皇子は聞く耳を持たなかった。
なぜなら、プシュケが異世界転生者なのではないかという憶測は、古くからの文献に記されていたことだったからだ。
また、前世の記憶を持つ異世界転生者は"神々"から"特典"というギフトがもらえるものだ、というのが昔からのこの世界の認識だった。
彼は、プシュケの自動人形は、きっと"特典"で天使と同じ創り方をしているに違いない、と断じていた。
『私の創ったお人形さんたちは契約の書き換えを行った瞬間に自壊するわ。あの子たちは、みんな一代限りの契約なのだから。封入した人工精霊が悲しみで個を保てないのよ』
淡々と事実を告げる彼女に利用価値がないと判断したホーク第二皇子は、騎士団に命じて、家族を解放することなく彼らの命を奪おうとした。
サガの両親は咄嗟に、自身らを捕縛していた騎士たちの隙をつき、サガのみをプシュケへ託して殺された。一族を統べることになる継承者を喪うわけにはいかない。
『そんなに勇者や天使の力が必要なら、もう一度、召喚の儀でもなんでもすればいい!!』
この後に重なっていく悲劇を、間接的に生み出してしまった言葉。
幼いサガを連れたプシュケはそう吐き捨てながら、その場を脱した。