『赤夜光』
「どうぞソファへ」
「…」
美丈夫に促されるまま、男は応接用のソファへと座った。
精巧な細工の書き物机にぴったりの豪奢な椅子は車輪がついていて簡単に動かせるため、美丈夫は立ち上がると、それを引っ張って男の向かい側へやってきた。
男も身長は179センチと高い方だが、美丈夫の身長はさらに高い189センチ。
美丈夫が豪奢な椅子へ座り直し、長い足を組む動作はとても芝居がかっていて一瞬見とれてしまうほどだ。
「ようこそいらっしゃいました。当自動人形工房『人形の微睡』の主、シャヘル・クオレと申します。お客様のお名前をお聞かせください」
「…ミスティラポロ・ノイネーティクル」
「ミスティラポロ…ああ、もしかして貴方、私より三歳くらい年下ですかね」
「よくお分かりで」
シャヘルはミスティラポロの名を聞いて面白そうに口の両端を上げて笑っている。対し、ミスティラポロは嫌そうに顔をしかめた。
そんなやりとりに疑問符しか頭に浮かばないペリドットはきょとんとしている。
「????お父さま、なんでお名前だけで年齢が分かったんですか?この方、知り合いでもないですよね?」
「ああ、お前にはわからないだろうね。世代ネタ、というやつだ」
「世代ネタ?」
「私より三歳年下の世代が生まれた頃には、『神殺し』小説というものが流行っていてね。それに出てくる武器や単語を組み合わせた名前を子どもに付けるのが一部の層で流行っていたんだよ」
「んんん?よくわかりませんけど、ミスティラポロさんは、ミストだから霧とか??」
「いや、おそらくミストルテイン(神殺しの武器)とアポロ(太陽)を組み合わせた名前じゃないかな」
「つまり、お名前の意味合い的には、神殺しの太陽?」
シャヘルからの解説でペリドットが名前の意味に行きついた途端、
「ちょっと、やめてくんない?!かなり恥ずかしいんだよ、名前の由来!!」
と、ミスティラポロは顔を真っ赤にして叫んだ。
「え?なんで??なんかかっこよくないですか??」
いまいちぴんと来ていないペリドットがシャヘルを見やると、面白くてたまらない、といった表情で彼は笑っていた。
「ペリドット、それを言って喜んでくれるのは一部だけだよ。名付けた親とかね」
「へ??」
「まず、三大大陸共通言語じゃなくて、古代言語の単語からのめちゃくちゃな引用だから、公的機関からしてみたら、綴りは壊滅的で読み方も絶対そうは読まない音なんだ。各種教育機関や養成機関も頭を悩ませることになるから、色んな基準を設けて規制がかけられたくらいさ」
「へー…それでも、名付けに使おうとした人がいたんですね」
「ちなみに、そうした名前は由来になった小説から取って、『綺羅星ネーム』と呼ばれているよ」
「だから、いちいち解説すんなよ!!そういうの!!」
「そちらがうちに不法侵入してきたのでしょう。ノイネーティクルさん。物理的に滅多打ちにされないだけマシだと思いますが?」
「…」
親の若気の至りから付けられた名前とはいえ、一応、子どものためを思って付けたものではある。それをネタにされたミスティラポロは、シャヘルの歪んだ性格の一端に触れることになった。
それに実際、犯罪行為となるようなことをしたのは事実であるので、彼は何も言い返せない。
どうしても、ミスティラポロはシャヘルに問い質しておきたいことが山のようにあった。ここで、工房から追い出されるわけにはいかない。
「しかし、貴方に綺羅星ネームを恥じるだけの教養と学があって良かったと思います。たいてい、こちらの嫌味も理解できない綺羅星ネームの人間が大半ですから。そうしたことなども加味すると、あなたおそらく、単純な物盗りではない。最初から私に接触することが目的だったのではありませんか?」
「ははっ、回りくどい尋問の仕方をしやがる。確かに、俺はアンタに会いに来た」
ミスティラポロの射殺すような視線と、シャヘルの穏やかだがあまり良い感情を抱かない視線が交差する。
ここから先、この場所にいていいものか、ペリドットは分からなかった。シャヘルを見やったが、何も言ってこない。なので、おそらく、ここにいていいものとして、ペリドットは出入り口の横にある壁に体を預けて二人を眺めた。
「では、御用件をお聞きしましょう」
「軍の特殊部隊『星見人の百合』」
「…なんのことで?」
「????」
ペリドットはなんのことであるかさっぱりだったが、シャヘルの顔がぴくりと少し緊張したのだけはわかった。シャヘルはとぼけていたが、何かを隠そうとしている。
そもそも、アギオラブロの軍にそんな特殊部隊があるなど、聞いたこともない。
「310年、王都を中心に起こった『赤夜光』」
「…まぁ、かん口令にも限界はありますか」
「!」
ミスティラポロから『星見人の百合』と『赤夜光』という二つの単語を出されたシャヘルは、仕方ないという表情で肯定と取れるような言葉を発した。ミスティラポロのほうは確信があってここへ来ているため、目に少しの光が灯った。
「しかし…あの事件について知ってどうしたいのですか?」
「九割の私怨と一割の興味だ。あの現象が起こった当時、こっちは大事な人間を一人亡くしてる」
「なるほど。それで、事実を知るためにやってきた、と」
それだけなら、シャヘルとしても見過ごせるものがある。というか、そこで話が終わってくれるのなら、喜んですべて話しただろう。そのすべて、というのが、シャヘルにとって好都合な部分だけ、ということを除けば。
「いや、違う」
「違う?」
ミスティラポロの否定に、シャヘルの表情が微かに警戒の色を浮かべた。
「『赤夜光』の正体は、新種精霊だと聞いた」
「…はい、その通りです」
「その討伐のために、各種魔術師や自動人形を投入した特殊部隊『星見人の百合』が創設された。結果は、18体あった自動人形のうち、17体が『赤夜光』によって乗っ取られ、自動人形を指揮していた指揮官以外は全滅」
「よく調べたものです。そこまで知っていて、何故ここに来たのですか?情報を得るなら、国そのものや軍部のほうが早かったでしょうに」
「俺は『赤夜光』なんていう新種精霊がどうしてこの国だけに発生したのかを知りたい」
「!…へぇ」
シャヘルは一瞬だけ目を見張ったあと、低く感嘆したような声音を出した。けれども、それだけで、明確な答えをミスティラポロへ与える気はない。
「それを調べるためには、『赤夜光』を生きたまま捕獲して、国立精霊研究所に突き出す必要がある。アンタは『赤夜光』に対抗する手段を持ってるはずだ。だから、ここに来た」
「ふふふ。国立精霊研究所、ですか。…その様子だと、その対抗する手段とやらが、うちの自動人形であるとお考えなんでしょうね」
「現在は停職中の、特殊部隊『星見人の百合』指揮官、フリデリケ・リーリエ・ヴェストと、乗っ取りを回避した唯一の自動人形、ハーゼ。おそらく、一人と一体が契約関係だったことがそれぞれ生き残った要因だろう?」
「良くも悪くも頭が回る人ですね、貴方は。それを口外した覚えはありますか?」
「情報屋という職業柄、代価があれば話す機会もあるかもしれないですけどねー。ただ、俺は私怨に近い感情でこの件を追ってきたんで、誰にも言う気はありませんよ」
「…ふむ」
「口外することを防ぎたいってんであれば、それこそお願いを聞いてくんなきゃね」
「…ほう」
「俺にも契約できる自動人形を一体譲ってほしい。さっきも言った通り、『赤夜光』への対抗手段が欲しいんで」
「貴方に自動人形を…」
シャヘルはミスティラポロからの申出に、しばらく考え込んだ。
ペリドットはこれまでの二人のやり取りを見ていて、知らない情報での駆け引きがあったことについていけず、頭の中がくらくらした。
下手をすると、ミスティラポロのほうがシャヘルよりも口が回る。
それくらいでなければ、この人形工房にはたどり着かなかっただろうことくらい、彼らの会話から得た情報量で察することができた。
「そうですねぇ…。ペリドット。お前はどう思う?」
「え?!」
シャヘルから急に話しかけられたペリドットはギョッとした。
「現状、私がこの人に貸せる自動人形はお前しかいない」
「え?!え?!ボクがですか?!?!?!」
ペリドットの混乱と同時に、ミスティラポロもまた「は?」と困惑した声をあげた。