感触
こんなにきっちりと父の命令通りに何かをこなせたのは初めてな気がする。今日は、機嫌を損ねることも、怒られることもなく褒めてもらえるだろうか。
ここで何かをしくじるわけにはいかない。
「大地は割れ~♪永遠の夜~♪真夜中の太陽が~♪微睡を誘う~♪」
ペリドットは無意識のうちに歌を口ずさんでいた。世界樹の知識の断片から知ったその歌はどこの大陸のものだったかは定かではない。けれども、この歌が声帯を振るわせて出てくると、穏やかな闇が包み込んできてくれるような感覚して、とても落ち着くことができた。
その歌を聞いていた男は、どうにも出荷される家畜のような気分になり、微かに笑った。
「おいおい、この状況で歌うって…頭、ご機嫌さんかー?」
「!すいません。貴方を捕まえることで、お父さまのお役に立つことができたので、つい…」
「お父さま?アンタの親父さんがここで働いてんの?」
「はい!」
「へー。そういや、その親父さんとこに俺は連れて行かれるわけだよな?ってことは、警備室か何かあんの?この工房」
「?ボクのお父さまは警備の人じゃないですよ?」
「え?」
「ここの工房主さんです!!」
「は?あの人って、こんなデカい子どもいんの???結婚してるなんてどこの情報にもなかったな…」
「お父さまが結婚???なんのことですか???」
「え?だって、ここの工房主ってシャヘル・クオレだろ?」
「?そうですけど」
男はここに忍び込む際に、工房主のシャヘルの情報はすべて仕入れてきたつもりだ。
彼には一切、女の影はない。あるとすればそれは、彼の創作した『楽園シリーズ』と呼ばれている自動人形たちだけのはずだ。
「??」
「??」
噛み合うことなく、ただただ違和感がそこを支配する。
ペリドットがどんな表情でそれを話していたのかもわからない。男はペリドットがやけに綺麗な顔をしていることだけは認識できていたが、背丈や服装、声音から『声変わり前の少年』なのだろうと思い込んでいた。
だが、それにしてもこの異様な幼さが引っかかる。
男はどうにかペリドットの顔を見ようと体をよじる。だが、しっかりとホールドされていてうまくいかない。
「ちょっと、動かないでくださーい」
「くそ…っ」
ただ無駄に背筋を使ったあと、一気に脱力した。
ぽよん…
そのとき、彼の視界はペリドットの丸い尻でいっぱいになった。脱力した反動で、ペリドットのそこに顔をぶつける形となったからだが、想定外のその感触に、一瞬動揺する。
思わず、鷲掴みして確認したくなるのをこらえる。顔にぶつかったこの感触は張りがあるのに柔らかく、つい最近も楽しんだ感触とよく似ていた。
「だいたい、うちのお父さまは独身ですー」
「え、あ。そうだろうって…(は??は??こいつ、もしかして、男じゃなくて女??)」
「そうですよ。変なのー!」
「…(そーね、見事な安産型だね)」
ペリドットが無邪気に笑うのをよそに、男は自由になっているその両手でそっと、不自然さや不快感を与えないように、その太ももから腰までのラインを辿った。
ペリドットが少年であるならば、ありえないくらい、妙に触り慣れた感じのする曲線である。
「?くすぐらないでくださーい」
比較的『楽園シリーズ』の中では存在そのものが不安定であるため、普段からシャヘルに身体を触られ慣れているペリドットは、男のその触り方をくすぐったく感じたようだ。
ペリドットはシャヘルからの扱われ方に慣れているせいか、他者からの触られ方を理解していない節がある。
「ごめんごめん…(いや、やわらかっ!!腰細っ!!!)」
「謝ったからって、触り続けていいってことじゃないですからね??(もう動けるのか。でも、気絶させるだけの技術も無いんだよね。殺しちゃうかもしれないし)」
こうしてペリドットが男に警告したのは、触られたことへの不快感からではない。単純に、男が蹴りのダメージから回復して逃走を目論むことを警戒したからだった。
「…(あと二往復くらい…)」
「落っことしますよ?」
「はいはいはーい。やめまーす」
「まったくもう…」
もうあと一回くらい、事故を装ってこの極上の感触がする尻に顔を埋めることもできるのではないか。そう試みてはみたものの、男が動けるようになったことを警戒したペリドットが担ぎ方を変えたために、うまくいかなかった。
思わぬ欲の発露に、男の思考からはシャヘルのことを詮索しようとしていた大事な部分が抜け落ち、ペリドットの体の曲線やその柔らかさに対する疑問でいっぱいになってしまった。
かといって、直球にペリドットへ性別を問うのも、とある教えから憚られた。
いかんせん、この男、普段から要らん一言が多いのだ。
「ねーねー」
「なんですか?」
「名前教えて?」
名前からなら、どうにか性別が判別できるのではないか。
と咄嗟に思ってのことであったが、小麦粉袋担ぎされているこの状態と、何よりこの工房に忍び込んだ現行犯という状況で、工房主関係者の名前を聞こうとする彼の性根のすわり方は、少々異質である。
「え?ボクのですか?」
ペリドットも思わず確認を取ってしまう程度には、いきなりの問いかけだった。
「そ♪」
「嫌です。自分から名乗らない人に名乗るほど軽いお名前じゃないので」
「えー?」
「ボクのお家に無断で入ってきた不審者ですしね、貴方」
「まぁ、そーなんだけどさー。こうやっておとなしく連行されてるんだから、教えてくれてもいいじゃんよ」
ここの工房主との対峙の仕方次第では、今後ともここの工房関係者を騙したり、何かしらにつけ入ったりする必要もある。どうせなら、そうした相手は実益も兼ねて少しでも好みのタイプがいい。この際、性別不明なことはおいておく。男がそんな風に考えてしまう程度には、ペリドットへの興味が少々湧いていた。
「嫌です。お父さまにつけてもらった大事なお名前なので」
「冷たーい」
「どうとでも」
「ていうか、こっちって何もないはずだよね?なんでこんな場所通るわけ?」
いつの間にか、ペリドットは何も無い壁に向かって歩を進めていた。
そもそも男は、この工房の簡単な見取り図も、工房を出入りしている業者を買収して作ってあった。それと照らし合わせてみても、少々おかしいルート取りなのだ。
「随分とうちの工房の中に詳しいんですね」
「そりゃぁ、こんなとこ忍び込むくらいだもん。ちゃーんと下調べくらいはしてますって」
「お父さまに突き出すより先に、騎士団か自警団に突き出したほうが早い気がしてきました」
「うわー、どうせならやっぱりお前の親父さんに会わせてからにして」
「…もしかして、お父さまに会うことも目的でしたか?」
「…さぁ、どうだろうね?」
「むぅ…貴方はお父さまにとって危険人物であることは確かなようです」
ペリドットはそう言いながら、突き当りの壁の何か所かをこつこつとつま先で蹴った。
すると、壁は左右へ開いていき、通路が出来た。それを右に曲がり、階段を何十段も上がっていくと、五部屋はありそうな大きさに対して、一部屋分の扉しかないフロアへ到着した。
その扉をペリドットがノックする。
そこから「入りなさい」という低い声が聞こえてきて、ペリドットは男を担いだまま中へと入った。
「お父さま。お客様をお連れしました」
「ご苦労。下ろしてあげなさい」
「はい」
シャヘルの言う通りに、ペリドットは男をその場へ何の気遣いもなく放って落とした。
「ぃてっ?!」
咄嗟に受け身は取ったが、痛いことは痛い。
男は背中をさすりつつ立ち上がった。
部屋の奥には穏やかな微笑みを顔に貼り付けたような美丈夫が豪奢な椅子に座っている。辺りを見回してみると、ここは作業部屋兼応接室でもあるようだ。