接触
ペリドットがその身を転送した先は、『胡蝶の夢』と呼ばれている地下室へ続く通路だった。
(あの侵入者、見るからに胡散臭い…ていうか、お父さまが一番嫌ってる人種って感じ…)
まだ背後しか見えていないが、体躯はがっしりとしていて、きれいに筋肉がついている。一見、騎士団や自警団にもいそうな体格である。身なりは中流階級以下か、冒険者といった感じか。ただ、纏う雰囲気がどうしても堅気ではない。
「お客様。困ります。この先は当工房の一般人立ち入り禁止区域となっております」
「えー?そうなんですかー?」
やたら語尾の伸びたイラっとさせるような口調で、彼は振り向いた。
ペリドットが対峙している男は、年頃は二十代半ばかそれ以上。
眼光鋭い奥二重で、口元にはへらっとした笑みがあるが、それは片側の口角が上がっているだけで心の底からの笑みではない。
加えて彼は、つい先ほどペリドットがシャヘルから叱られたときにしていたような、気崩した服の着方をしている。というか、胸筋ががっつりと見えている時点で、この自動人形工房のお客にはなれない身なりだ。
けれども、意外なことに靴や履いている山鳩色のボトムスなどは上質で、稼ぎ自体は悪くないことを察することが出来る。
(…受付も何してるんだろう。こんな、明らかにお客さんじゃない人を見逃すなんて)
この『人形の微睡』は、侵入者をわかりやすく炙り出しするためにあえて警戒を薄くしている場所もあることは、ペリドットも知っている。
それでも、この男が簡単にここまで来ることが出来てしまうことが問題だ。
「受付でも案内図を配布しておりますし、看板も出してあったかと思います」
「はははっ。えっとー…ごめーん。道、間違えちゃってさー」
「…ここまで来てそんな言い訳が罷り通ると思いますか?」
「いやー…ははははははは」
「笑ってごまかせるような状態でもないですよ?」
じりじりとペリドットは男へ近づいていく。けれども男は来た道を戻らず、そのまま『胡蝶の夢』と呼ばれている部屋への道を行こうとする。
(はぁ?この状況で『胡蝶の夢』の中を見に行こうとしてるの?!)
ペリドットが警戒しながら、さらに近づくと、男は『胡蝶の夢』の部屋の大きな扉を開閉するための装置まで駆け出した。
「!!急加速!!」
ペリドットの黄緑色の瞳が一瞬で黄色に変化した。その変化と共に、その脚力と瞬発力が上がり、一気に男との間合いを詰める。
その人ならざる速度は、自動人形由来のモノ。11体ある『楽園シリーズ』のうちの1体、ヘリオドールが持つ速度だった。
ペリドットは『楽園シリーズ』の全素体情報から、戦闘能力や特殊能力を抽出したモノを組み込まれている。一見すると、最強のようにも思えるが、それは扱えてこその話だ。
急加速を制御できるほど、ペリドットは使い慣れているわけではない。
むしろ、たった今初めて使った能力だ。
メシャァッ…
「え…?!」
「あぁあああああ!!やっちゃった!!」
男が触れようとしていた開閉用装置の真上に手をついてしまい、勢いで壁に穴を開け、大きな罅を作ってしまった。
これで開閉装置が故障していたならば、ペリドットはシャヘルからどれだけ怒られることだろう。それを思うと、ペリドットの目にはじわじわと涙が浮かんできそうだった。
「やべぇ」
男はペリドットの様子に気付けるわけもなく、穴と罅割れができた壁とペリドットを交互に見やっている。そんな悠長な態度に、ペリドットはぽこぽこと怒り出した。
「もぉおおおお!!貴方のせいだからね!!!」
「いや、自分じゃん、これやっちゃったの」
「貴方がこの中に入ろうとするからでしょう!?」
「だって、ここに目的があるんだもーん」
相手と『胡蝶の夢』の扉の間に無理やり身体をねじ込んだせいで、男の顔が至近距離にある。
こういう不意討ちには慣れているのだろうか。ペリドットがヒビを入れた壁には驚いたようではあったが、すぐにちゃらけた態度で対応してくる。
しかし、最初の印象通り、こちらを見据えてくる意地悪な狐のような目は、殺し屋のようなぎらりとした圧を持っている。よくよく見れば、彼の瞳孔も狐のように縦に細長いスリットのようだ。
そして、口の端をにやりと上げているせいで、片側の頬だけに浮かぶ人懐っこそうな笑いジワ。
やっぱり、物語の中によく登場する意地悪な狐ではないだろうか、とペリドットは思った。
「駄目です。おとなしくついてきてください」
「んー。連れて行かれる先にもよるかなー?…あ!!おーい!こっちこっち!!」
「え?…?!」
男が誰かに手を振っているような素振りを見せたため、ペリドットはその先を視線で追う。
その瞬間、ペリドットの頭と視界が揺れた。同時に、身体が固い壁に叩きつけられた衝撃。どうやら、筋肉のついたあの丸太のような脚から、思い切り蹴りを貰ってしまったらしい。
シャヘルがペリドットを頑丈な素材で組み上げていなければ、ボディの脇腹が粉砕されていたことだろう。
(人間なのに、なかなかいい蹴りしてる…)
ペリドットは何故か、背筋にゾクッと走るような甘さを感じた。
その間に、男は逃走を図ってペリドットに背を向けている。『胡蝶の夢』の中に入ることを諦めたようだが、ここで逃がしてしまっても、またこの場所へやって来ることは確実だろう。
ならば、シャヘルの命令通りに彼を連れていき、その目的を吐かせなければならない。もしかすると、この男に命令しているような雇い主がいるのかもしれない。
シャヘルなら連行するためにある程度この男にダメージを与えても、問題視はしないはずだ。
「多少手荒になりますが…お父さまの元までついてきていただきます!!!」
二度目のヘリオドールの急加速能力の発動は、比較的うまく制御できた。
男の前へ回り込み、その腹筋に目がけてアリス・ゴーシェの体術能力を発動させた蹴りを入れる。ペリドットを蹴ってきたのは男のほうが先であるため、これは正当防衛と仕返しを兼ねている。
「かは…っ」
「やったー。おとなしくなったー♪」
ペリドットは、苦痛で藻掻いている男の周りを踊るようにくるくると回った。初めて狩りで獲物を仕留めた子どものようなテンションの高さである。
「いやいや…死ぬって…」
「お話できてるからセーフです。…よいしょ!!」
「?!」
長身で筋肉のある男の体を抱えるのは、少々かさばって面倒だ。ペリドットは小麦袋を担ぐような体勢で彼を持ち上げた。
逃走を図られると厄介なので、男の脚をしっかりと両腕で固定する。そのため、男はペリドットの背面に顔をくっつけるような状態になった。
彼の両手は自由だが、腹筋に入れられた蹴りのダメージが抜けきらず、まだ動くことができない。
「一名様、ご案内♪」
(チッ…こんなひょろっこいのに簡単に捕まるとか、俺の腕も落ちたもんだ…)
この時点で、男はペリドットの正体が自動人形であるということにはまったく気付いていなかった。