ニマエヴとクオレ一族
数多の物語を終えたその世界に、再び新たな物語が始まろうとしている。
その世界の通称、ニマエヴ。”神々”より割り振られた正式な世界識別コードはnimanima everyday。
老若男女人間人外動物あらゆる種族が住み、魔法や魔力が常識化した世界である。
地域ごとに色彩の異なる海々が半分以上を占め、それ以外には黎明の大陸、白昼の大陸、宵闇の大陸という三つ大陸と、いくつかの小さな島国が点在する。
中でも宵闇の大陸は、ほかの土地とは異なった特徴を持つ。魔獣や魔物が出没する渓谷がその大地を二つに分断している。渓谷に分けられた大地の広さはざっくりと、三分の二と三分の一。
大陸の三分の二にあたるのは、通称『魔界』と呼称されるシズカノクニ。
元々この地には魔力が豊富に含有した魔鉱石と呼ばれる鉱石が産出していた。その採掘によって地脈が乱れたことで起きた地盤大崩落により、一つ下の空間層へと国土全体がめり込んでおり、魔素というガス状の物質がそこかしこに噴出する。
魔素は、この世界における通常の生物には極めて有害であり、シズカノクニに入りその空気を吸い込んだだけで死に至るといわれている。
一方、三分の一にあたる国ミクスボウルには通常の生物が住むことが可能で、シズカノクニの魔素や魔獣たちが渓谷を越えた場合に対処するための防衛拠点のような国だ。
二つの大陸や島国から派遣された騎士団や冒険者たちのための国とも言える。
その特殊性ゆえにシズカノクニが警戒される対象となっているわけだが、魔王と渾名されているシズカノクニの王・ザイは他の大陸の国々に対して『不戦』を宣言しており、積極的に領域侵害することはないと約束している。
そもそも、この二国が建国された経緯も特殊だ。
三大大陸共通暦316年である現在から46年前。
シズカノクニとミクスボウルの前身であるチイイダリムネ帝国で、一人の女性が亡くなった。
稀代の自動人形師、プシュケ・クオレ。享年は不明。
数百年以上生きてきて、いつしか年齢を数えるのを忘れていたからだという。彼女は三大大陸共通暦すら、意味が無くなるほど長く生きていた。
公的な記録によるものの記述ではないが、彼女には前世の記憶があり、前世ではニマエヴではない異世界の人間として生きていたという。
そして、異世界で生きていたときにも、ドールデザイナーとして生計を立てていたらしい。
今世でも人形師となった彼女の創り出した自動人形は、多くの人間を魅了し、時には破滅すらさせた。
プシュケ・クオレという自動人形師の作品は、ただ、美しいというだけではなかった。人工精霊というエネルギー体を人形の中に閉じ込めることで自動的に動き、契約をすれば誰でも使役することが可能だった。
加えて、現在でも目を見張るほどの技術がふんだんに使われた数々のパーツは、球体関節以外はほぼ人間と見間違えるほどの人形を実現可能にした。
特筆すべきは、生物すべてが持っている魔術回路を有していた点だ。これがあるからこそ、彼女の人形は生物と同じように”生き”ていた。
それ故にプシュケの自動人形は、一部の人間からすれば破滅してでも手に入れたいほどの価値があったのである。
そんな自動人形の創造者であるプシュケは、『美容整形ガチ課金勢』、『人工精霊創造』、『状態保存』という特殊なスキルを持っていた。
スキルとは、ニマエヴの世界に生まれ落ちた者なら誰にでも一つは付与されている固有の能力のことで、向き不向きはあれ、訓練などを積むことで後天的にも何らかのスキルを増やすことや進化させていくことが可能のもの。
例で加工系スキル名を挙げるとすれば『大工』『宝石工』『刀匠』などなど簡潔な名称が出てくるものだ。
そうした点からしても、プシュケのスキルは名称からしても本当に特殊だった。
彼女は前世でのとある出来事とトラウマから、自身の作品である人形たちの理想美と同等の美しさを自らに求めていたとされる。
そのことが関係したのか、『美容整形ガチ課金勢』のスキルによってパーツの改良を重ねた結果、人形の美しさは桁外れのものとなった。
さらにプシュケは自動人形を創り出す過程で、生物の持つ魔術回路と呼ばれる目には見えない器官に着目した。
ニマエヴの世界における医学的知識になるのだが、この回路が欠損したり、何らかの要因が入りこんだりすることで、生物は病気になる。そうした場合、治療として必要となってくるのが、治癒術や回復魔術だ。
治癒術や回復魔術は文字通り、生物を怪我や病気の状態から回復させる魔術のことだ。これらの魔術はこの魔術回路に作用するからこそ効果が有り、場合によっては、身体から失われた部分を再生させることも理論上は可能なわけだ。
また、治癒術、回復魔術や魔法薬学の研究で、「生物の魔術回路はその魂と繋がっている」ということが証明され、各論文でも発表されていた。
『つまり、仮の魂と仮の魔術回路を人形に封入すれば、私のお人形さんたちは生物と同等に”生きる”ことができる…?』
彼女には、その閃きを実現させることができる『人工精霊創造』と『状態保存』のスキルがあった。
プシュケ・クオレの自動人形はそれらを組み合わせて出来上がった。
彼女が自動人形の声をカスタマイズする“人工声帯”を創り出したのは、それから少ししてのことで、この人工声帯の技術は声を失った人間にも応用されるようになった。これは、画期的な発明で、医学的な価値も高く、副収入の枠組みからはずれるほど莫大なお金になったという。
けれども、彼女がそれだけで満足するわけもなかった。
先にも述べたように、彼女は自身にも、彼女の作品と同等の美を求めていた。
あるとき、彼女の三つのスキルの内の一つである『状態保存』が突然変異を起こした。
『転魂魔術』
それは、彼女の創った人形に本物の生物の魂を封入できるスキル。
プシュケ・クオレの容姿や声はその頃から、文献によってばらばらで一貫性のないものとなっていく。
彼女は元々の肉体を捨て、その日の気分で自身の作品へ自らの魂を封入し、容姿や声、性別までも変えるようになった。
さらに言えば、寿命は長命種といわれているエルフよりも短いものだが、実質的な不老だ。実際、彼女は数百年生きたという事実がある。
あらゆる時代でそのときの権力者たちが、彼女のスキルや技術を欲しがった。『スキル譲渡』のレアスキルを持つ者がいれば、それもまた可能となってしまう場合がある。
一度、そのレアスキルを持つ者に襲撃されたことで身の危険を感じたプシュケは帝都の人形工房を畳んだ。彼女は”静の森”というチイイダリムネ帝国の外れにある森へ、彼女の一族と共に移住した。
彼女の一族というのは、プシュケ直系のクオレ一族のことだ。
プシュケにまだ本来の肉体があった頃、狼の獣人と結婚し、三人の息子を産んでいた。そこから数百年かけて派生した一族だ。
まだ魔素の噴出が珍しかった頃のことで、この静の森には魔素が噴出する箇所が多く存在した。プシュケは人形の身体、獣人は魔素への耐性があるからこその移住先だった。
クオレ一族は、移住したからといって完全に帝都との繋がりを切ったわけではなく、自動人形の販売は続けていた。度々静の森から出てくることもあったが、そのときには厳重以上の準備をしての外出になった。
ここからしばらく、プシュケやクオレ一族の名前は歴史書の中から消える。
次にプシュケの名前が現れるのは、三大大陸共通暦261年、冬のこと。この頃、クオレ一族に一人の男子が誕生した。
サガ・クオレ。
血筋としては、プシュケの産んだ次男の末裔に当たる。
彼は生まれながらにしてその異能を発揮してみせ、プシュケの技術とスキル、魔術の継承者として一族全体から育てられた。
子孫に対しての情が厚いプシュケではあったが、サガの誕生には何やら複雑な念を抱いていて距離を取りがちであったという。