シャフラワース家
その日の夜。
寝る前にシャワーを浴びて自分の私室へ戻ったシャヘルは、窓の外に覚えのある光を見た気がして、そちらを見やった。
「あれは…パパが逃がしたのか…」
あの11体の新種精霊が工房の庭を浮遊している。
濡れた髪をほったらかしにしたまま、窓を開けた。それから、散り散りにどこかへ飛び去ろうとしている精霊たちすべてを包むくらい大きな光属性魔法の網を投げて捕まえた。
「試すってことか…僕を…」
その日からシャヘルはその11体の新種精霊たちの研究を始め、『死を喰らう太陽』が何故できたのかについての検証を行った。
数か月が経過し、再現性が取れる頃には、その11体の新種精霊たちは更なる進化を遂げていた。
その過程で解ったことがある。
(変質した11体の新種精霊たちは『誰かの願いを叶える代わりに絶望を与えようとする』ということ…精霊の『誰かの小さな願いを叶える力』と魔術回路に使用された人工精霊の『不完全さ』が反発することで、そうした特性を持ったようだな。おそらく、『死を喰らう太陽』を用いた少女自動人形が、モルフェームの目の前で自壊したのは、母親になってほしいという彼の願いを了承することで叶え、代わりに自壊して絶望を与えたためにああした結果になったのだろう)
しかし、疑問点もまだまだ多い。
(どうして、『死を喰らう太陽』は絶望したモルフェームに寄生したのか…元々の性質だというのなら、この11体の内のどれも、僕やパパに寄生できなかったんだ?)
光の鳥籠を眺めながら、シャヘルはふと自身の手の指先を見やった。そこには、『誰かの願いを叶える代わりに絶望を与えようとする』という法則性を見つけるためにやった実験ついてしまった怪我がある。
彼は本当に小さな願いだけを新種精霊たちに願い、それを叶えさせては小さな傷を作った。思えば、そうしてつけられた傷は人形創作をする上で大事な手指に集中していた。シャヘルにとっての絶望は、人形創作ができなくなることだ。そこで、彼は新種精霊たちがシャヘルを絶望させようとしている、ということに気付いたわけだ。
(絶望をトリガーにして、寄生する、ということか。だとしたら、尚更モルフェームの今後の動向を知らないと…)
シャヘルは光の鳥籠を影の中へ隠すと、仕事部屋を出た。
「シャヘル。どこへ行く?」
「…どこだっていいでしょう?何、パパ」
「今日はお前に紹介したい人がいると言っていただろう?」
「ああ…そんなことも言ってたっけ」
「早く支度しなさい」
「…わかったよ」
どうせ、モルフェームの動向を調べようにも、シャヘルにはまだ伝手らしい伝手がない。すべて工房主であるサガに握られているからだ。
15歳で独立するか、この工房を継ぐかしなければ、実質的な伝手は得られない。独立しようにも、まだあと二年もあるのだ。
おとなしく引き下がったシャヘルは、私室へ戻ると、質素な工房着を脱いだ。それから、少し豪奢なレースのついた真っ白なワイシャツを着て、首元で黒いベルベットのリボンタイを結ぶ。下はリボンタイと同じ質感の黒い長ズボンだ。そして、それと対になっている黒いジャケットを腕にかけて、父親の元へ向かった。
サガもまたシャヘルと似たようなよそ行きの装いで待っていた。どういうわけか、今回は母も行くらしく、こちらは上品な深い青色をした細身のドレスを着ている。
「どこへ行くの?」
両親が1番街の道を、腕を絡ませて歩き始めたので、その背中に問いかける。
「国立治癒魔法魔術院の隣にある白光会館だ」
父はちらりとシャヘルへ視線を寄こしたが、すぐに前を向いて行き先を述べた。
「なんでまた」
「うちの人造パーツの商談だ」
「ママも連れて?」
「ママだってお洒落して出かける権利はあるぞ」
「そりゃあね。うちのママは三大大陸一、綺麗だもの」
「同感だ」
この父と息子、母に対しての愛情と評価だけは異常なほどに一致していた。ここだけの会話を切り取れば、とてつもなく仲のいい家族に見えることだろう。
馬車を使うほどの距離でもなく、真っ白な壁が示す通りの名を持つ白光会館に着いたクオレ家は、豪奢な机やソファのある応接室に通された。
そこには先客がいて、治癒術師と分かるデザインの白基調に金色刺繍のローブを着た紳士と、ふわふわした向日葵の花弁色のドレスを真っ白なピナフォアで覆ったものを着ている少女が座っていた。
「どうも、クオレさん」
「どうも、シャフラワースさん」
治癒術師の男性は立ち上がると、サガに握手を求め、サガもまたそれに応じた。
「本日はようこそお越しくださいました」
「いえ、今日は息子のシャヘルを連れてきましてね」
「ああ!!この子が当代きっての天才自動人形師!!」
なんだかとても居心地が悪い。
シャヘルはそこそこの愛想笑いを浮かべて、男…ミッテン・シャフラワースに挨拶をした。ミッテンとの挨拶が終わると、そこにいる者たちの視線は向日葵の花弁色のドレスの少女へ向けられた。
年はシャヘルとそんなに離れていないだろう。
目元は丸くて可愛らしい二重だ。瞳の色は宝石のペリドットのような黄緑色とグレナーデンカラーが混ざり合う寸前のような不思議な色彩だ。鼻筋は通っているが柔らかな曲線で優しげな印象がある。顔の造形以外、つまり、色彩は父親のミッテン譲りだ。
(あ…)
目の色がグレナーデンカラー混じりであることにも引っかかっていたが、少女のふっくらした唇が、どこかモルフェームのあの色気のある唇と似ている気がした。そして、そう思ってしまった自分がなんだか嫌になったシャヘルは父親を見上げる。
「もしかして、見合いでもさせる気?」
「そんなわけあるか。第一、シャフラワースさんがそんなこと許さないだろうよ。ねぇ?」
「はっはっはっは…面白い冗談を言う息子さんだ。さぁ、アリス。シャヘルくんにご挨拶をしなさい」
「はい、お父さま」
ミッテンの言う通りに前へ出てきたアリスは可愛らしいカーテシーを披露した。
「アリス・シャフラワースと申します。今年で13歳になります」