専門スキルが無くとも
「これが人形の軸になる土台。ここに、足りないと思うパーツをこの粘土で重ねて…そう。そうしたら、このヘラで修正していってみて」
「わかった」
モルフェームはしばらく、シャヘルが話しかけたり助言をしたりすれば返事をしていたが、やがてそれも作業に没頭していくと、だんまりとして静かに手を動かすようになった。
それを見てシャヘルは、その隣で同じように他のパーツを創り始めた。
シャヘルの仕事部屋には、深い静寂が訪れた。
「シャヘル!シャヘル!」
どのくらい時間が経過していたのだろう。
母がシャヘルの名を呼んだ。
「なに?!ママ!!」
「もうお夕飯の時間よ。モルフェームくんは帰ったの?」
「「え?!」」
シャヘルとモルフェームが窓を見やると、空は夕焼けで真っ赤に染まっていた。
「どうしよう。まだ途中なのに…」
「原型に使っているのは特殊な粘土だし、心配ならこっちの水魔法がかかっている布巾を被せておけばいいよ。それよりも、おか…お父さんが心配するよ。早くお帰り」
シャヘルとしては、思っていたよりもモルフェームと長い時間を過ごしていたため、内心困惑でいっぱいだった。うっかり、モルフェームに「お母さんが心配する」と言ってしまいそうになったが、シャヘルは子どもらしからぬ気遣いができる。ちゃんと「お父さん」に言い換えて、帰宅を促した。
「…心配…してくれるのかな…」
「え?」
モルフェームは二重のぱっちりとした目をしている。眼孔にはめ込まれたグレナーデンカラーの瞳は、光を受けていつも透き通ったように見えている。
だが、父親のことをほんの少しだけ話の中に出した瞬間、彼の瞳からは光が消えて、ゾッとするほどの変わりようで濁った。
そして、少年にしては色気のある唇が吐息で微かに震えていた。
(…ああ、なんて…)
シャヘルの心の中に、一粒の種が落っこちた。
その種は、心の中を深く深く潜っていき、下へ下へと根を張った。
「んーん、なんでもない!」
「…」
モルフェームの瞳に光が宿ったのを見ても、シャヘルはまだよくわからない衝動に困惑し、ぼーっとしたままだった。
「今日はありがとう、シャヘルおにいちゃん。また明日来てもいい?」
「!あ、うん。いいよ」
意識の切り替えがうまくいかないところに、モルフェームがするりと明日の約束を滑り込ませてきたものだから、咄嗟に了承してしまっていた。
「ありがとう!じゃあ、また明日!!」
「…また明日」
シャヘルの仕事部屋を駆け足で出て行く音を、彼は額に右手をかざしながら聞いた。モルフェームは、今まで出会ったことのある人間たちとは、まるで比較にならないほど居心地の良い少年だった。
「おじゃましました!」
そう言って工房から帰ろうとするモルフェームを、サガが「待ちなさい」と呼び止めた。
「?はい」
「もう暗くなっている。送っていこう」
「え?あの…」
モルフェームはサガを見て、(最近どこかで会ったことがあるような…)と思い出そうとしたが、サガはそれを遮るように言葉を重ねた。
「シャヘルの父だ。サガ・クオレという」
「シャヘルおにいちゃんのお父さん…よろしくおねがいします」
断るような申出ではないし、むしろ、この辺りは夕方から夜にかけては少々治安が悪化しやすい。ありがたいことだとモルフェームはサガと共に2番街にある自宅に向かって歩き始めた。
シャヘルはモルフェームをサガが送って行ったことには気づかないまま、夕飯を食べる前に、仕事部屋の片づけを始めた。
自分やモルフェームが人形の顔パーツの造型に使った道具は一旦水に浸けておく。それ以外は、全て元の場所へと戻し、ゴミをひとまとめにしておく。
「…そういえば、あいつ、どこまで進めてるんだ?」
モルフェームの創っている顔パーツの原型が気になったシャヘルは、創りかけのそれに被せられた布巾をそっと取り払った。
「!!!」
言葉も無かった。
出来が酷かったわけではない。
逆だ。
今にも優しくシャヘルへ微笑みかけてきそうな目元や口元。
儚い花の命を思わせる頬。
滑らかな額とすぅっと通った鼻筋。
どこかシャヘルの母親であるチェリスを思い出させるが、別にチェリスをモデルにしているわけではない。
これは、全ての母親だ。
どれをとっても、そこに存在するのは、慈悲の理想美。
これほどまでのモノを、モルフェームは「途中」だと言っていなかったか。
「…ぅ」
頭ががんがんと痛みを覚えた。
こんな造型は見たことがない。
シャヘルの造型と比較して、まだ粗の多いものではあるが、それすらも作品としての完璧さを与えている。
「こんな…こんな…っ」
思わず、モルフェームの造型を叩き落とそうとして、やめた。
まだ12歳のシャヘルだが、自動人形師である前に、人形師としてのプライドがある。
そっと、また布巾を被せて見えないようにした。
悔しかった。
ただ、それだけだ。
『あれは、私にとって父との決定的な断絶をするのに充分な一打だった』
『モルフェームと私の出会いは、仕組まれていたのだよ。父、サガ・クオレに』
後年、その頃の出来事を振り返ったシャヘルは誰かに向けて、そう語った。
『モルフェームには、悪意など一切含まれない純粋なものだった。だからこそ、よりいっそう私にとって凶器のような殺傷性を帯びていた。身体を傷つけるわけじゃない。そう。私の心が、魂が、今にも息絶えそうな痛みを覚えたんだ』
シャヘルは、バクバクと鳴る心臓を押さえつけて、平静を装って夕飯の支度ができているリビングへと向かった。
「遅いわー。冷めちゃうじゃない」
「ごめん。片付けしてたんだ」
「まぁ、いいわ。パパもモルフェームくんを送って行ったから、まだ帰ってこないし」
「…そうなんだ」
無理やり胃の中へ流し込むように夕飯を食べ終えたシャヘルは、また仕事部屋へと向かった。
その日、サガが帰ってきたのは、シャヘルやチェリスの思っていたよりも三時間ほど遅い時間だった。
「サガ、どうしたの?とっても遅かったじゃない」
「ああ、モルフェームくんがね、生まれたときに教会でスキル判定を行っていなかったらしくてね。頼まれて身元保証人として一緒に教会へ行ってきたんだ」
「まぁ、スキル判定を?なんでトリュースさんはこれまでモルフェームくんにさせなかったのかしら。将来を左右するかもしれない大事なことなのに」
「家の事情というものあるんだろうか。私たちには口を挟めないことだね」
「でも、よかったわ。お役に立てたみたいね」
「…」
帰宅した両親の会話を、シャヘルは気づかれないように盗み聞きしていた。
サガがモルフェームを教会へ連れて行き、スキル判定を行ったことは、チェリスにはサガの親切心からくる行動に映っていることだろう。
だが、シャヘルはあの作品を見た後では、どうも何か引っかかるものがあった。
「しかし、あのキヨル・トリュースさんの息子だろう?てっきり物凄い学術系スキルが出てくるのかと思ったら、『薬草学』の一つだけが、ぽんと表示されてね。彼の将来は薬屋か、薬草学の研究者か…そういう道に進むのが生きやすいのかもしれないね」
「そうね、トリュースさんみたいになるよりは、マシかもしれないわ」
「『薬草学』のスキルだけ…?嘘だろう…?」
純粋にショックだった。
あの作品を創り出したモルフェームが職人系のスキルを一切持っていないということに。
あれは、スキルの力に頼らない、モルフェーム自身の腕前なのだ。