モルフェーム・トリュース
「なるほど…うまくいかないものだな」
シャヘルの研究が始まってから二年。
彼は創り出した人工精霊を魔術回路へ変換することに成功したが、それを仮組みした自動人形の素体へ組み込もうとすると、その素体は動き出した瞬間に自壊して粉々になってしまった。人工精霊の力自体が強力だったようで、魔術回路へと合成することによってさらにその力は強くなってしまうようだった。
「お菓子はお菓子屋って言うし…精霊のことは精霊そのものに丸投げしても良さそうか」
シャヘルは深夜に人形工房から抜け出すと、人工精霊から合成した魔術回路の試作品を持って出かけた。彼は試作品に魔力を込めると、こともあろうに、アギオラブロ王国国立精霊研究所に忍び込み、精霊が生息している庭が造園してある研究室の一角へ放置した。
この庭を管理していたのは、研究用精霊管理部責任者キヨル・トリュースという男だ。精霊が稀に自然界で引き起こす災害『精霊風』の研究の第一人者で、新たな精霊風のメカニズムを調べるために精霊をこの庭に集めていた。
「…なんだ、これは」
翌朝、キヨルは研究室に出勤してみて仰天した。ここで管理していた精霊たち、28体がすべて、異様な変化を遂げていたのだ。
シャヘルが放した魔術回路が精霊に何らかの変異を与えたのか、はたまたその逆か。
この施設に侵入者があったことにも、シャヘルのしたことに気付いていないキヨルは大いに焦った。彼は精霊風のメカニズムを調べるため、倫理的な範囲内であるとはいえ、何度も精霊に対して危険な実験を繰り返していたからである。
「あの実験のいずれかが作用してしまったというのか」
彼は、精霊たちの変化を自身の実験のせいであると勘違いしてしまったのだ。
変化した新種精霊たちは、庭に生えていた植物たちを“分解”し、美しかったその場所を枯らしてしまっていた。
それは、新種精霊たちが魔物や魔獣などの類に変化したようにも見えた。
「隔離しなければ…!!」
キヨルはそこにいた全ての変質した精霊たちを一旦捕獲しようとした。この庭は、精霊が集まりやすい環境になっていて、入ってきた精霊は闇魔法で外に出られなくなる仕組みとなっている。捕まえるのも、いつもと同じように、闇魔法で縛れば簡単なはずだった。
だが、精霊たちはその気配に気付くと、キヨルが放った捕獲用の闇魔法の魔力をすべて取り込んだ挙句、外に出られないはずの仕組みを越えて逃げ出した。
「ああ、なんてことだ!私はなんてものを生み出してしまったのか」
枯れた庭に膝をついたキヨルは、頭を抱えながら、だらだらとした冷や汗が背を流れていくのを感じていた。
「…そうだ!庭!庭だけでも元に…」
辺りを見回し、庭の状態を調べる。幸い、根までは枯れていない。それに、目撃者もいない。
彼は考えに考えた結果、一度その庭のある研究室に立ち入り禁止の魔法と鍵をかけた。それから一度帰宅して、自身の6歳の息子、モルフェーム・トリュースを連れて研究室に戻った。
「フェーム、父さんの仕事を手伝ってみないか?」
「おてつだい?」
モルフェームは久しぶりに構ってきて愛称を呼んできたキヨルを怪訝そうに見上げた。このキヨルという男は、研究者としては一流であったが、一般的な良き父親像とはかけ離れた人物であった。
もっともモルフェームの母親も似たようなもので、キヨルと共に精霊研究に没頭するあまり、腹が大きくなるまでモルフェームを妊娠したことに気付かなかった。
その上、長年、治癒術師が行っている健康診断もまともに受けてこなかったために、子宮にできた腫瘍が治しきれない大きさにまで成長してしまっていた。
彼女は途中で妊娠には気がついたものの、あまりにも異様に膨らんだその腹に対して「てっきり双子が生まれるのかと思っていた」とのたまったらしい。
それだけ、モルフェームの母親は研究に夢中となり、モルフェームの命か自身の命かを選択することも許されない状態になるまで放置していたということだ。
研究馬鹿という言葉では括ることができないほどの愚かだったが、そうした性質なだけあって、とても優秀であったことが厄介でしかなかった。
紆余曲折あって、モルフェームは母の命と引き換えに、この世界に誕生した。
父親の心当たりはキヨル以外に考えられなかったため、なし崩し的にキヨルがモルフェームを育てることになった。そう、キヨルとモルフェームの母親は結婚していなかったのだ。
「フェームはお母さん譲りの光属性を持っているだろう?その光属性の魔法の一種、治癒魔法をこの庭にかけてほしいんだ」
今までに無いくらい甘やかすようなキヨルの声音に、モルフェームは少しだけ顔をしかめたあと、庭にぱっちりとした二重まぶたの目を向けた。
モルフェームの目の色はクリアなグレナーデンカラーをしていて、ミルク多めのホットチョコレートを思わせる髪色と相まって、少年であるのに少女のような愛らしさを持たせていた。この色彩はモルフェームの母親の色彩だ。キヨルの目は榛色で、髪色はこげ茶色と地味なもの。
明らかにモルフェームは母親似なのだが、黙り込んでしかめた表情を作ると、途端にキヨルそっくりな表情を見せる。
それゆえに、死の床につきかけているモルフェームの母親から認知を求められた際、キヨルは父親であることも否定できなかったわけだが。
「治癒魔法のしかた、わからないよ?」
「簡単だ。元に戻れ、と念じればいいんだ」
「そうなの?」
「フェームのお母さんが言っていたから、間違いはないはずだ」
「…わかった。やってみる」
そんなアバウトな方法で治癒魔法ができるわけもない。治癒魔法は治癒術師の元で充分な知識を習得した上で、使えるようになるまで師匠にあたる人間につきっきりで練習する必要がある。
キヨルは光属性の魔力でこの庭の回復を図りたかっただけであり、その方法はどうでもよかったのだった。
父親に言われるがまま、モルフェームはたどたどしい手つきで庭へ光属性の魔力を注ぎ込むと、それと同時に、ぱったりと倒れ込んでしまった。
キヨルは倒れかけたモルフェームの身体を抱えることもせずに、地面にその身体がぶつかるのを悠長に眺めていた。
「フェーム?!」
「…」
まだ魔法の勉強すらしていない6歳児に無茶ぶりをしたことすら気付いていなかったのだろう。心配こそしているものの、その理由は息子の体調というより他にあるはずで、子どもを育てるという点に関しては、壊滅的にセンスが無い。
庭は回復したが、キヨルは慌てて息子を抱えてまた帰宅した。
それから、モルフェームをベッドへ寝かせたあとは研究室へ再び戻り、また新種精霊たちが集まってくるように庭の調整を行った。
逃げ出した新種精霊たちの行方が気になりはしたものの、精霊らしからぬ行動をしたあの存在たちだ。魔物や魔獣の類だと考えられて騎士団や自警団に討伐されて、上手く行けば始末される可能性もある。
何も起こるわけがない。大丈夫だ。キヨルは自分自身に言い聞かせた。
その日の日誌には虚偽を記載し、彼が帰宅したのは真夜中だった。
一応、モルフェームの部屋を覗いてみたところ、彼は高熱を発して苦しんでおり、キヨルは一息つく間もなく、息子を抱えて治癒術師のいる診療所へ駆け込んだ。
「魔法や魔術を未就学の年頃にありがちな症状ですね。魔力のコントロールが上手くいかずに、ぎりぎりまで放出してしまったのでしょう。魔力回復効果のある薬湯を処方しておきましょう」
「…真夜中にご迷惑をおかけしました」
モルフェームが何故大量に魔力放出を行ったのかについての原因が自身にあることは伏せ、治癒術師に頭を下げた。
モルフェームの診療を担当した治癒術師は、キヨルが男手一人で息子を育てている父親という時点で労わる気持ちが芽生えたようで、非常に穏やかな表情と優しい声音で終始応対している。キヨルにしてみれば、居心地悪いことこの上ない。
早く帰りたくて仕方ないキヨルに、治癒術師は無自覚の追い打ちをかけた。
「いいえ。心配ですよね、お父さん」
「心配…ははは…」
治癒術師の言葉に、キヨルは乾いた笑いを浮かべたあと、「では、これで!」と足早に受付へ向かい、会計を済ませ、モルフェームを抱えたまま薬を持ってバタバタと帰って行った。
「照れ屋なのかもしれないな」
街の治癒術師はキヨルの挙動不審な動きに首をかしげるだけだった。