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ふるふる エッセイ集

命に対して、何も感じなくなっている気がする

作者: ふるふる

出来ればあとがきまで読んでいただきたいです。

 ――人身事故により、電車が大幅に遅れております。


 学校帰り、作者は電車を一駅乗り過ごした。慌てて次の駅で降り、家の最寄り駅へと戻ろうとするとそのようなアナウンスが聞こえてきた。

 アナウンスを聞き、電光掲示板を確認すると次の電車が来るまで30分以上あった。仕方ないと思いつつ、ベンチに座りTwitterで事故についての情報を少し調べた後、期末試験の勉強をしつつ、時間を潰した。

 飲み物が無くなり、いくら山間部で少し涼しいとはいえ暑さを感じ始めたころ、やっと電車が到着し、満員電車に乗りながら家へと帰った。


 家に帰って一息ついた後、つい先ほどの出来事についてふと考えた作者は恐ろしいことに思い至った。

 人が亡くなった可能性があるのに、ほとんど何も感じなかった(・・・・・・・・)のだ。


 家でニュースを見たときなどに悲惨な事件の情報を目にすると、大なり小なり悲しい気持ちや恐ろしい気持ちになる。

 しかし、作者が寝過ごして帰るのが少々遅くなっただけで、何も感じなかった。おそらく、そのあとに学校やバイトなどがあるときだったら、怒りを覚えていただろう。


 人身事故の影響で帰るのが少々遅れただけで、何も感じなくなる。学校に遅れただけで怒りを覚える。

 人一人が命の危機にさらされているのに、人は少し時間が消費されているだけで怒りを覚えたり、無関心になったりする。

 私はそれに、恐怖を覚えた。

本文について。

 作者は、電車の人身事故の遅延などで怒りを覚える人のことを批判しているわけではありません。

 作者は、日々のんきに生きてる大学生です。電車が遅延して授業に少々遅れても、今まではほとんど何の実害もありませんでした。

 けれど、社会人の方などはそうもいかないと思います。学生とは責任の重さなど、比べ物にならないと思います。

 このエッセイはそのような方たちを批判するわけではなく、特に重大な影響があるわけでもないのに、無関心になったり怒りを覚えたりする自身に対して感じたことのエッセイです。

長文ですみません。

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