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満月の夜の出会い

 マルヴァレフト領の辺境都市パラヴァは眠らない街である。


 冒険者や商人が集うこの街には夜通し営業をする店も多く、街の灯はいつまでも消えることがない。

 男と女と、酒と煙草。一夜限りの出会いと別れが繰り返され、太陽が再び上るまで、無数の喧嘩と恋が始まっては終わる。


 そんな喧噪から少し遠ざかった街の外れに、暗闇に紛れるようにひっそりと佇む一軒の館がある。この領地を治めるマルセル・マルヴァレフト辺境伯の屋敷である。


 全ての窓が蔦に覆われた屋敷の中は、日が落ちると闇に沈む。


 しかし今夜の月は不自然な程に明るい満月だった。


 月に掛かっていた分厚い雲が風に流されると、窓から差し込んだ月明りが安らかに眠る少女の瞼を照らす。

 辺境伯の一人娘、メルヴィ・マルヴァレフトは眠りから目を覚ますと、心地よい夢の微睡から意識を引き離すようにゆっくり目を開けた。


 次第に意識が覚醒し、やがて自分の状況を認識する。ここはメルヴィの自室のベッドの中。月の位置から察するに、今は真夜中なのだろう。

 街中で第二王子の誘拐騒動に遭遇した後、メルヴィは魔力の使い過ぎで今まで眠ってしまっていたのだった。


 メルヴィは暗闇に慣れてきた目でじっと自らの手のひらを見つめると、何かを確かめるように開いたり閉じたりを繰り返した。それから、小さく何かを呟いて、枕元の燭台に向かって指先を向けた。


 ポウ……と小さな炎が、燭台に灯る。


 体の中を巡る血液が再び魔力を満たしていることを確認すると、メルヴィは安心したように頷いた。


 喉の渇きを覚えて、明かりを灯した燭台を片手に部屋から出る。

 使用人が極端に少ないこの屋敷では、メルヴィはちょっとした家事や身の回りの支度は自分で行うようにしていた。屋敷に閉じこもって生活しているので、そんなことでもしないと毎日が退屈で仕方がないということも理由の一つである。


 暗い廊下を燭台の灯りを頼りに歩いていると、静寂の中にカタン、と不自然な物音がする。

 メルヴィは顔を上げて音のした方を見る。その音は、生まれてこの方一度も来客を迎えたことのない客間の中から聞こえたように思えた。


「……?」


 燭台の火をふっと吹き消して、音がしないように気を付けながら、メルヴィは客間の扉をわずかに開いた。

 小指の先が通るくらいの隙間から、客間の中を覗き見る。


「…………!」


 その先にあった光景に、メルヴィは息を飲んだ。


 一枚の美しい絵画のようだ、と、思った。


 扉の隙間から覗いた視線の先には、月明りに照らされて浮かび上がる、彫刻のように美しい寝顔があった。

 窓際に置かれたベッドの上に一人の青年が横たわっている。


 柔らかく弧を描く黒髪は月光に輝き、肌は透けるように白い。閉じられた瞼を彩る長い睫毛は目元に繊細な影を落とし、呼吸に合わせてかすかに上下する唇の赤は白い肌に映えて不思議な色気を醸し出している。


 それは、まるでこの世ならざるもののようだった。


 その姿のあまりの美しさに、メルヴィは気が付けば誘われるように扉を開けて部屋の中に歩を進めていた。


 自らの意思でない何かに導かれるように、窓辺のベッドで眠る青年の頬に、そっと手を伸ばそうとする。


 その瞬間、差し出した手をぐいっと引かれて、視界が大きく揺れる。

 逆の手から滑り落ちた燭台が床に落ちてガシャンという音を立てた。


 後頭部と背中に痛みが走る。ベッドのシーツが口を覆う。

 メルヴィははっと我に返った。

 いつの間にか後ろ手に手を取られ、先ほどまで青年が寝ていたベッドに上半身をうつ伏せに押し付けられていた。


 背中にぴったり重なるように、上から伸し掛かる重みを感じる。

 触れた体温は不思議とひんやりと冷たい。


「誰だか知らないけど、こんな夜中に何の用?」


 メルヴィの耳を、少し癖のあるハスキーボイスがくすぐった。

 息が耳に掛かり、メルヴィの体がびくっと跳ねる。


 メルヴィは大きく息を吸うと、出来る限り冷静な口調を心掛けながら口を開いた。


「……お休みのところ、夜分に突然申し訳ありません。怪しいものではありません……この家の主、マルセル・マルヴァレフト辺境伯の娘、メルヴィ・マルヴァレフトと申します。

 たまたま通りがかったら物音が聞こえたので……ついお部屋に入ってしまいました」


 ベッドに押し付けられながら、メルヴィの頭はだんだんと冷静になっていった。そして、この青年が誰であるのかに思い至る。


……メーレンベルフ王国第二王子 ルート・メーレンベルフ殿下。


 昼間に襲撃を受けたばかりの王子の寝室に夜中に忍び込むなど、はかりごとを疑われても仕方のない所業である。

 そうでなくても、臣下としても淑女としても、幾重にもあるまじき行為であった。


 まるで何かに憑かれたかのように無意識に部屋に入ったメルヴィは、今更ながらに自分の行動を後悔した。


「……この匂い……」


 メルヴィの耳元に唇を寄せていたルートは、メルヴィの言葉には返事をしないまま、スリ……と首筋に鼻をすり寄せて呟く。


「僕の体に魔力を入れたのは、君?」


 ルートはメルヴィの上半身をうつ伏せでベッドに押さえつける力を緩めない。その力は異常な程に強く、組み敷かれたメルヴィは口を開くのもやっとである。


「はい、恐れながら……殿下のお命をお救いしたく、私の力を入れさせて頂きました」


 顔が一切見えないので、ルートがどんな表情をしているのか分からない。

 耳に届くルートの声は特徴的なハスキーボイスで、あまり抑揚がないので声色をはかることが出来ない。


 状況が分からないままうつ伏せでベッドに押し付けられて、意図の見えない会話をする。何をされるか分からない恐怖で、メルヴィの体は小さく震えた。


 ルートは後ろから体重を掛けたまま、片手でメルヴィの髪に触れ、耳の後ろから首筋のあたりまでゆっくりと梳いた。


「じゃあ僕を助けると思って……もうちょっとだけ協力してくれる?」


 耳元で囁かれるその言葉が、何故だかひどく甘く感じる。

 背中に重なる体は体温を感じさせないほど冷たいのに、耳に掛かる息は熱かった。


 メルヴィの髪を梳いていたルートの指が、髪を掻き分けて首筋に直接触れる。

 触れた指先は、やはり氷のように冷たい。


 そしてそのままゆっくりと指が動いたかと思うと、メルヴィの首筋に突然温かいものが触れた。


「痛っ……」

メルヴィは思わず小さな声を上げた。




 ――――眠らない街の喧噪から離れた、蔦の絡む静かな洋館。

 

 満月の月明りに照らされた部屋の中で、黒髪の美しい青年は、少女の細い首に歯を立てた。



 しばらくすると青年の赤い瞳は瑞々しさを取り戻し、月の光を反射して血のように輝く。

 赤く染まった唇が、満足そうに弧を描いていた。



 やがて青年が静かに目を閉じると、青年の白い肌にはわずかに血色が戻り、冷たかった肌は温もりを持つようになる。


 のしかかっていた重みがなくなっていくのを感じてメルヴィがそっと振り返ると、トン、という音と共に背中の人影が床に崩れ落ちる。

 慌ててその体を抱き起せば、ルートはすやすやと寝息を立てて眠っていた。


 その顔の造型は先ほどまでと同じもののはずなのに、何故か全く違うものに見える。

 メルヴィの腕の中で眠るのは、端正な顔立ちの中にまだわずかな幼ささえも感じさせる、安らかな青年の姿だった。


 何度呼びかけても起きないので、メルヴィは魔法の力を借りながら、ルートを抱き上げてベッドに横たわらせた。

 眠るルートの体にそっとブランケットを掛け、自分の乱れたドレスを軽く整えた。

 床に転がっていた燭台を拾って再び火を灯す。



 物音を立てないように客間を出て扉を閉める。



 廊下に出た途端、メルヴィは足の力が抜けてその場に座り込んだ。

 ずっと止めていたかのように、何度も大きく呼吸をする。


 何……があったの……?


 今起きた出来事が、まるで全て夢の中の出来事のようで。

 恐る恐る自らの首筋に触れれば、その指先にわずかに血がついていた。


 

 戸惑うメルヴィを残したまま、不自然なほどに明るく丸い満月の夜が、静かに更けていく。




 ――――この日、第二王子ルート・メーレンベルフは、辺境伯令嬢メルヴィ・マルヴァレフト、およびその従者トビアス・ニーニマーと出会った。


 この出会いにより、彼ら三人の運命の歯車は、ここから大きく動き始める。





次からもう少し軽いタッチになります。やっとタイトルの展開に向かいます……!

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