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魔女の血を引く辺境伯令嬢、男装して婚約破棄を試みる 〜恋と魔法と革命の物語〜  作者: 狸穴むじな
第三章 王立アカデミー マッチ編 
57/69

2つの手

「そろそろユーリは次の試合の時間だね。ごめんね、時間を取らせて。僕も戻らないと」


 ルートはそう言うと、いつものにっこりとした隙のない笑顔を浮かべて微笑んだ。


 誰も何も言わないまま3人で並んで歩いていると、すぐにフィールドに続く選手用通路の入口に着いてしまう。「じゃあ」とルートが言って、その場を離れようとした。



 その瞬間、メルヴィは思わず、ルートのジャケットの裾を掴んでいた。


「?」

 振り返ったルートが、少し困ったような、それでも優しい目をメルヴィに向ける。


「えっ、あっ……いや、ごめん……」


 どうしてそんなことをしたのか、自分でも分からなかった。

 ただ何となく、もう少し一緒に居たいと、思ってしまった。


 マッチに対するものなのか、王妃に対するものなのか分からない不安が、じわじわと足元からせり上がってくる。心が落ち着かなくて、何かに頼りたくて。

 思わず掴んだ裾の先で、ルートが足を止めて振り返ってくれたことが、嬉しくて。


 その目が真っ直ぐにメルヴィに向けられただけで、恐怖に飲み込まれそうになる体が、ぎゅっと引き戻されるような気がした。



 その気持ちを上手く言葉に出来なくて、メルヴィは裾を掴んだまま下を向いて唇を結んだ。


「……フィールドまで、一緒に行こうか」


 ルートは何も聞かずに優しく微笑んだ。そして、メルヴィに向かってそっと手を差し出す。メルヴィはほっと安心したように息を一つ吐いて、差し出された手に自らの右手を重ねた。


「“メルヴィ”も。ほら」


 ルートはトビアスに視線を送り、メルヴィの方を示すように眉を上げる。ルートに促されるまま、トビアスは慌てて逆の手をメルヴィに差し出した。


 トビアスから差し出された手に、今度は左手を乗せる。

 フィールドに続く暗い通路を、メルヴィは2人に手を引かれながら歩いた。


 それはたった20メートル程度の距離だったが、一歩ずつ歩を進めるごとに、気持ちがすうっと静まっていくのが分かった。そわそわと落ち着かなかった心臓が、体の中心に戻っていく。一つ一つの臓器が正しい場所で規則正しくリズムを刻み始める。

 今、自分がするべきことがクリアになっていく。


 いたずらに不安がっていても仕方がない。

 今メルヴィがするべきことは、目の前の勝負に勝つことだけだ。

 

 右手には、ルートの細くて長い指と、少し冷たい体温を感じる。

 左手は、トビアスの大きくてごつごつとした手に包まれて、温かい温度を感じる。


 2つの手に支えられているからこそ、メルヴィは真っ直ぐに前を向くことが出来る。


「……ありがとう、2人とも」

 メルヴィはそっと呟いた。


 振り返った2つの笑顔は、どちらもとても優しい。2人に応えるように、メルヴィは握った手に力を込めて、にこっと微笑みを返した。


「遅えぞ、ユーリ」


 気が付けば、もう通路の終わりまでたどり着いていた。

 通路の先に広がるフィールドからの光を受けながら、ミランとヒューがメルヴィを迎え入れる。


 フィールドの上では、前のチームの試合が行われている。激しくぶつかり合う剣の音、叫び声、歓声や怒声が音の波のように襲い掛かってくる。


 ここは、静かで安全に守られた屋敷の中とは、まるで違う外の世界だ、とメルヴィは思う。

 差別や偏見に晒され、人の悪意に触れ、つらいことも苦しいこともたくさんある世界。戦い続けなければいけない世界。


 けれどここには、共に戦う仲間が居る。

 いつまでも怖がって下を向いているわけにはいかない。


 この先に待ち受ける運命がどんなものだとしても、戦い続ける。後戻りは出来ない。


 私はもう、あの屋敷から出てしまったのだから。


 メルヴィはぐっと唇を噛んで、顔を上げた。


本日のお昼にもう1話投稿予定です

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