第二王子襲撃 01
「……何故付いてきた」
いくつかの角を曲がって狭い裏路地に差し掛かろうとしたところで、マルセルは静かに足を止めた。
マルセルの背中はこちらを振り返りはしなかったが、その後ろに彼の一人娘とその従者が立っていることを、見なくても分かっているようだった。
「私も手伝います」
振り返らないマルセルの背中に、メルヴィが言った。その声は強い意志を孕んでいた。
「これは遊びではない。相手は手練れだぞ」
「だからこそ、お父様一人では危険です」
「お前に出来ることはない」
マルセルは背を向けたまま、振り返ろうとしない。
まっすぐに前を見据えたメルヴィは、父の背中に向かって言葉を続けた。
「私にはその力があるはずです。……お父様も、気が付いているのではないでしょうか」
「……」
マルセルは額を抑えてため息を吐くと、苦しそうに眉間に皺を寄せてゆっくりと頭を振った。
「……お前は――――……魔法が、使えるのか」
この国の人間は、誰もが魔法を使えるという訳ではない。
魔女やヴァンパイアなどの異種族は別として、人間となると魔法を使う者はごく少数である。
マルセル・マルヴァレフト辺境伯はそのごく少数の内の一人であった。
国境に接する広大なマルヴァレフト領を彼が一人で治めることが出来るのも、マルセルが持つ高い魔力の力があってしてのものである。
そんなマルセルと魔女の間の子であるメルヴィは、当然の結果として、類まれなる魔力を持って生まれてきていた。
だがマルセルはメルヴィの魔力の発露を望まなかった。
高い魔力を持つ貴族令嬢ともなれば、良くも悪くも世間が放っておくはずがない。魔女の血を引く混血であるということも相俟って、その行く末が平穏でないことは目に見えていた。
メルヴィは物心つく頃には、指先から不思議な力を発出するようになった。
しかしマルセルは幼いメルヴィにこの力を使うことを禁じ、溢れ出る魔力を抑制するよう矯正を施した。
そして魔法そのものから遠ざけるように、世の中から隔絶してメルヴィを育てた。
そうして16年間、父と娘はこの力について互いに触れることを避けてきたのである。
しかし実際のところ、メルヴィの魔力は成長と共にしっかりと体に根付いていた。
自らの内に宿る力が父に望まれないものであることに気が付いていたメルヴィは、その力を隠すようになった。
そして、娘は父の目を盗んで、その魔力を形に変える方法を模索した。
家には魔法に関するものは何一つなかったが、外に出ることもなく毎日屋敷の中で過ごしているメルヴィには膨大な時間があった。
メルヴィにとって唯一この力について相談出来る相手であったトビアスには魔力が全くなかったため、魔法というものをトビアスから学ぶことも出来なかった。
メルヴィは一人で―――時にトビアスと二人で―――、自らの指先が紡ぎ出す不思議な現象を一つずつ検証し、改良し、コントロール出来るようになっていった。
そして16歳になる今では、料理や掃除などの家事にかける手間を省略したり、街へ出掛けるために変装したりといったことのために、メルヴィはこの力を使うことが出来るようになっていたのである。
「お前を魔法から遠ざけて、訓練も受けさせずに来たはずだ……それでも、使えると言うのか」
背中越しに、戸惑う父の声が届く。
「……はい」
メルヴィは小さな声で呟いた。。
「そしてその力が、私の役に立つと……そう言うんだな?」
「はい」
今度はさっきよりもはっきりと返事をする。
「……それで、お前には何が出来る?」
言葉の最後の問いかけがメルヴィを責めるものではないことをその口調から察したメルヴィは、真っすぐに前を見つめると、一歩進んでマルセルの横に並び立った。
「火と水は出すことが出来ます。……といっても、家で一人で使っているだけなので、ごく小さなものしか出したことがないですが」
メルヴィの言葉に、マルセルが驚いたように目を見開く。
「火と水? 両方とも自由に出せるのか?」
「はい。火は、お菓子を作ったりするときに使っています。水は、庭の花へ水やりのときに。どちらも威力は大きくないですが、自由に出すことは出来ます」
くくっ、と喉を鳴らすと、マルセルは観念したように笑った。
「血は争えない、か。出来ることならお前には、魔法なんぞとは無縁の、普通の令嬢として育って欲しかったんだけどな」
「……ごめんなさい」
思わず謝罪の言葉を口にしたメルヴィの頭に、マルセルの大きな手がポンと乗せられる。
「謝らなくていい。むしろ、きちんとした訓練もしてやらずに申し訳なかった」
父の手は大きく、暖かった。
「お前が本当にその力を使えるのなら、……正直なところ、この状況でお前が居てくれるのは私にとっては願ってもないことだ。さっきの襲撃で魔力を使い過ぎたのか、それとも連中が何か変な術でも使っているのか……私に今残っている力では心許なくてな。少しだけ力を貸してほしい」
父の言葉に、メルヴィはしっかりと頷いた。
マルセルはメルヴィの手を引いて、薄暗い路地へと足を踏み出そうとする。そして、ふと足を止めると、何かを思い出したように振り返って言った。
「トビアス」
「はいっ」
父娘の会話を黙って聞いていた従者に向かって、マルセルが声を掛ける。
「トビアス、お前は魔法がつかえない。だからこの先は、お前にとってはかなり危険かも知れない。
でももし構わないのであれば、お前にも一緒に来てほしいと思っている」
「えっ、あっ、はい……っていうか、元からそのつもりだったっていうか……むしろ俺、邪魔じゃないですか?」
マルセルに言われるまでもなく一緒に着いて行く気だったトビアスが、ポカンとした顔で尋ねた。
「……私はね、案外最後に勝つのは人間の力じゃないかと思っているんだよ」
そう言って笑うと、マルセルはバサッとマントを翻して歩き始めた。
「いいか、おそらくこの先に居るのは一人じゃない。こちらは劣勢、隙を突けるのは一瞬だけだ。ここを曲がると同時に火を放て」
低い声でマルセルが囁く。
家では竈に小さな火を入れるくらいでしか使ったことのなかった火を出す魔法だが、体に流れる魔力をコントロールすることで火力を上げることが出来るらしい。背後から抱えるような形でマルセルが立ち、メルヴィの体を支えている。こうすることで、マルセルの力を借りて体内の魔力の流れを制御・増幅させることが出来るらしい。
「準備はいいな? いくぞ、3、2……1!」
カウントダウンと共に、マルセルはメルヴィを抱えるようにして角から飛び出した。
そこには先ほど馬車を襲撃したのと同じようにフードをかぶった男たちが屯している。さっと視線を流し、王子がそこには居ないのを確認すると、メルヴィは指先に力を込めた。
体の中を流れる血液が、かっと熱くなるような気がする。
ドクンと大きく脈を打って、指先に勢いよく熱が流れていく。
指先から力が溢れ出る。
それはこれまでとは全く違う感覚だった。
濁流が堰を切って流れ出すように、指に向かって力が流れていく。
体中の血液に、肉体そのものが持っていかれそうな衝撃を受ける。
「ダメだ、メルヴィ! 待て! 抑えろ……っ!」
マルセルが叫ぶより早く、メルヴィの指先からは激しく燃え盛る炎が噴き出され、あっという間に辺り一面を炎の渦に飲み込んだ。
荒れ狂う炎は勢いよく形を変えて、そこにあるもの全てを焼き尽くそうとするかのように燃え広がる。
メルヴィが吐き出したはずの炎は、本人の意思を遥かに凌駕する獰猛さで、炎の牙を振るっていた。
メルヴィ自身をも飲み込もうとする炎の勢いに、突然恐怖が湧き上がる。思わず後ずさりしそうになったメルヴィの肩をマルセルがぐっと掴んだ。
「しっかりしろ! 恐れるな! このままだと建物が燃える! 水を出せるか?!」
耳元に響く父の強い声に、メルヴィははっと正気を取り戻す。
「出来ます!」
言葉よりも早く、手を構えていた。先ほどよりも更に集中して、体の中を巡る血液に意識を向ける。
―――この火を消し止める水を……
かっと目を見開くと共に、指先から力が溢れ出る。
それは細かい水の飛沫となって、雨のように降り注いだ。
じゅう……と灼ける音を残しながら、炎がするすると勢いを弱めていく。焦げた臭いが鼻につく。メルヴィの放った水は、燃える炎を鎮圧することに成功した。
フードの男たちが地面に倒れて蠢いている。焼けた布地の向こうに見える爛れた皮膚の様子から、メルヴィは思わず目を逸らした。
自分のしたことが、自分の力が、恐ろしかった。
これが、私の力――――?
炎に変わって立ち昇った煙が狭い路地に充満し、小さく震えるメルヴィの視界を曇らせた。
「……殿下!」
呆然とするメルヴィの肩を抱いたまま辺りを見まわしていたマルセルが、何かに気が付いて息を飲んだ。
マルセルの視線の先を追うと、白い煙の向こう、炎によって崩落した壁の奥に、黒髪の人影が倒れている。
皮紐のようなもので後ろ手に縛られ地面に横たわっているのは、先ほど馬車から連れ去れた青年だった。
青年は目を閉じ、生きているのか死んでいるのかも分からない。
マルセルはメルヴィの肩から手を離すと、その人影へ駆け寄った。
その時だった。
「随分派手な魔法を使うと思ったら、あなたでしたか。さすがはマルセル・マルヴァレフト辺境伯」
王子の傍に屈みこんだマルセルの首元に、背後から指が突きつけられる。
どこから現れたのか、先ほど馬車から王子を連れ去った外套の男が、いつの間にかマルセルの後ろに立って、革手袋を嵌めた指を突き立てていた。
マルセルははっとしたような表情で首元を抑えたかと思うと、次の瞬間、ガクッと力なく体を崩れさせた。