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魔女の血を引く辺境伯令嬢、男装して婚約破棄を試みる 〜恋と魔法と革命の物語〜  作者: 狸穴むじな
第三章 王立アカデミー マッチ編 
48/69

開幕前夜に帰る場所 01

 それからの日々は目まぐるしく過ぎて行った。

 本格的に始まったアカデミーの授業やマッチの準備に追われ、余計なことを考える余裕などないほど忙しい毎日だった。


 朝はディデェエとルートと共に魔法の特訓を行う。あの日以来、ルートは必ず朝のレッスンにやってくるようになった。

 午前中は教養科目の授業。お昼はすっかり定番となった校舎の裏の丘の上で、ランチを食べながらキトリと授業の復習をする。時折、差し入れに手作りのお弁当やお菓子を持ってオルガが乱入してくる。オルガは貴族令嬢にしては料理が上手い。

 午後は研究科目の授業。占術以外の授業はそのままキトリと一緒なので、こちらもキトリに助けられながら何とか授業についていっている。キトリの教え方は分かりやすい。占術の授業に関してはヒューと2人きりなので、相変わらず先生の言うことの意味が半分も分からないながらも、ヒューと一緒に手探りで課題をこなしていた。ヒューにも占術のセンスはないようだったが、魔法に対する基礎的な知識が豊富なのでメルヴィよりは理解できているようだった。

 夕方はミランとヒューと3人でマッチに向けての作戦会議や練習を行う。メルヴィ達のチームのリーダーはミランなので、基本的な作戦指示はミランが出すことになった。ヒューは不満そうだが、ミランのリーダーシップや的確な指示に対しては文句のつけようがないようで、しぶしぶといった表情で何も言わずに従っている。

 日が暮れる頃になると、ルートが迎えにやってくる。ルートに回収されて寮に戻り、自室に帰ってくると、疲労でもう何もする元気がなくなっている。重い体を引きずって何とか寝る支度を済ませ、そのままベッドに倒れ込み1日が終わる。


 その繰り返しで、気が付けばマッチの開幕前夜となっていた。




 コン、コン、と窓から規則的な音が聞こえてくる。


 寮の自室にて授業の復習をしていたトビアス・ニーニマーは、その音に顔を上げた。

 もう夜も更けていることもあり、窓にはカーテンを下ろし扉には鍵も掛けているので、変装用のかつらは外して服装もシンプルな男性物のシャツとパンツを身に着けている。


 トビアスは立ち上がって目を細めた。咄嗟に窓の横の壁に背をつけ、窓からは死角となる位置で様子を伺う。


 コン、コン、コン

 音は続いている。


 トビアスはそっとカーテンをつまみ、隙間から外を確認しようとした。


「……トビアス! トビアス! 開けてちょうだい!」


 耳に入ってきたのは、聞き慣れた彼の主人の声。世界のどこに居てもきっと聞き間違えることのない、メルヴィ・マルヴァレフトの声だった。


「お嬢様?! そんなところで何をしてるんですかっ!」


 トビアスが勢いよくカーテンを開けると、窓の外にメルヴィが居た。見た目はいつもの“ユーリ”のままで、2階の窓の高さのところまで木に登っている。


「危ないですよっ!! 早く手を!」

 トビアスは窓を開けて手を差し出した。


「あら、大丈夫よ。私、昔から木登りは得意だったじゃない」


 差し出された手に自らの白い手を重ねながら、メルヴィが得意げに微笑む。そしてトビアスの手を支えに、ぴょんっと木から窓へと乗り移ると、軽い身のこなしで部屋の中に入った。


「な……なにしてるんですか……こんな時間に……そんなところから……」


 自室の中に、メルヴィが居る。

 その光景を見るのは、随分と久しぶりだった。


 屋敷で暮らしていた頃も、トビアスは従者としてメルヴィの部屋に出入りしていたものの、使用人であるトビアスの部屋に主人であるメルヴィが入るということはあり得ない行為だった。それでも幼い頃は好奇心旺盛なメルヴィがトビアスの部屋に突撃することはあったが、成長するにつれてそれも無くなっていった。

 もっとも、マルヴァレフト邸においてトビアスに与えられていたのは、他の使用人たちと同等の部屋ではなく、使用人用にしては不自然な程きちんとした部屋であったのだが。


 ともかく、自分の生活空間の中にメルヴィが存在しているということに、トビアスは狼狽えていた。


「あなたに会いに来たのよ。女子寮は男子禁制だから、こうでもしなきゃ入れないでしょ。わあ、これが貴族用の部屋なのね。男女で寮の作りは同じなのかしら、男子寮の方は入ったことがないから分からないわ」


 メルヴィはきょろきょろと部屋の中を見渡す。

 貴族子息の友人というものが居ないメルヴィは、男子寮の貴族用の部屋に入ったことがなかった。


 性別や身分に関わらず多くの人から好かれている“メルヴィ”(トビアス)と違って、メルヴィ(“ユーリ”)には限られた友人しか居ない。最近ではルートの過保護が加速していることもあって、ミランやキトリ、オルガといった決まったメンバーとしか話すことがなかった。なお、ヒューはルートから完全に殺意を向けられているので、ルートの前ではなるべくメルヴィと親しくすることを避けている。


「……今何時だと思ってるんですか」


 部屋の中をぐるりと一周見て回った後で勝手にソファに腰を下ろし、くつろいだ姿勢を取っているメルヴィに対し、トビアスは立ったまま居心地悪そうな顔をした。


 自分とはテンションが違うトビアスの様子に気が付いたメルヴィが、申し訳なさそうに眉を下げる。


「ごめんなさい、夜遅くに……そうよね、もう寝る時間だったかしら? ごめんなさい、邪魔して……」

「いや、そうじゃなくて! それはいいんです、まだ全然起きてますから……そうじゃなくて、何でこんな時間に一人で出歩いて……俺なんかの部屋に」


 メルヴィはキラキラと輝くサファイアの瞳いっぱいにトビアスを映して、真っ直ぐに見上げていた。

 髪の長さや色が違っていても、身につけた衣服が違っていても、この瞳は幼い頃からずっと変わることがなく、トビアスの心を掴んで離さない。


「……眠れなかったの。明日からマッチが始まると思うと、やっぱり不安で……。最近はあなたとゆっくりこうして話すことも出来なかったし、顔が見たくなって……」


 メルヴィの肩が小さく震えていた。


 トビアスははっと息を飲むと、ぐっと拳を握り締めてから、いつもの穏やかな笑顔を顔に浮かべた。


「……お茶を淹れましょうか」

 慣れた手つきで紅茶を淹れる準備をする。


 コポコポとお湯が沸く音、食器が立てる音、缶を開ける音。

 静かな部屋の中に、トビアスが紅茶を淹れる音だけが響いていた。


 メルヴィはそっと目を閉じて、その音に耳を澄ませる。

 アカデミーに来てから、こうしてトビアスの淹れたお茶を飲む機会は全くなくなってしまっていた。屋敷に居た頃は毎日聞いていた、意識したこともないこの音が、今はとても心地よく感じられる。


 どうぞ、と紅茶を差し出しながら、トビアスはメルヴィの隣に座った。


 屋敷に居た頃は、トビアスはメルヴィの隣に座ることはなかった。

 アカデミーに来たからといって主人と従者という関係は変わらないはずなのに、立場を入れ替えているせいか、2人を取り巻く環境が変わったせいか、トビアスはメルヴィの隣に座ることを躊躇わなくなっていた。

 その変化が、トビアスの心境の変化、そして2人の関係性の変化を表していることに、メルヴィはまだ気が付いていない。


「大丈夫ですよ、お嬢様」


 紅茶の入ったカップに口をつければ、喉から胸へと、温かさがゆっくりと降りていく。その温もりに、きゅっと固く閉じていた体の内側がじんわりと開いていくような気がした。


「きっと上手くいきます」


 トビアスの言葉がメルヴィに沁み込んでいく。メルヴィはとん、とトビアスの肩に頭を預けた。大きくて広い、ずっと傍に居て、一緒に育ってきた肩。こうして頭を預けるのは初めてなのに、これがまるで正しい居場所かのように心が落ち着いた。

 トビアスの手がメルヴィの髪を撫でる。

 優しくて暖かいその手は、いつでもメルヴィを安心させる。


 気が付けば、メルヴィはそのまま眠りに落ちてしまっていた。




 それからしばらくの後、女子寮と対の作りになっている男子寮の、2階の奥の最も大きな部屋の窓に、一つの人影が浮かびあがる。

 ルート・メーレンベルフは窓に腰掛けて、手の中で薔薇の花を弄びながら、眼下の光景を眺めていた。


 月の細い今夜は、暗闇が辺りを覆いつくしている。

 時刻は真夜中を過ぎている。普通の人間ならば見えないであろう夜のとばりの闇の中で、ごそごそと動く影がある。


「……そうきたか。いや、これは予想外だったな」

 ルートは誰にともなくそう言って、あはは、と面白そうに声を上げて笑った。


 そして心なしか楽しそうに窓枠から飛び降りると、やがて現れるであろう客人をもてなすための準備を始めた。


 程なくして、部屋の扉をコンコンと控えめにノックする音が聞こえてくる。

 ルートはゆっくりと扉を開けると、言った。


「やあ。……はじめまして、と言った方がいいのかな? トビアス・ニーニマーくん」


 扉の向こうには、すやすやと寝息を立てるメルヴィを抱きかかえて、女装用のかつらを外した、本来の男性の姿のトビアスが立っていた。


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