第二王子の告白 01
朝の訪れを告げる鳥の鳴き声がする。
柔らかい光が瞼をくすぐって、メルヴィは微睡の中から目覚めた。
普段寝ているものよりも大きく、上質なマットレスの感触がする。肌に触れたシーツから香る、薔薇に似た甘い匂い。メルヴィはルートのベッドに寝ていた。
「おはよう」
顔を上げれば、開け放った窓にルートが腰を掛けている。ここは2階とは言え、落ちたら怪我をする高さではあるが、そんなことは気にしていない素振りでルートはこちらを見つめていた。
「おはよう……」
ルートの顔を見たら、昨夜の記憶が鮮明に蘇ってきた。何と言ったらいいのか分からず、メルヴィは困惑した目を向ける。
「よく眠れた? 昨日は酔っていたみたいだったから、そのまま僕のベッドに寝かせちゃったけど、寝心地は悪くなかったかな。寮で飲酒したことがバレると面倒なことになるから、これからはほどほどにね――――」
ルートはにっこりと優雅な微笑みを浮かべて、ぺらぺらと淀みなく言葉を繋げる。
1か月前に初めて会った時とは違い、メルヴィはもう知っている。
ルート・メーレンベルフの素顔は、この優雅な微笑みではない。本物のルートは少し短気で、すぐに怒ったり拗ねたりして、子供っぽい表情もするし、もっとくだけた笑い方をする。
ルートのこの隙のない微笑みは、作り物の笑顔だ。何かを誤魔化そうとするときの笑顔だ。
「ルート」
言葉を続けるルートを遮るように、メルヴィはその名前を呼んだ。真っ直ぐに正面からルートを見つめる。
「……ダメだね。……君には効かないって分かってるのに、最後の悪あがきだよ。我ながら、卑怯だなと思うよ。どうにかして、君に術が効かないかと思ってる」
ルートはため息を吐くと、観念したように窓枠から降りてメルヴィの前に立った。
「それは、人の心を操る術……? もしかして……この前、食堂でも使ってた……? それだけじゃない……初めて会った日、家のサロンで話をしたときも……」
メルヴィは猜疑心に満ちた目をルートに向けた。
ルートがパラヴァの街を訪れ、メルヴィの家のサロンで話をした時の様子を思い出す。あの時のルートの瞳も、笑顔も、話し方も、思い出せば全てが芝居がかっていて、今から思えば違和感しかない。
信じられない、と思った。
……この人は、日常的に、人の心を操る術を使っているのだ。
まるで何でもないような顔して、顔に微笑みを浮かべて、優しい言葉を口にしながら、裏では人の精神に関与するような魔法を使っている。
メルヴィの肌に鳥肌が立った。
「違う! いや、違わない……違わないけど、君たちには効かないんだ、だから君たちに術が掛かったことはない」
「効かないから良いって問題じゃない。人の心を操るなんて恐ろしいこと、平気で出来るのが信じられない……!」
「キトリだって似たようなことをしたじゃないか!」
「キトリは人を助けるために仕方なく使ったんだよ! でもあなたは違う。相手にバレないようにこっそり術を使って、他人を思い通りに動かして……今も嘘を吐くために使おうとした」
メルヴィは目を逸らさずにルートを見つめる。ルートは眉間に皺を寄せて、しばらく無言のまま俯いていた。
「……そうだよ……僕はズルくて、卑怯で、臆病だ。今だって怖くて仕方ない。昨夜君にあんなことをして……ちゃんと話をしなきゃって思ってるのに、それが怖いんだ……本当の僕を知られるのが、怖い」
ルートの声が震えている。
メルヴィは数歩進み出ると、ルートの両手に手を伸ばした。小さく震えるその手をぎゅっと包み込む。
「……人の心を操る術なんて、普通の人が使える技じゃない……それに……昨日、俺の……血を、吸った、よね……? ルート、あなたは一体何者なの……?」
本当はずっと前から、その可能性をずっと感じていた。
そうなのではないか、と思うことが幾つもあった。
屋敷でルートに襲われた夜、ルートはただ首を噛んだのではなかったことも、薔薇の花を食べることも。
もしかしたら、という可能性が、何度も頭に浮かんでいた。
けれどそれは、有り得ないはずではなかったか。
ルートの瞳が揺れて、しばらく宙をさ迷う。そして、やがてしっかりとメルヴィを捕らえた。
「……僕は、ヴァンパイアだよ」
ルートの声が、メルヴィの耳に響いた。
開け放たれた窓から、生徒たちの笑い声がする。春の風が木々を揺らしている。
反応を求めるかのように、ルートはメルヴィの手を強く握り返した。
「そんな……、それは有り得ないはず……だってヴァンパイアは不老不死の種族で、歳は取らなくて……あなたは王子として生まれて、あなたの成長を国民全員が見てきた……ヴァンパイアであるはずが……」
ルートはヴァンパイアなのではないか、と思う度に、そんなわけがないと打ち消してきた理由の一つが、このことだった。
未成年をヴァンパイアにすることは禁じられているし、ルートが今日まで普通の人間と同じように成長してきたことは多くの人が証言出来る。
「正確に言えば、半分だけ、ヴァンパイアの血が流れている。混血のヴァンパイアなんだ。寿命は多少長いみたいだけど、純血と違って、普通に歳を取る」
「ヴァンパイアは母親の胎から生まれることはないから、混血のヴァンパイアは存在しないはず……」
先日のトビアスとの話を思い出しながら、メルヴィは言った。
「普通はね。……一つだけ、混血のヴァンパイアが生まれるケースがある。極めて稀なケースだから、滅多には起こらないけど……」
ルートはメルヴィの手を握ったまま、ソファの方へ導く。
ソファに隣り合って座る。メルヴィは黙って、ルートの横顔を見つめた。
背もたれに体を預けて、天井を仰ぎながら、ルートが言った。
「二人の女性の話をしよう。一人は、かつてこの国の国王の妻――王妃だった人。そしてもう一人は、今の王妃だ」