芽生えの時 02
「そういえばお嬢様、面白いものを手に入れましたよ」
そう言って、トビアスは折りたたまれた新聞のようなものを差し出した。
開いてみると、そこにはずらりと名前の並んだ一覧表が載っていた。名前の横には学年や所属、種族、性別、身長・体重から使えるエレメントまで記載されている。更には、丸や三角などの記号が付いている。
「これは……」
「今度のマッチの予想紙です」
アカデミーの基礎課程に通う平民、3学年全60人のデータが羅列されている。記号のところは、体力・物理攻撃力・特殊攻撃力・防御力・スピード・頭脳の6段階に対する評価だった。
思わず、メルヴィは自分の項目を確認してしまう。
ユーリ・ニーニマー 16歳/魔法科2年生/人間/男/身長162cm・体重47kg/エレメント 火・雷
体力×/物理攻撃力×/特殊攻撃力◎/防御力×/スピード◎/頭脳○
身長と体重なんてデータをどこから入手したのかとか、この各能力に対する評価は誰が行っているのかとか、気になる点が多すぎる。
メルヴィの左右には、同じチームであるミランとヒューが並んでいた。
ミラン・オースター 16歳/生物科2年生/ライカン/男/身長178cm・体重67kg/エレメント 雷
体力〇/物理攻撃力◎/特殊攻撃力×/防御力○/スピード◎/頭脳○
ヒュー・ベイカー 16歳/魔法科2年生/人間/男/身長166cm・体重56kg/エレメント 水
体力△/物理攻撃力×/特殊攻撃力◎/防御力○/スピード○/頭脳◎
ミランとヒューには×が1つしかないのに対して、“ユーリ”(メルヴィ)には弱点が3つもある。更に、“ユーリ”が高評価を獲得している特殊攻撃力とスピードは、ミランとヒューがそれぞれ同じく高評価を得ている。加えて、二人にはそれぞれ物理攻撃力や頭脳といった強みが更にあるのに対して、“ユーリ”にはこれといったものが無い。
自分がこのチームのお荷物であることを可視化させられたような気がして、メルヴィは情けない気持ちになった。
「優勝候補の予想や、それぞれのチームの現時点でのオッズなんかも載ってますよ」
「うわぁ、ほんと悪趣味ね」
そう言いながら、果たして本当に自分はこれを悪趣味だと軽蔑することが出来るだろうか、とも思う。
パラヴァの街にやってきたサーカスや闘牛の巡業を、メルヴィはこっそり見に行ったことがある。チケットを買い、プログラムを買って、野外劇場で行われるそれらの興行に心を躍らせた。
今や自分がサーカスのピエロや闘牛のマタドールになっているだけで、きっと観覧する側の貴族たちは、あの日のメルヴィと何も変わらない。
パラパラと予想紙をめくる。
ミランの熱い勧誘やヒューの過剰な自信のせいか、メルヴィは何となく自分たちが優勝候補の筆頭のような気になっていたが、一番人気は別のチームだった。
最有力候補は、ネスター・トラップネイルという人のチームだ。
メンバーは全員3年生の男で、それぞれが魔法科・騎士道科・生物科とバランス良く構成されている。その上、リーダーのネスターはセイレーンだ。
「この人、セイレーンなのね」
ネスターのプロフィールを見ながらメルヴィは言った。
ネスターだけではない、優勝候補に挙がっているいくつかのチームの殆どに、異種族の者が含まれていた。
改めて全員のプロフィールが載っている一覧表を開き、種族の欄を最初から確認していく。
3年生には、セイレーンが1人、魔女が1人
2年生には、ライカンが1人
1年生には、魔女が2人、ライカンが1人
伯爵令嬢のためにリストには載っていないセイレーンのキトリも含めると、現在アカデミーには合計でセイレーンとライカンが2人ずつ、魔女は3人が在籍しているようだ。
「……ヴァンパイアの生徒は居ないのね」
リストに沿ってなぞっていた指が、最後の名前まで到達する。
この国の異種族には、セイレーン、ライカン、魔女の他に、ヴァンパイアが居る。けれど、全生徒を見てもアカデミーにはヴァンパイアは在籍していないようだった。
「そりゃ、居ないですよ。アカデミーに通うような年齢のヴァンパイアは、存在しませんから」
「どういうこと?」
「ヴァンパイアっていうのは、他の種族と違って、ヴァンパイアとして生まれてくるわけじゃないんです。人間として生きていた人が、後天的にヴァンパイアに“なる”んですよ」
トビアスは説明する。
ヴァンパイアは不老不死の種族で、特殊な方法でなければ死ぬことがない。不死であるが故に繁殖の必要がないためか、その肉体の一部の機能は失われており、子を為すことが出来ない。
人間がヴァンパイアに全身の血を吸われつくすことで、その人間はヴァンパイアとなる。
人間をヴァンパイアへ変える行為は国家によって厳しくコントロールされている。禁止こそされていないものの、相手の同意書や嘆願書の提出などの複雑な手続きを経て初めて可能となり、騎士団や医師の立ち合いの下、厳戒態勢の中で行われることになっている。この行為は、ヴァンパイアとの恋に落ちた人間が相手の伴侶となることを強く望む場合など、ごく限られた場合にのみ許可されている。
ヴァンパイアとなることが許可されていない者もいる。
18歳未満の未成年の子供、貴族及び王族は、ヴァンパイアとなることは出来ない。もしヴァンパイアとなることを望む場合、未成年であれば成人するまで待つ必要があり、貴族及び王族はその地位を捨てる必要がある。
アカデミーに通う年齢のヴァンパイアが存在しないのは、アカデミーの基礎課程は18歳で卒業するため、この年齢制限にぶつかってしまうからである。
そこまでしてこの国がヴァンパイアの繁殖を管理しようとするのは、ひとえに彼らが不老不死という、他を抜きんでて強力な性質をもっているからに他ならない。
人間がどうやっても手に入れることの出来ない性質を、ヴァンパイアは持っている。
それ故に彼らは他の異種族よりも恐れられ、忌み嫌われ、忌避されている。
「ヴァンパイアは親からは産まれないってことは……混血のヴァンパイアも存在しない、ってことよね」
異なる種族間の婚姻は許されていない。そのため、異なる種族の混血というものはその存在自体が罪の象徴でもある。
そのためか、このアカデミーでも混血の異種族がメルヴィただ一人であるように、世間においても混血というのは滅多に出会うことのない存在だった。
アカデミーでキトリやミラン、またディディエといった異種族と知り合えたことは嬉しくもあったが、どこかで、彼らは自分とは違う、純血の異種族なのだ、という気持ちをメルヴィは持っていた。
魔女と人間の混血。二つの血が、メルヴィの中には流れている。人間でも異種族でもない、どちらの世界にも属することの出来ない存在。
まるで自分がたった一人だけのような気がして、時々無性に寂しくなることがある。
だからいつか、自分と同じ、二つの血を持つ人と巡り合うことが出来たら、と、メルヴィは思うのだった。
寂しそうな表情をするメルヴィを気遣って、トビアスが明るい声を出す。
「そうそう、ほら、ここ見てください。注目の美男美女! なんていう特集もあるんですよ」
トビアスが開いたページには、マッチの参加者たちのルックスの特集が組まれていた。
「ほら、お嬢様も載ってます!」
何故か得意げな顔でトビアスが指さす先には、確かに小さくメルヴィの顔写真が載っている。
曰く、“やや線は細いものの、平民とは思えぬ上品な顔立ちの中性的な美少年”とのことである。さらにその下には、「いちおしコメント★」なるものが書いてあった。
「“ピンチの時に颯爽と助けてくれる姿は、まるで王子様♡ ユーリ君、大好き♡” ……イニシャルO・Fさん……」
制服にフリルをつけて栗色の髪にリボンを飾った、猪突猛進なご令嬢の姿が頭に浮かび、メルヴィは苦笑いした。
「この、一番大きく写真が載ってる人、すごく可愛い」
メルヴィの写真の何倍もの大きさで、一人の女生徒の写真が掲載されている。
小さな顔に、大きな瞳。睫毛が長く、髪は肩より少し短いふわふわの柔らかそうな巻き毛、口元は優しそうに微笑んでいて、いかにも可憐な乙女といった様子である。貴族令嬢とはまた違う、どこか守ってあげたくなるような可愛らしさがある。
「あぁ、ローレンさんですね。魔法科の3年生ですよ」
「……何でトビアスが知ってるの」
「寮でよく話すんです。小さくてふわふわした感じの、可愛らしい人ですよ」
ローレンの寮の部屋に出たネズミをトビアスが代わりに退治したことがきっかけで二人は親しくなったのだと、トビアスは言った。
「……3年生の、平民の部屋の、ネズミを?」
メルヴィは思わず口に出した。
トビアスが演じる“メルヴィ・マルヴァレフト”は、高位貴族の令嬢で2年生である。何でわざわざ、同学年でもない、それも平民の生徒の部屋のネズミを、トビアスが退治するのだ、と思うと、面白くないような気持になった。
「困っている人がいるのに、身分も年齢も関係ないですよ」
トビアスはそう言って笑った。
メルヴィははっと我に返り、自分を恥じた。
貴族だ平民だと差別をするのはおかしい、なんて偉そうなことを言っておきながら、自分の中にも同じような価値観がしみ込んでいるではないか。
「というか、俺は本当は19歳の庶民の男ですからね、さすがに年下の女の子が困ってるのを放っておくわけにはいかないですよ」
トビアスの言葉に、またもやもやとしたものが湧き上がってくるのを、メルヴィは感じた。
「……そういうこと、よくしてるの?」
「そういうこと?」
「だから、その……代わりにネズミを退治するとか、そういうの……」
何を言いたいのか自分でも分からないまま、メルヴィは言った。
「そうですね。なんか、色々手伝ったりしてるうちに、声掛けられたり、助けを求められたりすることも多くなって、最近はよくありますね。ほら、俺、でかいし、力もあるし。女子寮だと女の子だけだから、困ることも多いみたいで」
トビアスは女子寮の中で意外な活躍をしているらしい。
重いものを運んだり、高いところの物を取ったり、昨日は立てつけの悪い扉の修理を頼まれたと、にこにことした顔のままトビアスが言う。
もう少し貴族令嬢らしくした方が……、なんてことを、今更言ってももう遅いだろう。
「あっ! メルヴィ~~~っ!!」
ふいに遠くから大声で名前を呼ばれて、メルヴィは振り返った。
向こうから、ふわふわの巻き毛を揺らして、一人の少女が走ってくる。
手の中の新聞の大きな顔写真と同じ、可愛らしい顔をした、ローレン・ロイドだった。
メルヴィ、と呼ばれて思わず振り返ってしまったが、ローレンが呼んでいたのはトビアスの方である。
「今日の夜、寮の3年生の大部屋に来れる? みんなでメルヴィの歓迎会をしようって話してるの!」
ローレンが高い声を弾ませてトビアスに話しかける。
「えっ、そんな! わざわざ悪いですよ!」
「気にしないで! 私たちみんな、メルヴィが来てくれて本当に感謝してるんだから! もしメルヴィが平民の部屋の方に来るのが嫌じゃなかったら、是非遊びに来てね」
「嫌なわけないですよ! 勿論、是非行かせてください! あっ、何か持っていきます?」
「何言ってるの、もう、メルヴィの歓迎会なのよ? 私たちが全部用意するから! 普段メルヴィが食べているような豪華な食事は用意出来ないけど、みんなで頑張って作るからね」
ローレンがきゃっきゃっと笑いながら、楽しそうにトビアスに話しかけている。
1学年上とは言え、ローレンは平民で、“メルヴィ”は貴族令嬢である。
それなのにローレンは気後れすることなく、トビアスに対して友達口調で話す。それはきっと、トビアスの言動や態度、醸し出す雰囲気が、全く貴族令嬢らしくないからなのだろう。
メルヴィの全く知らないところで、トビアスは世界を広げていた。
優しくて思いやりがあり、人の好いトビアスは、ここアカデミーでも多くの人から好かれ、愛され、頼られている。たとえどんな姿をしていても、名前や身分を偽っていても、トビアスの魅力は伝わっている。
それは素晴らしいことのはずなのに、何故だか気分が晴れないのはどうしてだろう、とメルヴィは思った。
キトリとトビアスが親しくしていること、ローレンがトビアスを気に入っている様子なこと。その他のたくさんの女子生徒たちと、トビアスが仲良くしていること。
そのことがこんなにも胸をざわつかせるのは、どうしてだろう。