水は知性 火は情熱 03
「一応言っておくけど、参加必須だからチームを組むだけで、俺は何も協力する気ないからな」
部屋に戻ってくるなり待ち構えていたミランとメルヴィの顔を見て、ヒュー・ベイカーは冷めた顔で言った。
その手の中には、今朝とは違う本を抱えている。
「マッチなんて興味もないし、そんなことに時間を使う程ヒマじゃない」
そう言いながら、ヒューはメルヴィ達の前を素通りして自分のデスクに座り、一人で本を読み始める。
メルヴィ達とは目も合わせようともしなかった。
ヒュー・ベイカーという人は、見かけから想像していたのとは随分違っていた。
図書館で見かけたときには職員に対して丁寧に話していたし、本人の見た目もどちらかというと地味な外見をしているので、メルヴィは勝手に温厚で大人しい人だと思い込んでいた。
けれどいざ口を開いてみると、ヒューは不愛想で冷たく、横柄な話し方をする。
同室でありながら1年間一度も話をしたことがなかったミランも、「無口なガリ勉」の意外な本性に驚いているようだった。
「おっまえ……、お前は、魔法科一の秀才なんだろ。お前とユーリが居たら、優勝だって狙えんだよ!」
ミランがヒューの背中に向かって大声をあげる。
「別に優勝したいわけじゃない」
「優勝したら何でも欲しいものがもらえんだぞ!」
頑ななヒューにミランは苛立ちを募らせる。
「優勝賞品はチームで1つ。お前と俺の欲しいものが一致するとは思えないから、俺にとっては何のメリットもないな」
ヒューは本から顔を上げずに言った。そのまま言葉を続ける。
「チームメンバーにはなる。でも協力はしない。余計な労力を使わせようとするなら、俺は他の奴と組む」
「他に組むアテもないくせによく言うよ。俺は知ってんだからな! お前に友達がいないの!」
ミランがヒューを誘ったのは、勿論ヒューの優秀さが大きな戦力になると見越してのことだろうけれど、もしかしたら、組む相手の居ないヒューを慮るという意味もあったのかもしれない、とメルヴィは何となく思った。
何というか、この性格では友達がいないのも当然である。
「友達は居ないが、チームメンバーへの誘いだったら俺は引く手あまただ。魔法に関してはこのアカデミーで一番詳しいのは俺だからな」
ヒューはメルヴィ達の方をチラリとも見ようとしない。視線は手元の本から離さなかった。
「この学年では、でしょ?」
メルヴィは口を挟む。
「ベイカー君が魔法科の首席ってことは知ってるけど、それってこの学年の中だけの成績だよね。アカデミー全体で見たら、一番かどうかは分からないんじゃない?」
どうやらヒューはなかなかにプライドが高そうなので、自尊心をくすぐる作戦に切り替えてみる。
「乗せようとしても無駄だ。マッチに勝ったところで平民の中だけの勝負に過ぎない。マッチなんてただのお遊び、お貴族サマ向けの見世物になる気はないね。そんなことしてるヒマがあったら何冊の本が読めると思ってる」
メルヴィの魂胆を見透かすように、ヒューは冷静な声で言った。
「……ベイカー君は、何でそんなに勉強するの?」
あっさりとかわされてしまったことに落胆しつつ、そこまでして「ヒマがない」と言うヒューに、メルヴィは素朴な疑問をぶつけてみる。
「……お前らには、分からないだろうな。特にオースター、お前には」
そう言うと、初めてヒューは振り返って、ミランを見た。
「平民だって言ったって、お前は俺とは違う。ライカン族の王子様だもんな。
オースター、お前は、誰かに虐げられたことがあるか? ただ生まれた家が違うというだけで、自分よりも劣った奴らに服従する屈辱を知っているか? 頭脳も、魔力も、今や財力でさえも、何もかもが俺の方が上なのに、ただ貴族だというだけで、無能な奴らが上に立って支配し、俺たちが生み出したものを搾取していく。平民がどれだけ力をつけたところで、その関係は覆ることがない。
血統だなんていうものが……たったそれだけのものが……、どうやったって手に入らないそれが、全てを左右する。貴族と平民との間には、決して壊せない壁がある。その悔しさが、お前に分かるか? 王子として生まれたお前に?」
ヒュー・ベイカーは、商人の息子である。
周辺諸国との安定した関係が長く続いているこの国では、活発な交易活動が行われている。
メルヴィが育ったパラヴァの街も、国境近くに位置し、かつては国防の要の要塞都市だったものが、今日では貿易の拠点へと変わりつつある。平和な治世は王国の経済を活性化させ、国内各地の主要都市や王都には物が溢れ、商売が盛んに行われ、メーレンベルフ王国は建国以来の繁栄を誇っている。
その繁栄は、経済の担い手である商人たちに莫大な富をもたらした。
今や王国には、平民でありながら貴族を凌駕する財力を有する商家も現れ始めていた。
ヒューが生まれたベイカー家も、そうした商家のうちの一つである。
しかしどんなに商人たちが台頭したところで、この国の制度の下では、その稼ぎの多くは領主である貴族によって税金の名の元に徴収され、平等な権利は与えられず、領主の意向一つで命さえも左右されてしまう。
ヒューは、幼少時より優秀な少年であった。
その才覚によってベイカー家を発展させた父親譲りの頭脳に加え、本人の没頭しやすい性格も相俟って、ヒューは勉強にのめり込んでいった。中でも特に、ヒューは魔法に並々ならぬ情熱を傾けるようになった。
元々高い魔力を持って生まれていたこともあるが、それ以上に、魔法が持つ「力」が、ヒューを深く魅了していた。
この国では、魔法を使うのは主に貴族階級の者たちである。
貴族たちが持つ「力」が魔法なのであれば、それを手に入れることが出来たら、この支配から脱することが出来るのではないだろうか、と、ヒューは考えた。
より優れている者が上に立ち、より多くを持つ者が支配する。幼い少年にとって、社会はそうした単純な構造で出来ているように見えていた。
けれど、現実は違っている。
決して壊すことの出来ない壁が存在することを、成長するにつれてヒューは思い知った。
ベイカー家がその優秀さによって生み出した利益は、ただ貴族というだけで彼らを治める領主によって吸い上げられていた。
平民は、永遠に支配され、搾取される側の立場である。どんなに才能があったとしても、貴族に生まれなければ、何の意味もない。
ヒュー・ベイカーは、そうした現実に直面しながらも、しかしながら同時に、どこかで希望を捨ててはいなかった。
ヒューはまだ16歳の青年である。
現実に絶望するにはまだ若く、自分の頭脳や才能に対する自信も持ち合わせている。
生まれた身分に甘え、呑気にアカデミーでの青春を謳歌している貴族の子息令嬢たちを横目に、いつかこの手でその壁を壊してみせると、ヒューは昼夜勉強に励んでいるのだった。
そんなヒューは、異種族とは言えライカン族の王子であり、生まれながらの血統を持って他のライカンたちの上に立つミランに対しては、思うところがあるらしかった。
ミランがルートと親しい点にも嫌悪感があった。
生まれながらの王子、という存在が、そもそもヒューにとっては気に食わないものなのである。
「お前に、ライカンの何が分かるって言うんだよ」
ミランが静かに言った。
「お前が自慢するような、頭脳も、魔力も、財力も、ライカンにとっては何の意味もねえんだよ!
俺たちにとって重要なものは、強さだ。一番強い者が、頂点に立つ。ただそれだけだ。俺たちは常にお互いに競い合っている。誰が一番強いのか、それを明らかにするために。王は強くなければいけない。王になったとしても、頂点に立ち続けるために戦い続ける。誰よりも強くあり続けなければいけない。血統だけで上に立てるほど、ライカンの世界は甘くねえんだよ!」
ミランはヒューの胸元を掴むと、勢いよく引いて立ち上がらせた。
「てめえも自分の力に自信があんなら、グダグダ言ってねえで戦えよ! 戦って、自分が一番だって証明してみせろよ!」
ヒューの体を揺さぶりながらミランが声を荒げる。
ヒューはゆっくりとミランの手を掴むと、ため息をついてそれを引きはがした。そして、ズレた眼鏡を直しながら言った。
「平民だけのマッチで頂点に立ったって、何の意味もないだろ。貴族の見世物になるなんて御免だ」
乱れた髪をさっと払い、再び背を向けて机に向かおうとする。
「……壁を壊す方法なら、あるよ」
ヒューの背中に向かって、メルヴィは言った。
「勿論、貴族と平民との間の壁がそんな簡単に壊せるものじゃないってことは分かってる。でもそのほんの一部だけでも、このマッチで壊してやろうよ」
「……どういう意味だ?」
ヒューとミランの視線が、メルヴィに注がれる。
「もし優勝した場合、その優勝賞品として……」
と、このマッチの話が出てからずっと考えていたことを、メルヴィは口にした。
「アカデミーの全エリアを、平民にも開放することを要求する」
図書館の2階を始めとする、平民には立ち入りが許可されていないエリア。
その制限を撤廃し、全ての生徒が平等にアカデミー内の施設を使えるようにする。
たったそれだけのことかも知れないが、それは確実に、貴族と平民の差を一つ無くすことになる。
ヒューとミランは、驚いたように口を開けてメルヴィを見つめている。
しばらくの沈黙の後、先に言葉を発したのはヒューだった。
「そんなこと許されるわけがない。どうせ貴族に握りつぶされて有耶無耶にされて終わる」
「そうはいかないよ。だって今度のマッチは、国王陛下の公認の下で大々的に行われる、アカデミーの公式行事なんだから」
そうだよね? と確認するように、メルヴィはミランを見る。
マッチの優勝賞品は、「優勝チームが望むもの」であれば、人命など犯罪に関わるものでもない限り何でも良いということになっている。
メルヴィの要求は、表面的に見ればアカデミー内の施設の開放という些細な事柄である。
たとえそれが貴族と平民との間の身分差の象徴だとしても、表面上はごくごく小さな要求となっている。
国王のお墨付きで開催される以上、それを有耶無耶にするわけにはいかないだろう。
「あ、あぁ……」
ミランが呆気にとられた顔のままで反射的に頷いた。
二つの身分の間に立ち塞がる巨大な壁。
この小さな要求は、その巨大な壁の前には、あまりにも取るに足らないものかもしれない。
けれど確実に、小さなヒビを入れることになる。
「まあ、優勝出来たらの話だけどね」
メルヴィはあはは、と笑った。
「……優勝するに決まってるだろ」
ヒューはそう言うと、メルヴィとミランを交互に見て、にっと笑った。
「お前ら二人と俺が居たら、優勝出来るんだろ?」
よろしくな、とでも言いたげに、ヒューはバシッとミランの背中を一つ叩くと、「じゃ、話はこれで終わりだな」と再び机に座って本を読み始めた。




