水は知性 火は情熱 01
その日の夜、ヒューを紹介するということで、メルヴィはミランの寮の部屋に呼び出されていた。約束の時間まではまだ少し時間があるため、自室で相性占いの本を読むことにする。
無意識のうちに、メルヴィは火のエレメントの項目を開いていた。
“――――火は情熱のエレメント。
火のエレメントを持つ人は、情熱的で積極的。大胆で、思いついたらすぐに行動する。
感情が豊かで、喜怒哀楽が激しく、短気なところも。”
思い当たる節がある、と思うのは、自分自身のことなのか、それとも、この扉の向こうにいるもう一人の人のことなのか。
自分でもよく分からないまま、ぼんやりとページをめくる。
そういえば、オルガ嬢も火のエレメントだ、なんて、違うことを考えようとしても、気が付けばルートのことを思い浮かべてしまう。
私たちは、似ているのだろうか?
「ヒューが戻ってくるのは何時なんだっけ」
メルヴィの部屋をノックしてから、ルートが顔を覗かせる。メルヴィは慌てて本を隠して顔を上げた。
「いつも閉館まで図書館に居てから部屋に戻ってくるみたいだから、あと30分くらいかな。えっ……ルートも一緒に来るつもりなの?」
「そのつもりだったよ。というか、もしかして君は一人で行くつもりだったの?」
「当たり前だよ! マッチに出るのは俺とミランとベイカーさんの3人なわけだし、……ルートは関係ないよね?」
先日から薄々思っていたのだが、ルートはメルヴィの行くところに常について来ようとする。目の離せない弟のように思われているのだろうか? いくらメルヴィが引きこもりの世間知らずとは言え、もう16歳なのだからそこまで過保護にしなくても良いのに、と思う。
なんだかいつも行動を制限されてばかり居るような気がして、窮屈な気分になる。
そう、まるで実家に居る時のように。
父マルセルもメルヴィの行動を制限し、屋敷に閉じ込めて自由を奪った。ルートにあれこれ言われていると、マルセルのことを思い出す。父の愛情を否定するわけではないが、それでも、息苦しく感じていたのは事実だ。
家を出てアカデミーに入学したことで、メルヴィは初めて外の世界を知った。
様々な人に出会い、今までいかに狭い世界で生きてきたのかに気が付くことが出来た。
だからもっと、色々なことをしてみたい、と思う。
自由に、何にも縛られず、自分の目で見て、自分の手で触れて、自分自身で色々なことを経験してみたい。
「こんな夜遅くに、ミランの部屋に? 君一人で?」
「? それに何の問題が?」
男女であるならまだしも、今は“ユーリ”という一男子生徒だ。時刻はまだ21時前でそれ程遅いという訳でもないし、友人の部屋を訪ねるのに非常識ということもないだろう、たぶん。
これまで友人が居なかったメルヴィにとって、友人の部屋に招かれるということは初めての経験である。いかにも“友達”という感じがして、メルヴィは少しわくわくしていた。
「だめだよ、そんなこと。とにかく、ダメ。僕も行く」
「……前から思ってたけど、ルートって俺のすることに口出ししすぎじゃない? マッチのことだって、俺だけ出させないとか……何でそうやっていつもダメダメ言うの」
「何でって……君は僕の婚約者……の、従者だからだよ」
「婚約者の従者だから何? それって、俺が使用人だから、自分の思い通りにしていいって思ってるってこと?」
少し前だったら、王子様相手にこんな風に言い返すこともなかっただろうと思う。
けれど短くはない時間を一緒に過ごして、ルートとの距離が少し縮まるごとに、メルヴィは自分を覆っていた殻が少しずつ剥がれていくのを感じていた。
ルートが何を考えているのか知りたい、と思うごとに、自分が何を考えているのかを知ってほしい、と思うようになる。
何を考え、何を感じ、どう思っているのかということを、ルートに伝えたい。
父親でも、幼少時から共に育った従兄弟で従者のトビアスでもない。初めてメルヴィの前に現れた「他者」が、ルート・メーレンベルフという人であった。
何を考えているのか分からない、どんな人なのか掴めない。だから気になるし、知りたいと思うし、相手の存在を意識する。
相手との考え方の違いがこんなに気になるのは、その違いを意識している証拠だ。
小さなことが気になってしまう。
ルートのことを理解し、お互いに分かり合いたいと思う気持ちがあるからこそ、ルートの行動が理解出来ないことがもどかしくて、何を考えているのかを明らかにしたくて、会話の制御が自分でも利かなくなる。
メルヴィは自分の感情が昂っていくのを感じていた。
それはルートも同じなのか、声が段々大きく、話し方が荒くなっていく。
「そういうことを言ってるんじゃないよ。あぁもう、何でわかんないかな。君のためを思って言ってるんだ。僕の言う通りにしてくれ」
「君のため? 言う通りにしろ? ……いつもは、人は平等だとか意志は尊重されるべきだとか言ってるのに、そんなこと言うんだ」
「そういう意味じゃないって! 僕だってこんな風にあれこれ言いたいわけじゃない、でも君が、あまりにも思い通りにならないから!」
「ほら、結局、「思い通りにしたい」んだよ。平民で、婚約者の従者の俺の意志や感情なんて、王子様にとっては無いも同然ってことだよ。結局、ルートだってそういう目で俺を見てる」
会話がヒートアップしてしまうのは、お互いが火の気質を持っているからだろうか。
ルートと向き合っていると、感情が昂る。気持ちが動く。
トビアスとはこんな風に言い争いなどしたことがないのに、メルヴィは自分が抑えられなかった。
「そうじゃない! 身分とかそういうことじゃなくて……君だから……!」
「俺だから、何?」
「あぁもう……、いい加減にしろよっ!」
ルートは声を荒げてそう言うと、一歩踏み出してメルヴィの目の前に立つ。
ルートの手がメルヴィの腕を掴む。逆の手は腰に回され、ぐいっと強く体を引き寄せられた。
赤い瞳がメルヴィを捕らえる。
そしてそのまま、その端正な顔が近づいてきた。
メルヴィは息をすることさえ忘れて、ただ目を見開くことしか出来なかった。
唇が触れるか触れないかのところで、ルートの動きがぴたりと止まる。
そしてぐっと強く自らの唇を噛むと、大きくため息を吐きながらその場にしゃがみ込んだ。
少し癖のある黒髪に指を挿し入れて、頭を抱えるように俯いている。
「……ごめん……どうかしてた……今のは、忘れて……」
顔を覆い隠したままのルートの頭から、弱弱しい声が発せられる。
メルヴィは何も言えないまま、その場に立ち尽くしていた。
お互いの感情の炎が、ゆっくりと消えていく。
「……本当にごめん、君の言う通りだよ。君は僕のものじゃないし、君の行動を制限する権利なんて僕にはない」
ルートは立ち上がると、メルヴィとは目を合わせないまま、自分の部屋のデスクの方へ歩いて行った。
椅子ではなくデスクの方に腰を掛け、置かれた花瓶の中から薔薇の花を1輪取る。
「……俺も、ごめん」
すっかり頭の冷えたメルヴィも、おずおずとルートの部屋の方へ進み出て、言った。
「君が……ユーリが、謝ることじゃない。僕が冷静じゃなかった」
ルートは薔薇の花の花びらをもぐと、それを口に入れる。
「……薔薇の花、好きなの?」
重くなってしまった空気を変えたくて、メルヴィは話題を変えることにした。
前にマルヴァレフト邸の庭を案内した時も、ルートはこうして直接薔薇の花を口に入れていた。
薔薇の花が食べられるということは知っている。
パラヴァの市場でも薔薇の花のジャムやハーブティーといったものが売られていたし、メルヴィも実際にそれらを口にしたことがある。
けれど、こうして直接花びらを食べる人を見るのは初めてだった。
「好き? うーん、好きかと言われるとどうかな、好きでも嫌いでもないよ。……どのみち、こうやって生きていくしかないしね」
冷静さを取り戻して普段通りの様子になったルートが、手の中の薔薇を弄ぶ。
「……そういえば、君、この薔薇に何かした?」
何枚かの花びらを失って少し痩せた薔薇の花をメルヴィの方に向けながら、ルートが言った。
メルヴィは今朝のことを思い出す。
「あー……うん、ごめん……。今朝、急いで部屋を出ようとして、ぶつかっちゃって……その花瓶、落としちゃったんだよね。やっぱり分かっちゃった? ごめんね」
「何か魔法を使った?」
「……う……うん……うん……」
急いでいたので、こぼれた水を水道まで汲みに行く時間がなく、水の魔法で花瓶の水を満たした。
けれどそのことを告げれば、メルヴィが水の魔法を使えることを申告することになってしまう。
魔女であることを隠すために、使える魔法は火と雷のみとすることにしなくてはいけないメルヴィは、詳細を語ることを避けて口ごもった。
「……何で分かったの?」
何の魔法を使ったのかを話さなくても済むように、逆にルートに質問を返す。
「君の味がする」
薔薇を見つめながら、ルートが言った。
「!?」
意味深な言い方に、何故か頬が赤くなる。
「いいね、これ。やっぱり好きだな」
もう1枚花びらを取って口に含みながら、ルートが呟いた。
そして顔を上げると、メルヴィの方を見て言った。
「これからも、時々こうやってこれに魔法をかけてくれないかな。薔薇はいつでもここに飾ってるから。
……花を食べること自体は別に好きでも嫌いでもないけど、君の味は好きだって思うよ」




